古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

「江戸往来」初版本の発見

2019-07-11 20:23:31 | 江戸往来

 坂川暘谷著「江戸往来」の読み合わせをやっていますが、平井さんが珍本があったといってボロボロの和綴じ本を持ってこられました。写真を掲載しましたが、これがナント「江戸往来」の寛文10年版でした。初版は寛文9年ですから、ほぼ同時期の版物です。裏表紙に「寛文十庚戌年九月吉日」書林五兵衛とあります。


寛文10年(1670)板行といえば350年が経過しています。申し分のない古さです。


所有者の落書きがありますが重ね書きのために判読できません。

 


裏表紙。所有者は貞享5年に購入したようです。■村七兵衛というのが所有者の名前のようです。

 


ルビが振ってあり訓点も施されているので読みやすいです。暘谷のは白文ですから講師は苦労しています。


江戸往来1  翻刻版

2017-04-07 00:37:54 | 江戸往来

 会員の平井さんがヤフーおークションで購入された版本の「江戸往来」です。著作権を気にせず掲載できます。

 「芝泉堂」というのは芝浜松町二丁目にあった筆道塾で、ここには諸藩の右筆や手習い師匠を育成する上級の書道家を目指す人材が集まって門弟数三千人を擁したと言われる当時において日本一の書道塾でした。

「江戸往来」は1669年(寛文9)/往来ものでは先駆的な作ですが、著者不明。江戸の武家の儀礼や、行事、江戸の地名、神社仏閣、諸国の物産などを紹介して、江戸についての参考書のような使われ方をしたようです。

寺子屋などではもじ習得のテキストとして使われました。別名「自遣往来」 

 

 

芝泉堂先生書

江戸往来並八景和歌

東都書林 泉栄堂梓 

 

自遣往来

陽春之慶賀珍重珍重

富貴万福、幸甚・幸甚、日々

新而自他繁栄重畳、於

于今者雖事旧候、猶更

 

                        不可有休期候、先以年始之

御規式、元日二日御一門之

御方々、国主、城主之歴々

三献之御祝、其外諸候

昵近之面々、詰衆、番頭、物頭

 

諸役人、諸番之健士、御流

頂戴之、且又大中納言、参議

中将、少将、侍従、四品五位之

諸大夫迄者、美服二領宛下

賜之、依家禄之軽重与官

※休期・・・(きゅうご)辞書にない言葉ですが,現代の言葉に訳すれば休暇

 

                         位之浅深、或台、或以廣蓋

拝領之、三日者諸大名之息子

無位無冠並諸家中之証人

及京都、大坂、奈良、堺、伏見

淀、過書、銀座、米座之輩迄

 

群候于落縁、品々進物奉

捧之御礼申上候也、同日入夜

為御謡初酉刻大広間

出御祇候之大小名令着長

装四座之猿楽、群居

※証人・・・江戸時代、幕府が人質の意味をもって、江戸屋敷に居住させた

       大名の妻子。

 過書・・・ 関所通行の許可証。律令制では、官人に政府の発行する通行証

      を携行させた。中世には通行税免除証となり、江戸時代には関所

      手形となった。かそ。ここではその場所を言っているようだ。

  ・・・読みは装をつくろふるですが、つくろうが漢字一覧にありません。

 

                     板縁、御囃子三番、所謂老

松、東北、高砂是也、折々小

謡唄之、従諸候所献御盃

台、銘々披露有之間、御酒

宴也、御作法之結構、言語

 

道断、難顕筆端候、門々警固

挑灯者輝櫓多門、焼戦篝

火者映堀水、不異白昼候

五日者寛永寺之僧侶数

十許之輩、六日者近里遠

 

                        境之諸寺、諸山、出家、社人

山伏等数百人充満于営中

奉拝 台顔、七日者七種之

御粥献之、十一日者御具足

御祝並連歌之御興行是

 

依御嘉例也、十五日者恒例之

諸御礼、十七日者東叡山

御参 宮、廿日同所御参堂

廿四日増上寺御仏詣也、凡

此三箇日者別而被改御装束

※台顔・・・将軍の顔、拝謁すること。

                        被回長柄之御輿、供奉之

勇士列二行其出立、或時者

衣冠衛府之太刀帯之、又或

時者大紋風折烏帽子也

布衣以下平侍、頗難斗

 

其員、辻々、門々、屋々警固

着烏帽子、素袍袴、平伏

大路而敢無奉拝御轅(ながえ)

殿及入御者予所候之

        伶綸奏楽、繁絃、急管金

※布位・・・(ほい)6位相当の官職

 

                        玉之聲玲瓏而澄心耳

衆僧者解御経之紐、奉読

誦之音声斗会而響

青雲九天之上、天人影降

菩薩来臨経歟与疑、無

 

