古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

大塩平八郎 貧民1万余人へ1人1朱宛施す

2016-10-30 21:55:51 | 日記

一 大塩平八郎二月初 所持之書物 銀四拾貫目余ニ 

  売払貧民ニ壱人前ニ金壱朱宛致施行 

  候由 右之世話いたし候書林も被召籠候 且又十

  八九日ニハ壱人前弐朱宛 猶施行致すと諸方へ

  触候て寄リ来ルもの共を集め候て人数ニ加へたり 

  とも風説いたし二取前施行ハ相違無之候事

  上記は熊本藩細川家家臣の家に伝わる「大阪出火騒動聞書」という写本より

引用したものです。古文書の書体の一部を参考までに掲載しました。

 「大塩平八郎の乱」という呼称件名はいつごろからそう呼ばれるようにったので

しょうか・・同時代の記録類iは以下のような標題のものばかりです。「大塩騒動

記」、「大塩平八郎騒乱記」、 「大塩騒動記」、「天保中大坂一件」、丁酉大坂大

塩騒動記」等無数にありますが、多くは「騒動」となっており、「平八郎の乱」とい

うような標題は当たりません。ということはこれはずっと後世になって命名され

たものと思われます。

 さて、ここに特にこの一項を取上げたのはこの文書を読んでいて少し奇異に

思ったことがあったからです。と言うのは大坂は銀遣いの中心地であり主たる通

貨は銀であったはずなのに平八郎の救済金は金貨で分配されたこと、この点が

気にりました。平八郎には数万冊の蔵書があったといわれ、それを貧民救済

に全部売り払った訳ですが、その代銀が40貫目、ここまでは銀遣いなの

す。れをわざわざ金貨に両替(手数料がかかる)をして分配したのですか

ら、分からぬです。そうしなければならなかった理由があってのことでしょう

が、その由とやらを知りたいものです。(今後の課題)

 ちなみに銀40貫目=金666余両=1万人余(1人1朱分配の場合)

 金1朱=銭250文 この時(天保8年1837)は異常な米高で白米1升180文、

 これでは救済金も焼け石に水ですね。

 


筆㓛之覚

2016-10-22 20:59:24 | 日記

著作権等を考慮して小画面にしています。(「光尚公譜」北川文書)

一、同十一月御知行折帋拝領筆㓛之覚

  一、百石より下者              拾 疋  但京銭壱貫文ニ〆弐拾目

  一、百石より五百石迄者        弐拾疋

  一、五百石より千五百石迄者     五拾疋

  一、千五百石より四千五百石迄者  銀壱枚

  一、四千五百石より壱万石迄者    同弐枚

  一、壱万石より上者            同三枚

右之通御定なり

     寛永十九年十一月廿五日             御奉行中

 「筆㓛」とは何か、初めに用語の説明をしておきます。領主は臣下へ領地を与えますが、それを知行と言い、その内容を記した文書を宛行状と称します。

 臣下にとって宛行状は命よりも大切な文書です。知行は子々孫々受け継いで行くであり、宛行状はそれを担保する文書だからです。

 ここではそのことを「知行折紙拝領」と言っています。そういう大切な文書は上質の紙に立派な文字で書いてもらいたいと思うのは人情です。その要請に応えて覚え書きが作成され、石高に応じた手数料が定められました。それを「筆㓛」と称します。

 さて、それでは手数料の金額について説明します。先ず「疋」ですが、1疋=10文というのが寛永のころの相場でした。金子○○疋というように呼称しますが、金・銅の交換比率は時代が下るにつれて銅貨が下落し、幕末にはなんと1疋=20文というレートになりました。ですから、古文書に「疋」とあるからと言っていつも1疋=10文ではないので注意が必要です。

 百石以下は10疋とあるので、これは100文ということです。ところが但し書きに書いてあることが大変おもしろいのですが、ここを理解しないとこの文書を読めたことになりません。

