横井小楠記念館蔵
高木第四郎年譜 (山口白陽著「高木第四郎伝」より)
文久 2年 1歳 8月20日熊本市高田原歩町の宮崎家に生る。
慶応 元年 4歳 市内春日町久末に移転。
明治 元年 7歳 6月21日母知幾逝く39歳
2年 8歳 長兄真高函館の戦に参加途上、上総沖で乗船の難破
に 遭い死亡。19歳。
3年 9歳 3月島田氏の寺子屋に入る。義母藤枝入嫁。
5年 11歳 日新堂青年塾に寄宿、竹崎茶堂の教えを受く。
8年 14歳 春日小学校へ転学。
9年 15歳 ※10月24日神風連の乱起こる。
10年 16歳 ※2月22日薩軍熊本に来襲西南役始まる。宮崎家を出
て高木家を創立す。
11年 17歳 広取英学校に入学嘉悦氏房らについて英・漢・数を学
ぶ。
13年 19歳 広取英学校を退き下総三里塚種畜場に入り牧夫とな
る。
14年 20歳 農商務省農務局農学校獣医分科に入り速成獣医生とな
る。
15年 21歳 三里塚種畜場を退帰熊。
16年 22歳 市内鷹匠町に搾乳業広乳舎を創む。
21年 27歳 創業5年にして住宅を新築す。松原米子を娶る。
22年 28歳 8月25日長男亮生る。※2月11日憲法発布。
※4月熊本市制施行。
5月熊本市会議員に当選(最年少。)
7月28日熊本地方大地震。
託麻選挙(騒動)について財務整理に当る。
23年 29歳 第1回国会議員選挙
24年 30歳 ※7月1日九州鉄道門司より熊本まで全通。
25年 31歳 3月23日二男統生る。※国会議員選挙大干渉、徳富蘇
峯応援に来熊。
26年 32歳 託麻郡本荘村に土地を購入牛舎を新築移転。右により
熊本市議会議員を辞任。
鷹匠町の屋敷を熊本電気株式会社に売却。
27年 33歳 ※日清戦争始まる。5月本荘村々会議員に当選。
戦傷病兵の後送により衛戍病院への牛乳納入激増す。
28年 34歳 鷹匠町の家を本荘に移す。
6月29日三男徳生る。
29年 35歳 三里塚種畜場に至り初めてホルスタイン種牛ローヤル
号を買入る。10月九州商業銀行熊本支店支配人とな
る。
30年 36歳 6月27日父真雄逝く73歳。
9月27日義母藤枝逝く。
32年 38歳 九州商業銀行本店を熊本に移し紺屋町に新社屋建築、
支配人となり次いで取締役に任ず。横浜の米人よりホ
ルスタイン種牡牛を買入る。
33年 39歳 7月15日白川大水害に漁舟を借りて牛乳を配達す。
※9月立憲政友会創立され党員となる。
飽託郡々会議員となる。
34年 40歳 全国的パニックにより九州商業銀行も支払停止となり
引責辞職したが間もなく取締役に再選、整理に当る。
35年 41歳 11月大演習のため天皇御西下牛乳御用命を受く。
36年 42歳 失火のため牛舎の半ばを焼き牛6頭焼死。
牛の結核検査実施病牛を出す。
銀行整理を終え正式に辞任。
飽託郡々会議員に再選。
37年 43歳 日露戦役起り陸軍予備病院に設置により牛乳の需要激
増。牛舎増築乳牛50余頭にたっす。
39年 45歳 8月蒸気機関、消毒器設備牛乳の瓶装消毒を実施。
立憲政友会隈本支部幹事となる。
40年 46歳 10月県会議員に当選。
43年 49歳 1月同志と共に九州実業新聞を引受けて監督となり6月
1日より九州新聞解題発刊。
45年 51歳 県会議員に再選。
※7月30日明治天皇崩御。
大正 2年 52歳 5月岩手県小岩井農場よりホルスタイン種牛買入れ。
