県立図書館の許可が下りたのでアップします。堀内傳右衛門聞書は「覚書」と称するものもあり、全て写本です。そして一冊として同一のものはありません。人の手から手へ書き写されて行く訳ですから原本から遠離って行くのは当然と言えば当然、熊本県立図書館の蔵本もその中の一冊であって原本ではありません。
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浅野内匠頭様御家来十七人之衆、御預之刻我等事御受取にも
被遣其後御預之内、林平助、村井源兵衛、我等三人御付置被成候故、当
番之刻十七人衆と心安語申候ゆへ、何もの物語共承申候、外之衆へ
咄被申候事も定而可有之候へ共我等へ咄被申覚候通りあらまし
書付置候、貴殿ハ折々見可被申候、尤、同名共並び縁者他人ニ而も見申度
と申仁候ハバ実庭の志次第見せ可被申総体今度の一巻むざと
咄申さぬ様にとの儀に御座候、其心得にてむざと見せ申間敷事
一、元禄十五年午十二月十五日月並之為 御礼御登城被遊候處ニ
於 御城浅野内匠守様御家来十七人御預之旨被 仰渡候間、
泉岳寺ヘ受取ニ御侍中被遣候て従 御城藤崎作右衛門上ノ御屋敷へ
御使に被参候、我等ハ折節当番ニて町屋敷より上御屋敷へ罷出居申候
定テ被遣人数の内ニても可有之と存じ直ちに同名平八小屋ニて飯なと
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給候而直ニ罷出候、十五日之昼過八ツ刻前ニ上御屋敷罷出申候事
一、三宅藤兵衛、鎌田軍之助、平野九郎左衛門、横山五郎太夫、堀内平八、匂坂平兵衛
此分ハ裏付之上下着用、物頭皆供かっこう何もハ羽織袴着用、芝上
御屋敷より被参候物頭共並ハ羽織裁付着用ニて候事
三宅藤兵衛、鎌田軍之助、平野九郎得右衛門、横山五郎太夫、堀内平八、匂坂平兵衛
原田十次郎、牧七郎右衛門、須佐美九太夫、野田小三郎、志方弥次兵衛、冨嶋伊兵衛
堀内傳右衛門、林兵助、村井源兵衛、池永善兵衛、沢庄兵衛、堀内五郎兵衛
竹田平太夫、松浦儀右衛門、氏家平吉、寺川助之丞、本荘喜助、吉田孫四郎
塚本藤右衛門、□□権八、石川孫左衛門、田中隼之助、池辺次郎助、魚住惣右衛門
横井儀右衛門、宇野弥右衛門、服部番右衛門、
木村権左衛門、関弥右衛門、郡次太、(本道)下川周伯、(外科)原田元沢、
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一、歩之御使番服部鷭右衛門、木村権左衛門、関弥右衛門、郡次太夫此外ニも有
之候哉覚不申候、歩御小姓なども大勢被参候へとも一々覚不申候定而
委細之御人数付可有之候間不見候事
一、足軽百人余駕十七丁外ニ用心駕五丁都合人数七百五十余と
被承申候事
一、右之御人数御知行取不残馬ニて上御屋敷より罷越申芝之御屋敷表
御門の前ニて芝御屋敷衆も罷出何も申合分泉岳寺へ参候筈之處ニ
様子替り千石伯耆守様之御屋敷愛宕下ニて受取申筈之由ニて
直ニ此方之御人数ハ愛宕之下細川和泉守様御屋敷へ参御門内ニハ
侍中斗入候而夜ニ入四ツ過に伯耆守様御屋敷へ何も参候事
一、此方ノ御預之衆一番ニ御渡被成候三宅藤兵衛、鎌田軍之助、堀内平八
此分ハ伯耆守様御前へ被召出鈴木源五右衛門様、水野小左衛門様御列座ニて
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十七人之御預衆請取可申旨被仰渡候由ニ御座候右之外皆共より已下ハ
御門外ニ罷在候事
一、十七人之衆ニも伯耆守様被仰渡候ハ銘々御書付およみ内蔵助ハ御
側近ク被召寄右ハ十七人ハ細川越中守ニ御預被成候左様心得候へ乗物ニ而
被遣候儀いかが共思召候へ共此内老人も有之けが人も有之候又ハつき候而
参候衆の為ニ而も候間旁々ニ而乗物ニ而可参候と段々御念被入候而被仰
聞難有儀にて度々何も被申候
一、十七人之衆何も駕ニ乗り被申候而請取人ハ御門外ニ居申それぞれニ請取
御門前ニ残申候而御紋付之大ちゃうちん二ツ宛自分之小桃
ちん一宛ニ而尤駕一丁ニ騎馬一人宛つき歩行ニ而手負けが被仕候衆
にて之由ニ而いかにも駕をしづかに細川和泉守様御門前より松平
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隠岐守様表御門前より愛宕之廣丁へ出三嶋丁より通り丁へ出申候而
芝いさらご坂より此方之御屋敷目黒御門へ入役者間之玄関より入御廣
間之くしがたの次之間より二座ニ居被申候其夜ハ何も先一座ニ
着座被仕候道筋静々参候故夜更八ツ過ニ着被仕候事
