古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

隅田川往来

2016-08-28 16:30:08 | 隅田川往来

芝泉堂峻谷先生書

隅 田 川 往 来

東都書林 泉栄堂梓

隅田川往来

昨日飛鳥山の花に

戯れ流石永き春の

日を黄昏はやきと            原画(早稲田大学古典籍)

※ 芝泉堂とは芝浜松町二丁目にあった筆道塾の名称ですが、主宰者の号でもありました。主宰者は坂川峻谷。芝泉堂二代目です。初代は「消息往来」、「商売往来」等多数の書がある坂川暘谷。暘谷の活躍iによって芝泉堂は門弟三千人と言われるほどに発展し、溝口流の本流とまで称えられました。一方泉栄堂は書肆の名称。紛らわしいですね。                           

惜候へき其節御物語

申候隅田川の事旧たる

気色一日御同伴申度候

弥生十五日は梅若塚

念仏供養にて候思召

在候ハんや任貴報竹馬の

輩申合両国橋より

小船に棹さゝせ若             原画(早稲田大学古典籍)

 

風波あらくハ駒形堂

暫見合大船に乗かえ

順風に真帆うちかけ

勢猛く漕ゆき端芝

よりあかり爰にて案

内を頼名にしをハゞいさ

こととはむ都鳥と閑麗

の事なと云伝たる           原画(早稲田大学古典籍)

 

一説も有之事にや委しく

木母寺に参梅若

墳の縁起を見すミ

た川の流清をみて秋の

よの月隈なからんことを

浅茅か原のまつ

かせを時雨とや疑はん                原画(早稲田大学古典籍)

徳泉寺の堀地に           

 

葉之助常胤 宇津宮

弥三郎か古墳を尋て

武士之いさほしをしたひ

妙亀比丘の朝暮 閼伽の

水取たまふと聞およひ

にし鏡の池を見めくり

待乳山ゆふ越くれは

庵崎のと大宮人の           原画(早稲田大学古典籍)

 ※ 待乳山 まつちやまゆふこえゆきていほさきのすみだがはらにひとりかもねむ(羇旅・五〇一)という歌の原歌は、『万葉集』の、弁基歌一首
亦打山 暮越行而 蘆前乃 角太河原爾 独可毛将宿
(巻三・二九八)

 上記弁基の歌から、隅田川・まつち山・廬崎が歌枕として定着します。奈良県・和歌山県境の橋本市にこの地名は存在します。ですから弁基の歌はそこで製作されたと諸説一致。ところが東京にもあるのです。隅田川・待乳山はすぐに分かりますが、廬崎というのは秋葉神社もしくは向島あたりに存在したと中世文書などに散見されるそうです。偶然の一致なのか、それとも何かあるのか興味をそそられます。

よミをかれたる旧跡浅草

寺の観音堂はなの

しら雲たなひきし

上野根本中堂金銀

珠玉ハ霞のうちに輝き

草木枝をたれ葉をしき

実かしこき霊地にて

道より遙に西になかめ        原画(早稲田大学古典籍)

 

夫より宮戸川辺の民

の家居煙たちつくも

ゆかしく苗代水になく

蛙の声長閑に聞えて

面白き気色云ハかりなく候

ハん夫より白髭の明神

牛の御前弘福寺 みめくり

稲荷にぬかつき秋葉権        原画(早稲田大学古典籍) 

秋葉権現 現住所: 墨田区向島; 解説: 火伏せ(防火)の神を祀る静岡県の秋葉神社を勧請して、正 応2(1289)年に創建したと伝わる。江戸時代には江戸城大奥や諸大名の信仰を集めた 。江戸中一の紅葉の名所。門前には料理屋も多く、参詣の人々で賑わった。

現の社にいこひて甕を

ひらき酔狂の余り都鄙の

老若男女にましはりて

芝生のすミれ皷草(たんぽゝ)なと

手毎に手折りそことしも

なく霞をわけ遊き疲に

臨まは時花駕に夢を

むすひ業平墳の夜の         原画(早稲田大学古典籍)

 

雨と誰人か詩作られ

たる風色盛情もたし

かたく石原の尼寺多田

薬師太子堂をふし拜ミ

なを日高くハ亀井戸

天満宮に詣吾妻の森

真間のつき橋同まゝ

寺これらはかさね手に        原画(早稲田大学古典籍)

 

いたし羅漢寺より永代

嶋八幡宮に誓をかけ

汀にうちいて漂々たる

海辺安房上総を遙に

なかめ筑波山水無触

川ハ何處かと陽成院の

御製まておもひおられ        原画(早稲田大学古典籍)

釣するあまの小舟由         

 