 京銭1貫文に〆20目とあります。京銭は鐚銭(びたせん)と呼ばれる粗悪銭のこと、また20目というのは熊本は銀遣いの経済圏でしたから銀目で換算式を表示したのです。

京 銭    1貫文(1000文)=銀20目    銀1匁=50文

寛永通宝  1貫文(1000文)=銀12.5匁  銀1匁=80文  

          上式は金1両=銀50匁=銭4,000文の公定レートより

 上の式から寛永通宝と京銭の交換比は1対1.6になります。則ち百石以下の手数料は寛永通宝で支払えば100文ですが、これを京銭で支払えば160文いただきます、ということです。2項3項は20疋、50疋ですから同様の計算式から割り出せます。

 4項以下は銀目で支払えとあります。銀1枚は重さ43匁の銀塊のこと。これを小判に換算すれば43/50=3分2朱くらいになるようです。(小判1両は銀50匁)

 


熊本新老人の会 俳句サークル 鶴亀句会 十月例会

2016-10-21 19:30:09 | 俳句

句会日時   2016-10-21  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   6人

指導者    宮中千秋(ホトトギス同人)・・山澄先生骨折入院のため代理をお願

         いしました。

出句要領  6句投句 6句選  兼題「コスモス・小春日和」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次 会   水前寺公園周辺吟行 11月18日(金)10時参道集合

 毎回このメンバーでやっています。左から3人目宮中先生。来月は山澄先生が復帰されるので、宮中先生は今月をもってお役御免となります。記念写真を撮りました。

     宮中千秋選 特選9句

姉と共に小春日和の出湯旅       茂 子

小春日のわが影法師老いしかな    安月子

秋の灯やまた読み返す愛読書     武 敬

頼みごと子に言ひそびれ栗を剥く    安月子

一つの忌終へし安らぎ虫の夜      安月子

蘂つかむ脚に力や秋の蝶         礁 舎

夕焼の焼くる一ト時鳥渡る         礁 舎

ヘルパーと散歩に出るや小六月    武 敬

飛行雲くづれ小春日和かな       綾 子

先生の6句

画架立つる湖畔の小春日和かな

鮒釣りに出かける江津の小六月

開拓の家の十軒秋桜

つぎつぎと仔牛の生るる牧小春

コスモスを揺らして列車通りけり

放牧の牛を見廻る小六月           以 上 


老中奉書

2016-10-16 13:25:04 | 日記

著作権等を考慮して小画面にしています。

 

 古文書のサイトらしく古文書を取り上げてみます。上の文書は江戸幕府より熊本藩細川家へ発給された所謂老中奉書といわれる文書です。文書の原本は細川家永青文庫に保管されている筈ですが、これは藩校時習館の物書き役をしていた家臣が写し取った写本の中にある一通です。(北川文書)

先ず翻刻をしてみましょう。

一  同(寛永十九年1642)七月十六日天草百姓之儀ニ付御老中より之奉書

一筆令啓上候  天草嶋原領 先年滅亡所ニ 今百姓無之 不作

之儀ニ候 然者領内百姓之内 親子 兄弟 五人も三人も有之候而

其所之田地不明 郷村より壱人宛 可遣候旨 被得其意 御奉公

之儀ニ候間 被差越尤ニ候 恐々謹言

    七月十六日            安部対馬守

                        安部豊後守

                        松平伊豆守

              細川肥後守殿

 翻刻文を読めば意味は分かりますよね。天草嶋原の乱に加わった農民およそ37,000人は老幼男女の別なく全員が処刑され、彼らの居住していた村々は廃村となってしまいます。跡地を統治する幕府は流石にそのままにはできないので近隣諸藩へ入植者を入れるよう命じます。

 これは命令であって任意の募集ではありません。「御奉公の儀」というのはそういう意味です。そこが前近代社会なのです。

 ところが現代社会にあっても似たような事象はあります。例えば大企業の希望退職募集。表面上は募集なので退めたくなければ応じなくても良いかというと、かならずしもそうなっていない実情はいたるところで目にします。

 日本社会は寛永の頃からさほど進歩していないとも言えますね。


秋2

2016-10-15 00:32:00 | 日記

 秋の深まりが加速しています。短パン半袖姿では過ごせなくなりました。暑い盛りには早く涼しくなつてくれ、と切望しましたが、こうなると暑かった夏が却って懐かしく思われます。

 これは蜂でしょうかそれとも蝶・・?忙しく飛び回って蜜を吸っています。この触覚はゼンマイ仕掛けのように巻いたり伸ばしたり伸縮自在。

 胴体は空中に停止しまま、まるでオスプレイのような飛行。墜落事故をよく起こす欠陥オスプレイと違って、この虫の飛行には安定感があります。


下江津に鴨来る!!