精草木垂枝敷葉翔空

翅下地、走地獣者屈膝抛

脛、况於人倫哉無不傾渇仰

首御先祖之御崇敬、仏神

      御信仰l理世安民之御政言袷(かれ)

 

            言恰(これ)前代未聞之名君挙

世所知之也、猶追日、時々節々之

御祝儀、其外臨時之御祝等

連綿而無断絶候、誠目出

度御粧嘉展令月歓無

 

極千秋萬歳不易之御代

誰不奉仰之哉、因茲国々之

土産所々之珍奇、日々之進物

菓肴衣服器財以下雖令

混乱任、思出馳禿筆

※禿筆・・・(とくひつ)穂先の擦り切れた筆。ちびた筆。また、自分の文章や筆力

       を謙遜していう語。

 

是併大海之一滴九牛之

一毛也、先御菓子者吉野榧

非異朝、大和柿、小渋柿、西

條柿、八代蜜柑、白輪柑子、上

條瓜、真桑瓜、舳瓜、川越瓜

 

当所之新田、鳴子瓜、浅草

鯉、芝肴、品川海苔、馬刀蛤

岩堀菱、醒井餅、仙台糒(ほしい)、

氷餅、甲州之楊梅、林檎、丹波

大栗、朝倉山椒、鎮西之薏

 

 

 

                                              

          以仁、博多練酒、白芋茎、

 

         菊池海苔相良和布、雅海藻、

十六嶋海苔、日光山岩茸

富士苔、松本漬蕨、川茸、海

(うみきのこ)、入野鮒、岩槻鯽、竹嶋

 

海部熨斗、紀伊国忍冬

酒、興津鯛、丹後鰤、能登鯖

岩城浮亀、海丹塩辛、松前

昆布、膃朒𦜝(おっとせい)、小豆島之串海

鼠、、五嶋鯣(するめ)、宇和鰯、黒漬、疋

 


江戸往来2  翻刻版

2017-04-07 00:37:06 | 江戸往来

田鮎、釣瓶鮨、志筑塩辛

欧州鮭、披子籠、盬引、粕漬、

海鏡、同漬菜、味噌漬、鰹節

麹漬、飯蛸、糟漬鰷子籠、同

深山、巣米、粃漬鱒、寒水漬

 

弦、雁、鴨、南部藷蕷、同雉子

鷹、雲雀、梅首鶏、水

札、鶉、川鳥、潮煮之菓子鮑、生干

膾残魚、近干鱵、取交切𩻄(うるか)、

鯖背腸、鰤腸、三州串蜊

 

鯨百尋(鯨の腸)、蕪骨、鮊、目刺、石蚴、

鱲子、鮭甘子、筋子、鳴子、女冠

者白干鯣、七嶋鰹節、松山

鱫鱜、瀬田鱣鮓、醍醐蒸笋、

朝比奈粽、伊予索麪、川俣

 

芋茎、福知山蕨粉、横須賀

卜治、稲荷山松茸、東條烏頭

勢州糸和布、松尾梨子、小布

施栗、、道明寺寒糒、濱名納

豆、善徳時酢、麻地酒、会津

 

蠟燭、炭斗瓢、筑後焼、半田土

鍋風爐、前土器、高山麵桶、片

口、光瀧細炭、一倉炭、御室

焼茶碗、伊万里焼皿、備前焼

徳利、信楽焼水飜、薩摩焼

 

茶入、膳所焼鉢、唐津焼香爐

琉球芭蕉布、同泡盛酒、古筆

新筆之絵讃、異国本朝墨

跡、陸奥、甲斐、伊予、松前、朝鮮

大鷹、(はいたか)、兄鷂(こたか)、鶽、雀鷂(つみ)、萑𪀚

  

刺羽、逸物、仙台、南部、甲府、信

州、土佐、薩摩之駿馬、武具者

鎧、甲冑、太刀、鎗、長刀、弓箭、

鉄炮、玉薬、、箙、空穂、調度掛、

異国船入津之節者、紗綾、縮緬

 

北絹、繻子、珍、綸子、純子、奥

嶋錦、金襴、天鵞絨、毛氈、羅

紗、羅背板、猩々緋、蘇木、紫檀

白檀、檳榔子、沈香、伽羅、肉桂

丁子、大楓子、大服子、附子、紅

 

花、丁香皮小黄連山帰来

麒麟血、阿仙薬茴香、干

竹子、天門冬白荳蔲、赤土、青

黛、、木梨花、明礬(みょうばん)、硼砂、碧礬

胡椒、蘆薈(ろかい、アロエのこと)、辰砂、椰子油、蘓

合油、牛黄、犀角、鹿角、草

茶碗、薬、膽礬、牛角、水牛

角、蠟、漆、紙、墨、筆、卓、香炉、

香合、香盆、花入壺、茶、藤、蘭、

竹櫛、赤熊、白熊、黒熊、象牙

 

