古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

書翰用文鑑12 婚礼喜之文 養子したる人に遣文 家督披露之文  最終回

2016-07-13 18:58:46 | 書翰用文鑑

婚礼喜之文

一翰令啓達候然者當

般御息女様御儀御婚礼

首尾能相整千鶴万

亀目出度御儀奉存候

軽易之至ニ御座候得共

御帯地並鮮鯛一折呈

上之仕候誠以千祥万

婚礼喜之文 一翰啓達令(しめ)候然れば當 般御息女様御儀御婚礼 首尾能く相整い千鶴万 亀目出度き御儀と存じ奉り候 軽易之至りに御座候得共 御帯地並に鮮鯛一折り之を呈 上仕候誠に以千祥万

禎御祥隆之甫与幾万

歳祝納候印迄ニ御座候

恐惶謹言

養子したる人遣文

倍御清福一段大慶仕候

然者今般仍御幸縁

御子息様御迎入之由千

寿万福目出度次第

禎御祥隆之甫(はじめ)と幾万 歳祝納候印迄に御座候 恐惶謹言

養子したる人に遣す文 倍(ますます)御清福一段大慶仕り候 然れば今般御幸縁に仍て 御子息様御迎え入れ之由千 寿満福目出度き次第 

※恐惶謹言・・・恐れかしこまり、つつしんで申し上げる意。相手に敬意を表するために手紙の末尾に用いる語。▽「恐惶」は恐れかしこまること。「敬具」「敬白」などと同様に用いる。 

奉存候御螟蛉之御祝儀

申上候印迄絹弐疋綿

三把備貴覧候乍憚皆

々様へ冝御祝詞御口達

被下候様偏奉資候 謹言

家督披露之文

這般愚息幸次郎へ家

督譲渡候而拙者儀者牛

存じ奉り候螟蛉之御祝儀 申上候印迄に絹弐疋綿三把 貴覧に備え候憚り乍ら皆 々様へ冝しく御口達 被下候様偏に資奉里候 謹言

家督披露之文 這般愚息幸次郎へ家 督譲渡候而拙者儀者牛

 ※ 螟蛉(めいれい)・・・《ジガバチが青虫を養い育てて自分の子とするという故事から》養子のこと。

※ 絹二疋・・一疋は一反の絹地。一反は着物一着分の絹地>

※ 綿三把・・綿は貫、匁の単位で流通していた。一把=1束=3.2貫=約12㎏。小売用単位・文庫の単位 が1束=1.5貫=約5.6kgとネットの記事を見付けましたが、よくは分からないようです。

 

嶋別荘へ引移致隠居

仕候御存之通愚昧未

熟之倅義ニ候間万端御指

図被成下拙者同様ニ御・・・・・以下の文無し。

仁科大町組

大平郷藤尾

中牧岸之助

源之昭好

嶋別荘へ引き移り隠居 致し仕り候御存じ之通り愚昧未 熟之倅義に候間万端御指 図被成下拙者同様に御・・・・文書はここで途切れています。

仁科大町組 大平郷藤尾 中牧岸之助 源之昭好

※ 最後のページにこの文書の著者である中牧岸之助なる人物の居住地らしい署名がありました。姓は源、諱は昭好、通称岸之助と分かったので長野県大町市文化財センターへメールで照会しました。その回答を掲載しておきます。

 昨日お問い合わせいただいた、「藤尾村」について回答させていただきます。 まず、大平村(おおだいらむら)が本村で、藤尾は大平村の枝郷でした。公文書では「安曇郡大平村藤尾」、 松本藩の行政上は「大町組大平村藤尾」などと表記されました。 

 次に、藤尾には中牧姓が存在しました。記録としては『八坂村誌歴史編資料』に「弘化二年一〇月 覚音寺観世音入仏在家役付帳」の史料があり、そこに藤尾 中牧姓の方が四名記載されています。

 なお、現在は藤尾から市内の大町地区などに転居され、藤尾に中牧姓の方はおられません。

 


