古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

第二回 宗像夕野火顕彰俳句大会投句要領

2020-05-22 09:30:09 | 

趣 旨 

 郷土が生んだ俳人宗像夕野火を偲んで、その業績を讃え、伝統ある俳句文化を後世に引き継ぐため、顕彰俳句大会を開催する。

開催日時
 令和2年9月26日(土)、受付開始午後1時、大会開始午後1時30分より、終了予定午後5 時

会 場
 球磨郡多良木町駅前 多良木町交流会館 石倉

募 集
 小学生 中学生 高校生は1人2句まで
 一 般 2句1組 何組でも可 雑詠未発表の句に限る 所定の用紙、又はB5判200字原 稿用紙
投句用紙


                   この画像をB5判用紙にプリントしてお使い下さい。

投句料
 小学生、中学生、高校生は無料
 一 般 2句1組1,000円 何組でも可 郵便小為替または現金書留にて納金

投句締切
 令和2年7月15日 厳守 当日消印まで有効

投句先
 〒862-0922 熊本市東区三郎2丁目19番9号
 俳誌「松」発行所内 宗像夕野火顕彰俳句大会事務局 電話 096-381-3774

選 者
小学生低学年の部  村田 徹(俳人協会会員・松同人)
小学生高学年の部  西浦大蔵(俳人協会会員・松同人)
中学生の部     園田篤子(俳人協会会員・松同人)
高校生の部     岡本ゆう子(俳人協会会員・松同人)
一般の部      西村泰三(俳人協会評議員、支部顧問、俳誌「松」発行・編集責任者)

後 援
 多良木町・同教育委員会・同文化協会・湯前町・同教育委員会・同文化協会・あさぎり町・同教

 育委員会・水上村・同教育委員会・熊本日日新聞社・熊本放送・熊本県俳句協会・俳人協会熊本

 県支部

 

 


俳誌「松」若竹號 2020-05

2020-05-21 20:39:27 | 

 主 宰  五 句     村中のぶを

金鳳華北の雪嶺日を浴びし

春寒き拈華微笑(ねんげみせう)の遺影かな

 (子規の頭おもふよ洋梨見てあれば 占魚)
芳墨の一軸かかげ春の燭

遠嶺雪斑らに春田鋤く日かな

あめつちの明るさのなか辛夷咲く

 松の実集

 花満る  福田祐子
災を飛ばしてしまへ春疾風
春宵やスマホで交はす宴かな
花満る母と乗り会ふ人力車
風光る海の匂ひの観覧車
風光る亡き子を想ふ葛西沖

 庭牡丹  酒井信子
閂の固き牡丹の客案内
春風や待ちし合格通知来る
はくれんに塀越えて来る風眩し
花荊見上げ息つぐ朝の試歩
蝶つまみ損ねてはまた泣く子かな

 四旬節  坂梨結子
朝ミサの帰りにしかと初音かな
笹鳴きの庭木蓮の一斉に
帯となり中州まぶしき花菜かな
きらめきて集ひて稚魚や春の川
祭壇に供へ小手毬四旬節

 遺 影   鎌田正吾
畑仕事終へ庭仕事日脚のぶ
とどまれる雲の光りや野梅咲き
和太鼓の音のこだまや梅まつり
中天を野火のうづまく草千里
診療を待つ間見とれるシクラメン
 三月二十九日死去、熊本「松」句会への最後の投句より五句抄出。

雑詠選後に    のぶを

春陰や祈りをとかぬ石仏   菊池洋子
 句は「春陰」の或る一隅に存す、合掌した「石仏」の姿を、未来永劫に「祈りをとかぬ」と詠じています。つまりその事実からして、詩として、より鮮明に対象の姿が見えて来る表現をとって、季題も季題らしく、ひいては私共の(写生)に対する要諦をよくよく示してゐます。

犬なだめつつ東風の門出る女  安部紫流
 「東風」とは春を告げる風、逸り立つ「犬なだめつつ」、その「門出る女」、門はむろん、かどと読むべく、一読してなにか雰囲気のある一句です。結句の出る女、それは普通の門先ではなく、句柄からして高い門扉から現れた女人らしく、それも資産家風の人では-。それにしても印象的な詠出ではあります。

凧揚げに倦みて眺むる城普請  村田 徹
 掲句は、作者自身の「凧揚げ」と、同じ空のもと「城普請」とを詠んでゐます。それは単調といへば単調な遊びの凧揚げ、片や城普請と、言はずと様々な機材と覆ひの中での綿密な作業、「倦みて眺むる」は、言葉以上に作者は複雑な思ひでお城を見つめてゐるのでは-。むろん作者は在熊本市。

ポプラの芽札幌の空果てしなく  山岸博子
 素読して実に通りのよい晴れ晴れしい景。それも春先のポプラ並木の、区劃された札幌の街筋の空が見えてきます。
 水彩画のやうな淡彩の句。

きまぐれ東風まろく毒突く老いもよし  浅野律子
 きまぐれは気紛れの事、変はりやすく予測のつかないこと。気まぐれ天気といふ言葉もあります。「気まぐれ東風」とは面白い用語です。「まろく毒突く」もまた意表を衝く語、つまり角をたてずに悪口を言ふこと。「老いもよし」は自画自賛。総じて既成の言葉に捉はれない、自由闊達な一句です。

啓蟄や開け放ちたる農具小屋  鎌田正吾
強東風や片寄る竿の灌ぎもの  酒井信子
 掲句に就いてですが、高浜虛子の言葉を擧げます。「俳句は平俗の詩である。」「俳句は春夏秋冬の現象を透しての生活の記録である。」「写生とはそこに作者の心が働いて、その万物の相の中から或る一つの姿をとらへて来る事を言ふのである。
 改めて掲句を未読して、虛子の言葉は心を揺すります。