2016-10-12 11:36:19 | 日記

今年も江津胡に鴨が渡ってきました。日々観察をしているわけではないので何時飛来したのか分かりませんが、バードウォッチングをしている知人に聞いたら、以下のようなメールがとどきました。

9月22日の ヒドリガモ6羽 と コガモ2羽が初認です。
 
今日10月11日には、ヒドリガモは392羽、コガモ16羽、カルガモ15羽でした。
 
毎日、数えています。
 
これは驚きです。バードウォッチングというのはただ観ているだけではないと言うことが分かりました。「初認」などいう用語は初めて聞きます。300や400のうちはそれほどでもないでしょうが、1000,2000と増えたら数取りも大変だろうなあ・・
 
写真はあまり鮮明に撮れていませんが、これでも200mmの望遠を使っているのですよ。

アップもこれくらいが限度です。鴨は近寄ると退くのですよ。人にはいつも一定の距離を保っています。だから普通のカメラでは撮らせてもらえません。

これは芦の穂です。靡くために穂に出たような感じがします。


秋!!!

2016-10-07 17:39:25 | 日記

庭に黄花コスモスが咲き蝶が一日中飛び回っています。台風の心配もなくなり、いよいよ秋本番、暑くもなく寒くもなくよき秋日和が続きそうです。

今蝶と書きましたが、これは蝶でしょうか・・蛾ではないかとも思うのですが、どうなんでしょう・・蝶なのかそれとも蛾なのかどうもモヤモヤが晴れません。

 


手作りチラシ

2016-10-03 18:14:42 | 日記

郵便受けに上のチラシが入っていました。量販店やスーパーの新聞折り

込みチラシは毎日のように入りますが、このチラシはそれとは違い一枚だけぽ

つんと入っていました。大きさはA4の半分くらい、豹革のような模様の枠の中に

見ての通りの手書きの文字と写真です。一見して垢抜けのしない素人臭いチラ

シですが、一生懸命に作った跡が感じられ好感を持ちました。ご丁寧に誤字ま

であって漢字に弱い若い人の作品であることも想像されて、却って親しみを感じ

ました。

これを作った人に是非とも会ってみたいと思い今日お店を訪ねました。

奥の方に帽子を被った女性が立っていますが、その人がチラシの製作者です。30代半ばくらいと見受けました。

来意を告げると大変喜ばれましたが、誤字について恐縮しておられました。ツタヤ2Fのフロアーには他にも5、6店テナントが入っていますが、「GERCE」は奥まったところに売り場がありました。

なかなか洒落た飾り付けのお店でした。フランス直輸入だそうですが、価格は1万4,5千円から2万円くらいの商品が主流のようです。

本社は福岡市にあり、熊本に出店して1年になるそうです。チラシ作りでも分かるように接客態度にも誠意が感じられ、こういうお店は伸びると直感しました。


熊本歴史学研究会10月例会のご案内

2016-10-01 12:39:02 | 歴研

 菊池川歴史文化の中心をなす、菊池一族について考察致します。漸進なる切り口に皆さまびくっりなさることでしょう。

     花岡興史さんのお話

 菊池一族の研究は、研究史上では歴史的総体の中で再検討されており、一定

の成果を得ている。しかし、一般的には、南朝に対する「純忠」「勤王」という史

観のまま放置されているのが、現状であろう。菊池一族は、歴史的には決して

主流に躍り出る場面が多かったわけではない。また、合戦無しには、その存在と

発展をうかがうことが出来なかった。 

 この一族は、同時代の人々にとってどの様な存在だったのか、また、現在我々 

が認識している菊池一族像は如何にして形成されて来たかを明らかにする。

月 日  10 月22 日(土)14:00 ~
場 所  熊本市立図書館 集会室
報 告   花岡興史氏 九州文化財研究所
     「菊池一族とはなにか・・・近代における受容と認識」

出席希望の方事務局までご一報ください。℡096-385-2645(本田)