書翰用文鑑11 寒中見舞之文及び歳暮之文並に元服喜之文

2016-07-09 15:01:56 | 書翰用文鑑

敷御果報与奉存候随而

些少ニ者候得共鳧一番

進覧之仕候聊表寸志

斗御座候 謹言

寒中見舞之文

一筆啓上仕候甚寒之

時節益御勇勝被成御座

奉賀候然者乍軽少鶏

 

敷御果報と存じ奉り候随て 些少には候えども鳧一番 之を進覧仕候聊か寸志を表す 斗(ばかり)に御座候謹言

寒中見舞之文 一筆啓上仕り候甚寒の 時節益(ますます)御勇勝御座なられ 賀奉り候然れば軽少乍ら鶏  

卵一箱呈貴覧候御笑納

被下候ハゞ大慶至極奉存候

先者寒中お見舞御

容体奉伺度如此ニ御座候 以上

歳暮之文

一筆致啓上候極寒之時

節弥御安容被成御凌

奉寿候且些少ニ候得共

卵一箱貴覧に呈し候御笑納 下され候はば大慶至極に存じ奉り候 先ずは寒中お見舞い御 容体伺い奉り度く此如くに御座候 以上 

歳暮之文 一筆啓上致し候極寒之時 節弥(いよいよ)御安容御凌ぎなされ 寿奉り候且つ些少に候えども

塩鰹一籠致進入之候

誠ニ歳尾之御祝儀申

上度験斗ニ御座候猶

耒陽目出度可申述候 謹言

元服喜之文

以御佳辰御嫡子御元服

被成候由殊之外之御性

質骨柄大兵にて御相

塩鰹一籠之を進入致し候 誠に歳尾の御祝儀申 上度験斗(しるしばかり)に御座候猶 耒陽目出度申し述ぶべく候 謹言

元服喜之文 御佳辰を以御嫡子御元服 なられ候由殊の外の御性 質骨柄大兵にて御相

応可被成与目出度御儀

奉存候別而怜悧之御気

質ニ候而末頼母敷御事

御両親様御安堵之御儀与

御羨敷奉存候依之軽

易之一種令進覧候

寔微意之印迄ニ御座候

草々頓首

 応ならるべく目出度き御儀と 存じ奉り候別して怜悧の御気 質に候て末頼もしき御事 御両親様御安堵の御儀と 御羨しく存じ奉り候之に依り軽 易の一種進覧令(しめ)候 寔に微意の印迄に御座候 草々頓首

 


書翰用文鑑10 蛭子講(えびすこう)之文及び袴着を賀す文

2016-07-08 18:04:58 | 書翰用文鑑

御座候 謹言

蛭子講之文

以手紙啓上仕候冷気

相募候得共弥御清栄

奉珍喜候然者明廿日

如佳例蛭子講仕候勿論

別家之者共少々打交

内祝ニ而祭候間為差風

御座候謹言 

蛭子講之文 手紙を以て啓上仕り候冷気 相募り候えども弥(いよいよ)御清栄 珍喜奉り候然れば廿日 佳例の如く蛭子講仕候勿論 別家の者共少々打ち交じり 内祝いにて祭り候間為差(さしたる)風

※ 蛭子講とは・・神無月旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する。地方や社寺によっては、旧暦の10月20日であったり、秋と春(1月20日)の2回開催したり、十日えびすとして1月10日1月15日とその前後などに行うこともある。えびす祭えべっさんとも言われる。えびすを主祭神とするえびす神社のみならず、摂末社として祀っている社寺でもおこなわれる。(ウイキ情報)

 

