婚礼喜之文
一翰令啓達候然者當
般御息女様御儀御婚礼
首尾能相整千鶴万
亀目出度御儀奉存候
軽易之至ニ御座候得共
御帯地並鮮鯛一折呈
上之仕候誠以千祥万
婚礼喜之文 一翰啓達令(しめ)候然れば當 般御息女様御儀御婚礼 首尾能く相整い千鶴万 亀目出度き御儀と存じ奉り候 軽易之至りに御座候得共 御帯地並に鮮鯛一折り之を呈 上仕候誠に以千祥万
禎御祥隆之甫与幾万
歳祝納候印迄ニ御座候
恐惶謹言
養子したる人遣文
倍御清福一段大慶仕候
然者今般仍御幸縁
御子息様御迎入之由千
寿万福目出度次第
禎御祥隆之甫(はじめ)と幾万 歳祝納候印迄に御座候 恐惶謹言
養子したる人に遣す文 倍(ますます)御清福一段大慶仕り候 然れば今般御幸縁に仍て 御子息様御迎え入れ之由千 寿満福目出度き次第
※恐惶謹言・・・恐れかしこまり、つつしんで申し上げる意。相手に敬意を表するために手紙の末尾に用いる語。▽「恐惶」は恐れかしこまること。「敬具」「敬白」などと同様に用いる。
奉存候御螟蛉之御祝儀
申上候印迄絹弐疋綿
三把備貴覧候乍憚皆
々様へ冝御祝詞御口達
被下候様偏奉資候 謹言
家督披露之文
這般愚息幸次郎へ家
督譲渡候而拙者儀者牛
存じ奉り候螟蛉之御祝儀 申上候印迄に絹弐疋綿三把 貴覧に備え候憚り乍ら皆 々様へ冝しく御口達 被下候様偏に資奉里候 謹言
家督披露之文 這般愚息幸次郎へ家 督譲渡候而拙者儀者牛
※ 螟蛉(めいれい)・・・《ジガバチが青虫を養い育てて自分の子とするという故事から》養子のこと。
※ 絹二疋・・一疋は一反の絹地。一反は着物一着分の絹地>
※ 綿三把・・綿は貫、匁の単位で流通していた。一把=1束=3.2貫=約12㎏。小売用単位・文庫の単位 が1束=1.5貫=約5.6kgとネットの記事を見付けましたが、よくは分からないようです。
嶋別荘へ引移致隠居
仕候御存之通愚昧未
熟之倅義ニ候間万端御指
図被成下拙者同様ニ御・・・・・以下の文無し。
仁科大町組
大平郷藤尾
中牧岸之助
源之昭好
嶋別荘へ引き移り隠居 致し仕り候御存じ之通り愚昧未 熟之倅義に候間万端御指 図被成下拙者同様に御・・・・文書はここで途切れています。
仁科大町組 大平郷藤尾 中牧岸之助 源之昭好
※ 最後のページにこの文書の著者である中牧岸之助なる人物の居住地らしい署名がありました。姓は源、諱は昭好、通称岸之助と分かったので長野県大町市文化財センターへメールで照会しました。その回答を掲載しておきます。
昨日お問い合わせいただいた、「藤尾村」について回答させていただきます。 まず、大平村(おおだいらむら)が本村で、藤尾は大平村の枝郷でした。公文書では「安曇郡大平村藤尾」、 松本藩の行政上は「大町組大平村藤尾」などと表記されました。
次に、藤尾には中牧姓が存在しました。記録としては『八坂村誌歴史編資料』に「弘化二年一〇月 覚音寺観世音入仏在家役付帳」の史料があり、そこに藤尾 中牧姓の方が四名記載されています。
なお、現在は藤尾から市内の大町地区などに転居され、藤尾に中牧姓の方はおられません。