太祇句集序 炭 太祇
交ハ易からぬ也 始めは刎頸にして半に寇讎たるの類古より少なからず。太
祇はもと江戸の産にて中年都に上り住心やよかりけむ其ままに廿余年の春を迎
へ秋風のたつことさまで蓴鱸をも思はず本より山水の癖ありてみちのく、つくし
の果迄も杖を引弱冠より好める俳諧をもて生涯の楽しみとす。はた其好
るや楽るや尋常にかはりて行住坐臥燕飲病床といへども日課の句を怠ずまい
て誰某が会など云には一の題に十余章を並べ三に五に及るにも此規矩を違ふ
事なく、もし趣を得れば上に置き下になしあるは中にもつづりて一句を五句にも
七句にも造りなし唯意をうるをもてセとす。故に其篇什佳境に入る許多也。又連
ね句をなすにもいつも沈吟する事外に倍せり。こゝをもて何れの巻にも造語連続
の率易なるを見ず。惜哉去年の秋文月の半ばより半身痿るやまふを感じて幾程
なく葉月上の九日に折からの草の露と消失ぬ。平生友とせる人あまたなる中に
わきて嵯峨の家在主人と予と三人雅筵を共にせし事亦復他に類ふべきにあら
ず、あるは雨しめやかなる春の夕はた雲、面白き冬の夜なと硯にむかひておの
がじし得たると得さるの自からなるをしらべ合い巨
燵に椅居て櫓の上に杯をめぐらし果てハなき跡の事まで語出て吾倩かうやうに
此道に執深うそめぬれハ誰にまれながらへ残りたらん者志を一にして草稿を選
出世に残さましかハ゛生に死に改ざるの交ならんかし。実もさやしやなんと互に
契り約せしことも亦幾度にか及ばせん。されば今雅因とともに遺稿数十巻を閲し
てその中より先ず初稿を編輯して世に広うせんとす。事成の日雅因亦来会して
一ハ此功を終ハるを喜び一は多からざる心友の欠ぬるを嘆じけるに予頭を掉て
それもさる事なれど兄も我も元来二腰を横たふ身ならねば生前刎頸の交が思懸
す。されど風雅の可否を討論せしより外さらに市道の交をなさざりしがうへ契し
事のかうなん、とみに成ぬるは易からぬ交のよく終あん也祇もまた我等が相倍
さるのこころを莄壤の下に眉を開ざらまし
や遂に此語をもて序とす
明和九年壬辰夏五月
洛 嘯 山 書
太祇師年ころいひ捨をかれしほくの草稿なるものミな我に譲られ侍る 帋魚のた
めにむなしくせむ事本意なく選を葎亭、夜半亭の両匠へまかせ老師生涯のあら
ましまで序跋に述べ一冊となして給りぬ。さるを竹護叟の清書を乞さくら木にゑ
るとて今の不夜庵のあるじ師の俤をいたづらに書うつし反故をあながちに所望し
てここに彫刻し侍りぬ。