情も無御座候得共御光

来被下候ハゞ本懐之至ニ

御座候 謹言

同返状

御紙面忝拝見仕候如善諭

寒冷相増候所弥御安静

被成御座珍重ニ奉存候然

者明日者御嘉例之通蛭

情も御座無く候えども御光 来下され候ハゞ本懐の至りに 御座候 謹言

同返状 御紙面忝く拝見仕候善諭の如く 寒冷相増し候所弥(いよいよ)御安静 御座なられ珍重に存じ奉り候然れば明日は御嘉例の通り蛭

子祭被成御祝候ニ付下拙

迄御招被下御懇志忝奉

存候且御指合も無之与奉

察候間兼々御存之三

笑亭可楽朝寝房呑海

右両人相頼候而如例落

咄為致候半と奉存候御一

座之御一興ニも相成候ハゞ

子祭り御祝い成られ候に付下拙 迄御招き下され御懇志忝く 存じ奉り候且つ御指し合わせもこれ無くと 察 し候間兼がね御存じの三 笑亭可楽朝寝房呑海 右両人相頼み候て例の如く落とし 咄致し為し候はんと存じ奉り候御一 座の御一興にも相成候はば

※ 三笑亭可楽・・わたしが知っている可楽は八代目です。この人の「らくだ」は逸品。ここに出て来るのは江戸時代の可楽ですから、四代目か五代め可楽とおもわれます。

※ 朝寝房呑海・・可楽と同時代に朝寝房という噺家が居たことは可楽の項に出ているので分かるのですが、名跡が絶えたのでしょうか、検索にヒットしません。

千寿大悦仕候委細者

以参万々可申上候為

貴報如此ニ御座候 以上 

袴着を賀す文

御愛子様御袴着之御祝

儀目出度奉存候誠以

段々之御成長被成而

御両親様御満悦勇々

千寿大悦仕り候委細は 参じ以て万々申し上げ候 貴報の為此如くに御座候 以上

袴着を賀す文 御愛子様御袴着之御祝 目出度存じ奉り候誠に以て 段々御成長成られて 御両親様御満悦勇々

※ 袴着・・幼児が初めて袴をつける儀式。古くは3歳、後世では5歳または7歳に行い、しだいに11月15日の七五三の祝いとして定着。着袴 (ちゃっこ) 。


書翰用文鑑9 月見之文の続き及び重陽之文並に玄猪之文

2016-07-02 12:15:57 | 書翰用文鑑

因茲近隣之酒友一両

輩相招候而催酒宴罷

在候今夕之御宴御兼

約も無御座候ハゞ拙宅へ

御光臨奉仰候乍去指

上候物も無之一酒一賄

茲に因りて近隣の酒友一両 輩相招き候て酒宴を催し罷 在り候今夕の御宴御兼 約も御座無く候はば拙宅へ 御光臨仰ぎ奉り候さりながら指 上候物もこれ無く一酒一賄

実芋一種ニ而荒舎之

軒漏影奉入御覧候

而已 千拝

重陽之文

重陽の御佳儀御同

然目出度奉存候仍而

実に芋一種にて荒舎の 軒漏影御覧に入れ奉り候 而已 千拝

重陽之文 重陽之御佳儀御同 然目出度存じ奉り候仍りて

※重陽・・重陽(ちょうよう)は、五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦ではが咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。

奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。

後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。(ウイキ情報)

柴栗令進入之候麁々

布品ニ御座候得共任例

如斯ニ御座候偖又昨日者

御手製之黄蘭深山

被饋下御厚志之段千

□□奉存候当年ハ

別而大輪之蘭殊ニ御丹

柴栗これを進入令(しめ)候麁々 布の品に御座候へども例に任せ 斯くの如くに御座候偖又昨日は 御手製の黄蘭深山より饋り下され御厚志の段千 □□存じ奉り候当年は 別して大輪の蘭殊に御丹