啓蟄や畦に立ちたる夫婦雉子  高橋すすむ
 「啓蟄」は三月五日、この頃の作者の住まふ球磨の田野の一景を詠み取つてゐます。「夫婦雉子」とは、作者自身の用語で、雉子は目の周りに赤い肉垂れなどがあつて多彩な色と、雌は褐色一色。この色どりの、餌を探す夫婦雉子の向かうに、読者は長閑な盆地の広ごりが、否応なく見えて来ます。因みに雉も春の季語で、一つの歳時記に「万葉集」家持の歌がしょうかいされてゐます。<春の野にあさる雉の妻恋ひに己があたりを人に知れつつ>。

余生とは嫌な言葉よ春を待つ  藤井和子
 甚(いた
)く心情を吐露した詠句。誰しもが心の底に抱いてゐることかも、共通した想ひが去来して。しかし作者の面と向かつての此の一句、その強さに読者は大いに救はれます。

夫います心のよるべ恵方とす  池原倫子
 亡き夫のいます、心を寄せる方が恵方といふ、如何にも古歌を思はせる詠句です。それに作者の沁み沁みとした心情が伝はつて来ます。

カルストの空に溶け込む雲雀かな  北本盡吾
 「カルストの空」とは、作者の住む北九州市の、国定公園でも知られる平尾台の所見でせう。その石灰岩の様々な形容の広がる台地の空に「溶け込む雲雀」とは、その天空の広がりに、雲雀の点々とした飛翔を鮮明に表出してゐます。して溶け込むとの表現は実に作者の手柄といふべく。


手習ひのショパンの調べ春の風  那須久子
 「手習ひ」とはなんとも古風な懐かしい語句。そして「ショパンの調べ」とは、その対比がまことに新鮮な詠情で、その「春の風」に乗つて、さしてはピアノのワルツの曲が流れて来る様です。作者にとつて至福のひと時。

夫と行く黙(しじま)も楽し冬木道  細野律子
 冬木とは、葉を落しつくした木々の姿、その「冬木道」を「夫と行く黙も楽し」。閑かな林間の日ざしに、冬木の影と二人の影と-。鮮やかに心に残る諷詠です。

 

 

 

 


幕末の儒者 木下 韡村

2020-05-19 18:29:22 | 熊本の偉人

  中央区京町2丁目8-4京町台公園に隣接して「木下 韡村塾跡の碑」が建っています。 「韡村書屋」と称する私塾ですが、この塾から竹添進一郎、井上毅、古荘嘉門、木村弦雄、宮崎八郎など明治維新後に大活躍をする人材を輩出しました。熊本の幕末を語るとき横井小楠(1809~1869)、林桜園(1798~1870)とともに木下 韡村(1805~1867)を外すことはできません。 
 木下 韡村日記(天保11年~慶応3年)があり、嘉永5年まで は「早稲田社会科学総合研究(代表島善高教授)」によって翻刻されていますが、嘉永6年以降が未翻刻です。原本のコピーを取り寄せて翻刻を試みているのですが、これがなかなかの難物で、日記という文書の生質上、他人に見せる意識がないので、崩し方が丁寧でなく殴り書き体のところがあるのに加えて虫食いカ所が多いのです。まあ、気長に構えて挑戦しようと思っています。

木下韡村(いそん)の略歴
1才  文化2年1805   8月5日生まれ
10才  文化11年1814  桑満伯順に入門
19才     文政6年1823 大城霞萍(時習館訓導) に入門。4年間在籍。
22才  文政9年1826郡代直触となり、苗字帯刀を許される。
23才  文政10年1827時習館居寮生。天保5年まで8年間。
31才  天保6年1835中小姓、近習組脇。軽輩から士席へ。10石5人扶持。江戸へ。
32才  天保7年1836高橋弥四郎長女伊津(喜多)23才を娶る。
33才  天保8年1837江戸で佐藤一齊の教えを受けるようになる。
36才  天保11年1840世子慶前(よしちか)御次勤。
37才  天保12年10月16日林家塾頭川田八之助の紹介で林家に入門。
44才  嘉永1年1848慶前 死去で国元へ。吉村多茂と再婚。
45才  嘉永2年1849時習館訓導助勤。
47才  嘉永4年1851訓導本役。
49才     嘉永6年1853両助教家塾の世話を仰せつけられ、隣チョーカー賜る。
55才     安政6年1859擬作100石。知行取格。
59才  文久3年1863公儀召を辞退。
62才  慶応2年1866座席御物頭列。
63才  慶応3年没。龍田山に葬る。

 諱は業廣、字は子勤。通称宇太郎。号は犀溧、いそん。藩主斉護護次勤6年。世子慶前御次勤9年、訓導当分3年、訓導本役16年。

 上記は嘉永6年1月11日~18日の分です。ここは虫食いも少なくよく読めたところです。画像はパソコンに落とすと拡大できるので興味のある人はどうぞ。

十一日 同様 ○北野隆右衛門、御中小姓ニ進席被 仰付候

十二日 渡部子八郎、大塚伊之助、福島亀之允、福間一左衛門一同大城家年酒

十三日 出勤、館中儀式例之通

十四日 在家、丑三郎出府

十五日 丑三郎引取

十六日 夕番 ○屋敷方根取中より手元屋敷内ニ家塾取建置候 何間梁ニ何間と申儀
    見合ニ相成儀有之候間、知セ候様申越ニ付弐間梁ニ四間弐坪半之下屋付各ニ取
    付九尺之九尺ニ弐坪半之下屋付、其外居宅之内弐坪取囲置候段返答
    ニ及候事

十七日 詩文会宅受持

十八日 出勤

十九日 〃  加藤傳吾、筑紫より罷越今晩石光宅江逗留