拾った蹄鉄のことを先日の記事に書きましたが、全くの偶然からこの蹄鉄
に意外な可能性の存在することを発見しました。ミステリアスでなかなか面
白い経緯があります。
先ず拾った所ですが、荒木宮という村社クラスの神社の境内です。この神
社は狛犬に人気があるらしくネットの書き込みも多いです。蹄鉄は4月の
地震で鳥居が落ちてその後片付けの際に掘り出されたらしく楠の根方にさ
りげなく置いてありました。第一発見者のその処置はなんとなく分かります。
元の場所に埋め戻すのも芸のないこと、と言って持ち帰っても仕方のないこ
とで、とりあえずそこに置いたものと思います。
それを私が拾い持ち帰ったのですが、私の場合も蹄鉄に特段の意義を見
出した訳ではないく、子供時代の記憶を呼び覚まして懐かしく思っただけで
した。
社名が分からないので由緒など調べようもなく、二度目の訪問になりまし
た。私が調べたかったのは境内にある五百年記念碑でした。碑が建立され
たのは昭和8年とあります。これは何の碑だろうというのが疑問で地元の人
に聞いてみようと思ったのです。
発見場所 左下隅楠の根方の窪みの前に立てかけてありました。
地元の人来ないかなあと神社の前でまっていると、まことにうってつけの
おじいちゃんが犬を連れて通りかかりました。先ず社名を訊きました「荒木
宮」と判明、五百年碑は創建五百年ということでした。「今年は583年になり
ます」とその人。「わたしは昭和8年生まれですから」なるほどとナットク。
神社の周りに住宅はなく田んぼの真ん中に建っている。楠6本、銀杏3本が市の指定樹木になっています。雰囲気のある杜ですね。
いろいろ質問する中で蹄鉄のことを言ってみました。「戦時中この神社に
は比叡部隊という軍隊が野営していて、10数頭の軍馬がいた。その馬の
蹄鉄じゃなかろか」というセリフが出ました。「親父は区長をしていて軍の世
話もしていたためか、終戦になったときその部隊の馬を1頭もらいました。」
この人は終戦の時12才になっていたからこの記憶は信用できます。
それで軍馬についてネットで調べました。その結果「日本釧路種」という馬
種にたどり着きました。この馬は昭和12年(1937)に改良品種として完成
します。体高148cmと小型でありながらパワーもあり耐久力に優れ将校の
乗馬用あるいは輜重運搬用として大活躍をしたらしい。軍歌「愛馬進軍歌」
などに描かれているのはこの馬だと思います。
この蹄鉄を手にしたとき「小さい・・」というのが私の印象でしたが、小型種
と判明すればそのことが腑に落ちます。比叡部隊が編成されたのは昭
和20年4月沖縄戦を目前にしてさらに本土決戦に備えるためでした。兵員
は20,000人それが続々と京都から熊本入りをしている最中に終戦となりま
した。
この蹄鉄がその時のものである可能性は非常に高いと思います。第1の
理由は蹄鉄が小さいこと。第2は農耕馬は蹄鉄を着けないこと。第3は馬車
牽き馬は鍛冶屋で打ち替えるから神社などに蹄鉄を持ち込むことはまず考
えられないこと等です。何気なく拾った蹄鉄に意外な背景のあったことに驚
いています。
面白いものがありますね~。
蹄鉄は写真を送って釧路博物館へ照会してます。学芸員の方も乗り気でした。ポイントは蹄鉄の寸法です。ここが合うようですと、確定ですね。そうなれは貴重品です。
蹄鉄についての検索からこちらのブログを拝見しました。
(数年前の記事へのコメントで失礼します)
画像にありました蹄鉄について、その後釧路市立博物館から連絡はありましたでしょうか?
こちらの画像の蹄鉄は日本釧路種のものでしたでしょうか。