精之証現申候猶委

細者貴面之節可申

述候 頓首

玄猪之文

玄猪之御嘉儀目出度

奉存候然者哥賃一重

如吉例進上之仕候誠

陽止之節相祝候印迄ニ

丹精の証(あかし)現れ申候猶委 細は貴面の節申し 述ぶべく候 頓首

玄猪之文 玄猪の御嘉儀目出度 存じ奉り候然れば哥賃一重 吉例の如く之を進上仕里候誠に 陽止の節相祝い候印迄に

※ 玄猪・・陰暦十月の亥の日。また,その日に食べる餅。 [季] 冬。宮中でも9世紀中ごろから亥子餅が作られた。玄猪(げんちよ)ともいい,宮中の男や女房などにも与えられた。また,これを錦に包んで夜の御殿の四隅にさした。 間毎々々炬燵々々に亥の子餅 いぬゐ

※哥賃・・○正月の儀式

正月元旦 これ節供の始也
されば日元年元月元 是を
合して元三(ぐはんさん)といふ 餅を哥
(かちん)といふ事 昔 能因法師
諸国修行の時 天下旱(ひでり)
て雨降ざる事を嘆く ある
山里にて能因は哥の名人
と承れば 哥を讀て雨を
降しめ給へと ひたすらにた
のむ 能因やむことなくて一首
を詠ず 哥に

天の川 なはしろ水に せきくだせ
あまくだります 神ならばかみ

と つらね給へば そのまゝ大(い)
雨ふり 里人の悦び限りなし
其時 餅をつきて能因に
そなへければ 是は哥賃(かちん)かと
ありしより かくいひ傳ふと也

 


書翰用文鑑8 暑中見舞文の返辞及び月見の文の前半部

2016-07-01 00:05:15 | 書翰用文鑑

玉札辱拝見仕候如芳

諭厳暑難凌候處御渾

家御揃益御安寧被

成御座奉恭悦候且

為暑中御見舞江

戸団扇三拾本御恵

玉札かたじけなく拝見仕り候芳諭 の如く厳暑凌ぎ難く候ところ御渾 家御揃ますます御安寧 御座なられ恭悦奉り候且つ暑中御見舞として 江戸団扇三拾本御恵

※ 3行目は文体として不備があります。「御揃益御安寧」というところは「被成御揃益御安寧」と書くべきところです。外の箇所では正しい表記になっていますから、ここは書き忘れたのでしょう。

投被下御深情忝次第

奉存候右御礼貴答

迄如此ニ御座候 恐々謹言

中元之文

中元之御祝儀細微

之至ニ候得共三輪素麺

投くだされ御深情忝き次第に 存じ奉り候右御礼貴答  迄此の如くに御座候 恐々謹言

中元之文 中元之御祝儀細微 の至りに候らへども三輪素麺

※ 三輪素麺(みわそうめん)は、奈良県桜井市を中心とした三輪地方で生産されている素麺(そうめん)で、特産品となっている。三輪地方はそうめん発祥の地とも言われる。(ウイキ情報)

壱箱差鯖五拾致進呈

之 候何方も盆中嘸々

御取込与奉推察候 謹言

月見之文

三五夜中新月色

殊無比類清天ニ御座候

一箱、差し鯖五十これを進呈致し候 何方も盆中嘸々 御取り込みと推察奉候 謹言

月見之文 三五夜中新月の色 殊に比類なき清天に御座候

※ 差鯖・・盆の差鯖、正月の鏡餅と言われる縁起物。鯖を背開きにして塩漬けにし、二尾を刺し連ねて一刺とした乾物をいう。盆の間、父母の長寿を祈る祝儀ものとして食し、蓮の飯とあわせ、親類縁者や世話になった人々にも贈った。

※ 三五夜・・中秋の名月のこと。ここでは唐の詩人白居易の詩によっている。「三五夜中の新月の色、二千里の外の故人の心」の詩句。


書翰用文鑑7 端午の文の返辞及び暑中見舞之文

2016-06-24 12:03:39 | 書翰用文鑑

端午の節句にお祝いを貰ったので、その礼状の文例を掲載します。

 候文について

 ここに掲載している文体は和文であってけして漢文ではありません。漢字ばかりの文章ですから漢文と誤解されるのも無理からぬところがありますが、実はこれは和文の中でもとくに候文と呼ばれる文体なのです。