一.太守様其儘御出被遊候尤皆共儀も其儘居申様ニとの儀ニ而罷在
能承申候御意ニハ扨々各今日之仕形神妙ニ思召候何も是に大勢
侍共召置候ニも不及事何と哉覧(やらん) おこがましくも思召候へ共是ハ
公儀ニたいし被召置候間皆々左様被相心得何そ相応之用事承候
得と御番之御家来共御覧被遊被仰聞候最早夜更候間先早く
料理を給被申候様ニとの 御意ニ而御入被遊何も難有被奉
存体相見へ申候右之通ニ而夜更候迄後待被遊召刻御出被
遊候 御意之儀私共さへ承涙をながし申候間何も難有被
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存候事尤ニ存候後々迄も此儀ハ被申出有難がり被申候事に候
一.十七人此方之衆ニ御渡候刻も乗物之戸なとあけ申度望被申候ハバ其通
被仕候而も不苦思召し候けが人も有候間道も静々参候様との皆共へも
被申渡候故道中道すがらもたれとハ不改候へ共堀内傳右衛門と申もの
御同道仕参候何そ御用有之候ハバ戸まどなどあけ度思召候ハバ被仰
聞候へと歩行ニ而参候衆ニ被申候へと申渡候事
一.右之通其夜其儘御対面被遊候ハ 太守様迄と申伝候残ネ
御三人御衆ハ爲已後此方之後様子を御聞給候而御逢被成候由ニ御座候
於 御城十七人御預之被仰渡候刻も 太守様御請御尤至極
成儀申候何も御感ニ被成候御沙汰御旗本之咄承候由寿命院など
咄被申候由江村節斉被申聞候泉岳寺ニ而御請取被遊候様ニとの
儀ニ付御家来共ニ迄被遣候儀無御心元被思召候 御下城已後
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不苦候ハバ御自身御出被遊度思召候いかがとの儀ニ付被入御念候儀共御相談
可有之とて重而被仰出候ハ御自身之御出ニハ及申間敷候御家来迄
ニ而能御座候との儀ニ付何も御家来迄被遣候右之御請御尤成る儀
と沙汰御座候段申伝候事
一.町屋敷よりハ林兵助、村井源兵衛、我等三人代々芝御屋敷ニ居申ハ八木市
太夫、吉松加左衛門両人代々右五人ニ而両人宛夜白相勤め候筈被仰付候
三宅冨士兵衛方被申聞ハ総体今度之一巻之咄仕候事堅無用ニ候
あの方より一巻咄出シ被申候共皆共返答之様子ニ而ハ咄もやミ可申候
其心得ニ而相勤候へとの事ニ候故其各御ニ而何も罷在候然レ共能々
了簡仕候得ハ今度之一巻之儀古今不及承候忠臣ニ而候武士
たるものの一番鑓、一番首、鑓下、鑓脇或ハ殿(しんがり)退口、籠城打死、
或ハ追腹など此等之働さへ唯今御静謐之時分ハいきのこり
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たる老人或ハ其子共ニさへ昔咄承申ハ武士たるもののならひニて候
右之働有之子々孫々天下之大小名之家々ニ何も有之不躾事な
がらそれさへ若きもの共ハ承置度と存候事ニて候今度之一巻誠ニ
古今不承候忠義と存候万一無怠御赦免ニ而何も寄合被申候利数日之
御馳走結構成様とも侍中も大勢大小身共ニ段々出申如形馳走仕
候得共今度之一巻之咄を終ニ尋も不仕間ニ咄きかせ可申と仕候へば
咄されぬ様成るあいさつ共ニ而いな事と可被致候私共へハ冨士兵衛殿度々
一巻咄不仕様ニと被申候外之御三人様御座敷ニてもそれぞれニ思召
寄ニ替りも可有之候私は何とも了簡ニ及不申ととかく少透を
御見はからひあらましの様子御聞被成可然様存候いかが思召候哉と
折節色付之間ニ平野九郎右衛門同名平八咄申所ニ而申出候ヘハ両人も
いかにも尤ニ尋候承置度事と被申候昼之内ハ御側方段々ニ出被申
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透も無御座候最早夜食も過幸之時分と存候唯今様子見候而可参と
て其儘罷出見申候得バおもひおもひに打寄咄なと仕居被申候能キ時節
と存九郎右衛門、平八ニ唯々随分能キ時節と申候得ハ其儘両人罷出
被申吉田忠左衛門、腹惣右衛門両人を片わきニ呼よせ被申しハらく
咄居被申と一巻の様子あらまし承申由被申候事
一.右之翌晩夜ニ入原惣右衛門何か守数之物を書キ居被申候夜更ニ而
仕廻被申候物とぢ申小刀も無之故八木市太夫を頼とぢさセ被申候
今度之一巻之書付と承申候前之夜九郎右衛門、平八一巻之あら
まし尋申候故外ニも又尋被申衆有之候ハバ右之書付見セ可申
との事ニ候哉御書所ニ而市太夫とぢ申刻寄合ニ而写シ申と
承及申候我等ニ調くれ被申候書付同前之由承候事
一.上之座ニ大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五左衛門、間瀬