良の湊もかくやらんと

夕はた雲のさしかゝり

たるに驚き家路に

おもむけはむかふに富士

のしら山鹿子またらの

風情右に浅間かたけ

をちこち人のミやハとかめ

むと在五中将の昔を         原画(早稲田大学古典籍)

 

したひ侍らん天晴此

春の眺望これにすく

へからす御随心におゐてハ

本望たるへく候来廿五日

月次の御会弥御出座と

存候万端其節可申展候

恐々頓首

   月 日               原画(早稲田大学古典籍)

 


熊本新老人の会  俳句サークル8月句会

2016-08-26 12:21:19 | 俳句

句会日時   2016-8-18  10時

句会場        パレア 9F

出席人数   5人

指導者    山澄陽子(ホトトギス同人)

出句要領  6句投句 6句選  兼題「白南風」

世話人    近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へお電話ください。

次回兼題  「秋草・十六夜」  

 地震以来途絶えていた句会が今月再開しました。先ずはこの事を喜びたくおもいます。私は都合悪しく出席出来なかったのですが、世話人の近田綾子さんから当日の出句及び選句状況の資料が送られて来ましたので、それを掲載します。(文責 平川礁舎)

蝉時雨時々混じる鳩の声            武 敬

復興の町照らしゐる盆の月            〃

亡夫(つま)蠅となりしか夕餉に現れて    綾 子

黒南風や軒並みブルーシート揺れ       〃

西日受く崩れしままの屋根の反り      安月子

せせらぎの幽かを秋の声と聴く          〃

宅配の夕餉の膳やうなぎ飯          茂 子

吾疲れ一輪のバラに癒されり          〃

みちをしへあらぬ方へと誘ひぬ       陽 子

炎帝のいつしか離れ森の径           〃

はづしたる襖を立てて夫病めり        〃

 まだまだ熊本は復興途上ですね。作句の上にそれが現れています。綾子さんは昨年ご主人を亡くされていますが、夕餉に現れた蠅にさえもご主人の霊を見てをられるのです。なにか身につまされる思いがしました。

 先生の句の三句目、毎年夏は座敷の襖を取り払って涼しく過ごして来たのに今年の夏は良人が寝込むほどの病を得たので外した襖を元に戻して病間としたと云うのです。これも「人生のあはれ」がよく表現された佳句です。

 


熊本新老人の会 古文書サークル  膝栗毛20  後篇を読み始めました

2016-08-25 22:06:17 | 膝栗毛後編

  八月は一回目がお盆にあたり休会としたので本日が一回目になりました。熊本の残暑はお盆を過ぎてもおさまる気配がなく、連日37度を超える猛暑つづき、いささかうんざり且つ辟易です。しかし会員の皆様は元気一杯、一人の欠席者もなく全員出席でした。

 古文書解読の面白さが暑さを乗り切る一要素になっているようです。膝栗毛は活字本もありますが、直に古文書版を読む方が何倍も面白いのです。

 今日からいよいよ後編に入ります。箱根の山を下りて大井川を渡るところまでが後編です。

 序文から読み始めましたが面白い漢字というか表記に出会いました。

「鳥觜・潮来」

 これは何と読むのでしょう。「チョウシ・イタコ」と読みますが潮来は分かりますが鳥觜とは何でしょうか。これは銚子の当て字なのです。

 千葉県最東端の銚子市の地形は鳥の觜のようにとんがっているので、そこからの当て字なんでしょう。でもひょっとすると「鳥觜」が本義で銚子が当て字なのかもしれません。銚子市史などには記載があるかもしれません。

 江戸から遠く離れたこんな地名が、なぜ出て来るかと言えば、一九が半年ばかりの間この地方の観光めぐりをしているからです。初編が大当たりして、書肆は大儲けをしたので、一九へ報奨金をだしたのでしょう。そのお金で遊び回っているのです。

 しかし書肆の栄邑堂にしてみれば、遊ぶのはよいとしても、早く戻ってきて後編を書いてもらいたいのです。「鼻の下を長くして、鳥觜・潮来に居続けて尻を腐らしている」などと罵っています。売れっ子作家と出版社の関係は現代でも同じでしょう。

 ともかくもその年(享和二年1802)の暮れになって一九は江戸へ戻ってきます。それからは正月の休養もなく缶詰状態に押し込められて書きまくったようです。それは

 「ここに於て不得止事、終に前後二巻を編輯す。急迫なれば排設の中齟齬あることは見赦したまへ」と栄邑堂が書いているところからも推察できます。

中川さんの購入書籍

     ¥3.500したそうです。

書の下にそれを書いた人の名前があるのがユニークです。

            上にありますがこれは良寛和尚の書です。なかなか貴重な書籍ですね。