 候文は鎌倉時代に興り、室町時代を経て爆発的な発達普及を遂げ江戸時代に完成しました。江戸幕府がこれを法令等に用いる公式の文体と指定したために、幕政関係、藩政関係等の公用文書は専らこれに拠りました。ために文芸的な文章の外は書簡から借金証書、往来手形、果ては遊女の付文に至るまで候文で書かれました。

 特に書簡体の候文は永く命脈を保ち昭和40年代くらいまでは教養ある年配人(明治生まれ)の書簡はたいていこれでした。吉田茂(元首相)から岸信介首相宛ての書簡のコピーをわたしは所持していますが、なかなか風格のある文体で、現代文ではとてもこういう流麗な文章は綴れません。

 いま私たちが用いている漢字仮名交じりの文章は明治になって興った言文一致体の発展系なのですが、たかだか百数十年の歴史を持つに過ぎません。文体として候文の完成度に到達しているかどうか、今日唯今も未だ進化の途上にあるように思います。

同返辞

御懇書之趣辱拝見仕候

如貴命重五之御祝

儀御同意目出度奉

存候次ニ愚息方へ為御

 同返辞 御懇書の趣辱(かたじけなく)拝見仕り候 貴命の如く重五の御祝 儀御同意目出度存じ 奉り候次ぎに愚息方へ御祝儀として(次ページへまたがる) 

※ 重五の祝いとは・・五が重なる意で5月5日端午の節句の異称。

 

祝儀絹地座舗幟

殊当時高名之浮世

絵師以精画為御画

被下御厚志之段千万

忝仕合奉存候右御移

別製之干鱩任遠来

御祝儀として絹地座鋪幟 殊に当時高名の浮世 絵師の精画を以て御画となし 下され御厚志の段千万 忝く存じ奉り候右御移り 別製の干鱩遠来に任せ

進上之仕候御笑留被下候

ハゞ本懐之至ニ御座候

且毎事御芳恵之

御礼難尽筆紙奉

存候 不具

暑中見舞之文

これを進上仕り候御笑留下され候 はば本懐の至りに御座候 且つ毎事御芳恵の 御礼筆紙に尽くし難く存じ奉り候 不具 暑中見舞いの文

以飛札啓上仕候酷暑

之節ニ御座候得共其御地

皆様被成御揃弥

御清栄被成御座珍重

至極ニ奉存候随而当地

無異儀罷在候乍憚御

飛札を以て啓上仕り候酷暑 の節に御座候えどもその御地 皆様御揃いなされいよいよ 御清栄御座なされ珍重 至極に存じ奉り候随って当地 異儀無く罷り在り候憚り乍ら御

安意可被下候将軽微

之至ニ候得共江戸団

扇三拾本致進覧之候

聊暑中御見舞之験

斗ニ御座候 恐々謹言

同返書

安意下さる可く候将(まさに)軽微 の至りに候えども江戸団 扇三十本これを進覧致し候 聊か暑中見舞いの験 斗(ばかり)御座候 恐々謹言 同返書

※ 恐々謹とは 恐れながらつつしんで申し上げるという意の語。手紙文の結びに記して,敬意を表す

 