10月鹿児嶋で開会の第1回九州各県連合畜産共進会で
表彰を受く。
3年 53歳 ※7月欧州大戦勃発。8月対独宣戦により膠州湾攻
撃。12月九州新聞社長となる。
4年 54歳 県会議員満期。
5年 55歳 10月飽託郡黒髪村字留毛に新牧場を設く。11月政友
会県支部総務となる。
6年 56歳 4月の衆院議員選挙違反事件に連座。
7年 57歳 4月右違反事件により収監されたが29日間で特赦。
※11月欧州大戦終る。
12月政友会支部幹事長となる。
9年 59歳 3月肥後農工銀行取締役となる。
3月公民権復活し5月衆院議員に当選。
10年 60歳 5月九州新聞社株式会社に改組され取締役社長となる。
6月北海道農場からホルスタイン種牛買入れ。
12年 62歳 5月下総御料牧場よりジャージー種牡牛、群馬県神津牧
場より同種牡牛買入。
5月九州新聞社社屋完成、輪転機2台増設、7月盛大な披
露を行う。9月1日関東大震災、新聞広告に打撃を受けた
が義援金募集に努力、11月現地を視察す。
13年 63歳 ※1月清浦内閣成立、政友会分裂して床次竹二郎らの政友
本党に入る。5月衆院議員に再選。
14年 64歳 5月宇留毛牧場牛舎改築。
八景水谷に1万坪を買入れ新牧場を設く。
15年 65歳 八景水谷新牧場の最新式諸設備完成、約80頭の乳牛を養
う。
昭和 3年 6 7歳 1月台湾視察旅行。
12月農工銀行勧業銀行と合併、取締役を辞任。
※1月衆議院解散2月初めて普通選挙行わる。
4年 68歳 本荘町の牛乳処理設備に大改善を加う。
5年 69歳 5月熊本電気株式会社監査役となる。
6年 70歳 ※9月満州事変勃発。
11月の特別大演習に御料牛乳を納む。
8年 72歳 7月日本新聞協会大会につき満州各地を旅行。
10月ポルトガル領マカオに乳牛8頭を輸出。
9年 73歳 3月13日九州新聞1万号に達し大祝賀会を催す。
10年 74歳 4月日本新聞協会大会熊本に開かれ東邇宮より表彰さ
る。
10月帝国牛乳教会会長となる。
13年 77歳 11月3日喜寿金婚双賀会熊本市公会堂於て最も盛大に行
わる。
15年 79歳 4月九州新聞社長を辞す。11月紀元2600年祭典にお召
を受く。
16年 80歳 5月広乳舎外4社と合併して新たに熊本合同牛乳創立され
その社長となる。
10月熊本電気株式会社監査役辞任。
11月帝国牛乳協会長辞し顧問となる。
※12月8日大東亜戦争勃発。
17年 81歳 5月1日九州新聞九州日日新聞と合併し新たに熊本日日新
聞創刊さる。
20年 84歳 ※7月1日熊本市大空襲を受け大半焼土となる。
※8月15日終戦の勅下る。
21年 85歳 2月12日妻米子逝く。75歳。
24年 88歳 8月20日自ら主催して子、孫を集め米寿祝賀会を開く。
25年 89歳 熊本牛乳株式会社社長辞す。10月最後の上京を果たして知
友を訪問或いは弔問す。
27年 91歳 12月12日逝く。91歳。
同14日葬儀、万日山の墓地に葬る。
広乳舎発祥の地
16年 22歳 市内鷹匠町に搾乳業広乳舎を創む。と年譜にありますがその住所は「熊本
区鷹匠町65 番地」と上の絵にあります。下は昭和4年の熊本市街地図ですが〇印の所
に65の数字が見え弘乳舎はこの場所に創立されたことがわかります。
下は現在の地図です。矢印の所が広乳舎跡です。
創立時の広乳舎の敷地は160坪とあるので丸印の範囲ではと思われます。