水銀、鮫、錫、廣南鍋、龍脳、麝

香、菩提樹、瑠璃、硨磲、瑪瑙 

珊瑚、琥珀、瑇瑁、鼈甲、鹿皮

小人嶋革、烏蛇皮、山馬皮、山

人驢馬、玲瓏犬、麝香猫、孔 

雀、口赤鳥、黄頭鳥、砂糖鳥、

藤鳥、海鳩、長生鳥、錦鶏

鳥、田鶏鳥、白頭鳥、鶊鴣

呼鳥、翡翠鳥、東埔塞鳩(かぼちゃはと)、

金鳩鳥、巣蜜、龍眼

 

肉、三国米、葡萄酒、此外漫々 (此外漫々)

無際限雖営内廣餘置席(際限無ク営内廣シト雖モ席上ニ置キ余って)

上作山于庭中 抑大廈之        (庭中ニ山ヲ作ル)

御構方廿余町也従郊外東

方者、至于八丁堀、木挽町

鉄炮洲、女木、三谷、霊岸嶋而

僅不足十町、是海岸拠

故也、西者至于市谷、四谷、中

野、牛込、小日向、小石川、高田、

雑司谷、千駄木村而二餘

 

 南者至于赤坂、青山宿、一

 木村、桜田、愛宕下、西久保、

 麻布、渋谷、白金、目黒、池上

 芝、品川、、神奈川、而七里、東海

 

道之順路是也、北者浅草

浅茅原、隅田川、千住、板橋

越谷、平柳迄四里也、都而

東西三十四里、南北十余里、大

小名之家々、思々之営作、以

金銀為築地、以珠玉為砂


江戸往来3 翻刻版

2017-04-07 00:36:38 | 江戸往来

石泉水築山構眺望催

日夜佳遊之宴此外所々神

社仏閣逼々、民家小屋、継

軒端建続可立錐無畾地、

草累之武蔵野者、名耳

 

残而有明之月も従家出而

入家歟与被奇候于程、繁

昌豊饒之体、可令想像給也、

斯處東西者地下而濕

深ク、水甚醎故、不忍渇不肖者

 

自馳于東西走南北求水

不得寸暇、家業空費時砕

魂云々 然

貴大君忝遙被聞召行

程十余里当西有玉川

 

水清冷而味俣尋常也、曳彼

於于爰而可令安之条被

仰出之依之掘山穿岩、数月

励成功、遂明暦年中聊無

障来于城下、長流之水、幸

 

成薬、治病除患去渇、里民

快楽何事如之哉、次当于北而

有隅田川、至下而云深川、元

来大河而従往旧無橋、深

事応名千尋而其水奔如

 

矢以舟船雖渡之、風波之災

不任雅意被押流漫々漂

于大海、或逆巻水被覆船、

底之滓成果者不知幾千

万人、此儀又及 高聴之處

 

 

如何而掛橋可令為往還之

通路之由有 厳命而深慮

智化良臣股肱耳目之頭人

衆議評定一決畢而課工経

営之万治年中是又令成

 

就殆可謂魯般雲梯哉、此

方者武蔵、向者下総也、故

呼俗称両国橋往来之旅人

老若男女畏悦挊躍、難有

無云斗自彼橋見渡即

 

安房、上総、筑波山、日光山

浅間嶽、富士高根眼前候、

天晴懸御目度候、速有

御下向而可令歴覧也、将又

当于艮角有景地摸坂

 

西之比叡山被號東叡山

是也、是則

東照宮御鎮座慈眼大師被

仰含之去寛永年中御草創

守当城之鬼門、為悪魔降伏

 

霊場、二六時中之勤行、聊以

無懈怠奉抽誠精境内及十

町四方乎、宮社僧坊雙玉甍、

諸木連枝森々、前湖水称不

忍池、中築一嶋、被安置弁才

 

天、参詣之諸人者解錦之

䌫、桂橈、蘭檝、敲舷謡今様、

亘岩松風、岸打波、頻添颯々

聲、詩人者題池辺之月、

歌人者山頭之花、或樹下

 

敷筵、或芝上設席、林間煖

酒、紅葉之燒物、蘭麝匂芬々而

恰殊聲花、童男童女簪

羅綾袂飜錦繡裔、小歌、三味

線、琵琶、琴、笛、鼓、太鼓、生苔

 

鳥不驚今此御代也、誠以免

伝多久 穴賢