書翰用文鑑6 端午の文

2016-06-19 14:09:37 | 書翰用文鑑

今回は端午の文例を紹介します。

       端午の文

端午之御祝儀目出度

奉存候随而御子息様へ

錺兜菖蒲太刀与存

候處年々御手置宜

端午の文 端午の御祝儀めでたく 存じ奉り候随而って御子息さまへ 錺兜、菖蒲、太刀と存じ 候處年々御手置宜

敷品々与思当候故浮

世絵師歌川豊国並

国貞両画之武者絵

則絹地ニ為仕立乍麁

末御座鋪幟掛御目

申候誠初幟之御祝

敷き品々と思い当たり候故浮 世絵師歌川豊国並 国貞両画の武者絵 則ち絹地に仕立てたる麁末 乍ら御座鋪幟お目に掛け 申し候誠に初幟の御祝

賀之験迄ニ御座候 頓首

賀のしるしまでに御座候 頓首

「同返辞」以下は次回とします。読めた方コメント欄へどうぞ。


書翰用文鑑5 花見催す文の返辞

2016-06-18 11:36:32 | 書翰用文鑑

 文鑑4で宿題としていた読みですが、難しかったようですね。投稿はありませんでした。今回は「花見催す文」の「同返辞」を読むことにします。

同返辞

春遊之思召寄拙子

御誘引被下千万

奉多謝候何時成共

御供取希候先地方ハ

同返辞 春遊の思し召し寄り拙子 御誘引下され千万多謝奉り候何時なるとも 御供取希い候先ず地方ハ

何方与被思召候哉上野

飛鳥山等至極宜敷候得共

些変風候而御殿山歟

或ハ隅田川之辺

山水全備ニ候而一段之

眺望与奉存候尤桜

何方と思し召され候や上野 飛鳥山など至極よろしく候得ども 些か変風候て御殿山歟 或いは隅田川の辺り 山水全備に候て一段の 眺望と存じ奉り候尤桜

※ ここでは上野・飛鳥山・御殿山・隅田川の辺りなど江戸の花の名所が出てきますが、こういうところが古文書を読んでいて最も楽しいところです。

花賞翫御座候間

近来流行之大井

之桜なと如何可

有之哉是又山水

之勝地与及承候無

御覆蔵方角被仰

聞可被下候御答

草々不備

花賞翫御座候間 近来流行の大井 の桜など如何 これ有るべきや是又山水 の勝地と承き及び候 御覆蔵なく方角仰せ聞かせ下さるべく候 御答え 草々不備

※ 2行目に「近来流行之大井之桜」とありますが、どこにある桜なのでしょうか、ご存知の方教えて下さい。

聞かせ下さるべく候 御答え 草々不備

「端午之文」以下は次回とします。読めた方はコメントをどうぞ。

 


書翰用文鑑4 上巳之文の返辞及び花見催す文

2016-06-14 18:47:48 | 書翰用文鑑

同返辞

御紙上辱拝開仕候

如仰春暖相催候處

弥御堅勝奉恐寿候

然者曲水之御祝儀

与御座候而姫方へ麗布

同返辞 御紙上辱(かたじけなく)拝開仕候 仰せの如く春暖相催候處 弥(いよいよ)御堅勝恐寿奉り候 然れば曲水之御祝儀 と御座候て姫方へ麗布

内裏雛被饋下御懇情

不浅辱奉存候別而為

致饗応可申候乍憚

御内君様へ宜敷御礼被

仰伝可被下候愚妻も

厚御礼申上度旨申

内裏雛饋(おくり)下され御懇情 浅からずかたじけなく存じ奉り候別して為に 饗応致し申すべく候憚りながら 御内君様へ宜敷御礼仰せ 伝えられ下さるべく候愚妻も 厚く御礼申上度旨申

上候心緒貴顔之

節与万端申残候右

貴酬申上度如此ニ御座候以上

花見催す文

四方八方之桜花開も

不残散も不肇唯今

上候心緒貴顔之 節万端申し残し候右 貴酬申し上げ度此の如くに御座候以上 花見催す文 四方八方の桜花開も 残らず散るも不肇唯今

真盛之由貴賎群集

之時候両三人申合候

上幕提重抔之古風

成事打捨一日御供

申度奉存候日限之定

前日被仰越可被下候

真盛の由貴賎群集 の時に候両三人申し合わせ候 上幕提重など古風 なる事打ち捨て一日御供 申し度存じ奉り候日限の定め 前日仰せ越され下さるべく候

※ 提重・・・携帯用重箱

草々不一

※ 同返辞以下は次回に繰り越し。以下4行は宿題とします。読めた方はコメント欄へどうぞ。


書翰用文鑑3 初午の文及び上巳の文

2016-06-13 01:10:41 | 書翰用文鑑

初午の文

打続天気快晴殊ニ

初午当日至極穏ニ而

一段大慶仕候然者

如兼約之王子稲

荷へ社参可仕奉存候

初午の文 打ち続く天気快晴 殊に初午当日は至極穏やかにて 一段大慶仕候然れば 兼ねて約の如く王子稲荷へ 社参仕るべく存じ奉り候

尤昼食者如例之

福寿布袋之内相

定可申候勿論帰

路之程者瀧之川

より肇候而至道

灌山及日暮之里若

尤も昼食は例の如く 福寿布袋の内に相 定め申すべく候勿論帰 路の程は瀧之川より肇候て道 灌山及び日暮れの里に至り若し

※ 2行目に「福寿布袋之内相定・・」とありますが、これはどういう事でしょうか。北区中央図書館の学芸員の方に教えていただいたのですが、福寿というのは福禄寿のことで田端東覚寺に祀られている神様のこと、当時の人々には福寿と言えば通じたそうです。

 また、同様に布袋と言えば西日暮里の修性院をさし両寺の間は900mほどで街道が通じており沿道には料理茶屋、水茶屋などが軒を並べていたそうです。

 

夕陽ニも及候ハゞ

可傭辻駕篭事

与御覚悟可然奉存候

先者御案内旁草々

御入来奉待入候不一

上巳之文

夕陽にも及び候はゞ 辻駕篭を傭うべき事 と御覚悟然るべく存じ奉り候 先ずは御案内旁草々 御入来待ち入り奉り候 不一

上巳之文

春暖日々相催候處

弥御安全被成御座珍

重之至御座候随而江戸

細工人原舟月作之内

裏雛一対並京都玉山

作之囃子かた禿人形

春暖日々相催し候ところ いよいよ御安全に御座なされ珍 重の至りに御座候随って江戸 細工人原舟月作の内 裏雛一対並に京都玉山 作の囃子かた禿人形

 

 

五人揃且庭前之桃花

相添御愛女様致進上

之候聊上巳御祝詞之

験迄御座候御笑納被

下候ハゞ幸甚之至奉

存候 頓首

五人揃い且つ庭前の桃花を 相添え御愛女様へこれを進上 致し候聊か上巳御祝詞の しるしまでに御座候御笑納くだされ候はば幸甚の至りに存じ奉り候 頓首


書翰用文鑑2 年賀

2016-06-09 08:57:03 | 書翰用文鑑

今回から書翰の文例に入ります。先ずは年賀の挨拶状

新春之御吉慶目

出度申納候先以其

御地御家内様御揃

被成御越陽奉恐寿候

次ニ当方無異儀加年仕候

新春のご吉慶めでたく申し納め候 先ず以てその御地御家内様御揃い御越陽なされ 恐寿奉り候 次に当方異儀なく加年仕候

※ 越陽という語は辞書にありませんが、一陽来復の陽と解釈して新年を迎える義と理解しました。

加年仕候乍憚御安意

可被下候右年頭之御

祝詞申上度如此ニ

御座候 猶期永日之

時候  恐惶謹言

同返事

加年仕候憚り乍ら御安意下さるべく候 右年頭之御祝詞申し上げたく此如くに御座候 猶永日の時を期し候 恐惶謹言

※ 永日 春の日の永いこと。 春になって日が永くなったらお会いしましょうとの意。

華翰忝拝読仕候如仰

春陽之御吉兆何方も

御用意目出度申籠候

弥御清栄御迎陽被

成候由珍賀之至ニ奉

存候右御祝詞申上度

華翰忝く拝読仕候 仰のごとく春陽の御吉兆 何方も御用意めでたく申し籠め候 いよいよ御清栄御迎陽なされ候由 珍賀の至りに存じ奉り候 右御祝詞申し上げたく

 

且御礼旁貴酬如此ニ

御座候猶永陽万

喜可申上候恐惶謹言

初午之文

打続天気快晴殊ニ

初午当日至極穏ニ而

且つ御礼かたがた貴酬此如くに御座候 猶永陽万喜申し上ぐべく候 恐惶謹言

初午の文 打ち続く天気快晴殊に 初午当日至極穏やかにて

 


書翰用文鑑1 表紙及び試筆

2016-06-06 13:21:47 | 書翰用文鑑

 会員の平井さんがヤフオクで購入された古文書を読んでみることにします。著作権を気にしなくても良いので全文を掲載できます。

 和綴じで46枚もある長文の古文書ですが、項目毎に区切りをつけて連載物として掲載するつもりです。それなりに中身のある文書ですから古文書好きの方にはよろこんでいただけるものと確信します。

 中牧岸之助という人物がこの著作の作者と推定されますが、全く無名の人のようでネットの検索にはヒットしません。冊子の終わりに大平郷藤尾村という居住地らしい文字が記されていますが、これも地図上に特定できません。

 江戸時代後期から明治にかけて手習いの師匠として世渡りをしていた一人の武士を想像しますが、その人が遺した古文書であるという以上のことは何も分かりません。

慶応四戊辰年

書翰用文鑑

蘭月吉祥

 蘭月というのは陰暦七月の異称です。この表題の冊子は慶応四年七月に作成されたということです。また左側の崩し字は「鶴」とおもいます。露に似ているのですが微妙に違います。四字も書いてあり、それも一字は裏側から書いています。

 これは文字の練習なのです。どこかへ提出した正文の扣などにこうしたことがよく見られます。紙が貴重だった時代においては珍しいことではありませんでした。こういうことからこの冊子が板行を意図した物でなく個人の雑記帳的文書であったことが窺えます。

試 筆

楽民之楽者

民亦楽其楽

みやこぞはるのにしきなりけり

正月元旦 中牧岸之助

年徳大善神

 試筆というのは筆ならしという程の意味でしよう。楽民以下は孟子の言葉です。ネットで検索可。みやこ・・は古今集和歌集にある歌の後半部です。後に出てくる。

 正月元旦は恐らく慶応四年の正月元旦なのでしょう。その二日後の三日には京都に於て鳥羽伏見の戦いが勃発。日本史の激動が始まります。

 年徳(としとく)の神は陰陽道から来たことばで恵方神のこと。ウィキ情報にあります。

試 筆

佳辰令月歓無極

万歳 千秋楽 未央

みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春のにしきなりけり

正月元旦 中牧岸之助

年徳大善神

 佳辰の「佳」は嘉の当て字でここは嘉辰でなければなりません。と言うのはこの成句は「和漢朗詠集」下巻「祝」からの引用だからです。朗詠集には「嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央」とあります。「祝」の題からここはめでたいことばを並べてあるのです。それぞれの意味はネットで検索できますよ。

 みわたせば・・の和歌は古今集にある素性法師の歌です。これもネットで簡単に見ることが出来ますが、終七のむすびが、ここでは「なりけり」と終止形を採っていますが、原歌では「なりける」と連体形になっています。歌人はこういうところに細心の注意をはらうのであつて、「けり」とされては面目なしというところでしょう。

 この古文書を雑記帳的と言ったのはそういう雑なところが散見されるからです。

奉 牽牛織女

風従昨夜声弥怨

露及明朝涙不禁

秋立ていくかもあらねとこのねぬるあさけの風ハなをもすずしき

      星 夕

            中牧岸之助

 これも「和漢朗詠集」上巻秋七夕からの引用です。次のように読みます。

風ハきのふの夜より声弥(いよいよ)怨み、露ハ明朝に及びて涙禁ぜず。怨という字をまちがえています。死に心などいう漢字はありません。

秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝ぬる朝明(あさけ)の風は手本(たもと)寒しも 安貴王

万葉集にある歌ですが、これも正確な表記になっていませんね。