松本清張のベストセラー小説「点と線」を読み返しました。何度読んでもその度に新しい発見があって興味の尽きない作品です。この小説は光文社から単行本として出版されるとたちまちベストセラーとなり、つづいて出た「ゼロの焦点」、「砂の器」などの推理小説は社会派ミステリーと呼ばれ松本清張はその創始者として不動の作家的地位を築き上げます。
映画化。小説がベストセラーとなつて版を重ねている最中の昭和33年には早くも東映によって映画化されます。
東京駅の風景
有名な「四分間の目撃」の場面。犯人安田辰郎を演じているのは時代劇悪役スターの山形勲、隣にいるのは赤坂にある料亭「小雪」の女中たち、お時も「小雪」で働いている女中仲間。3人が立っている13番線ホームから博多行き寝台特急「あさかぜ」が停車している15番線ホームを見通せるのは1日の内でも17時58分~18時02分のたった4分間しかない。この目撃ははたして偶然なのか・・・。
仲睦まじく列車に乗り込むお時と佐川を13番線ホームに立っている3人の人物が目撃していました。お時と佐川はこれより6日後に博多湾香椎海岸で情死体となって発見されます。地元福岡署はこれを情死事件として処理してしまう。その決め手になったのが東京駅での目撃証言でした。
香椎海岸での検死風景
この場面なかなかリアリィティがあって、まるで自分が検死に立ち会っているような臨場感があります。私服の6人は福岡署の刑事たち、制服の巡査が2人、白衣姿の5人は鑑識課の職員なのでしょう。昭和32年1月20日午後10時~11時頃の死亡と推定されました。お時の白足袋が真っ白で直前に履き替えたものらしく、「覚悟の心中ばい・・」と鑑識官が呟きます。右端の私服が刑事鳥飼重太郎。
鳥飼重太郎(加藤嘉)はこの心中に少し違和感を感じていました。玄界灘から吹き付ける寒風の中の、こんな荒々しい岩礁の上で「覚悟の死」とはいえ、もっと穏やかな場所もあるだろうに・・?、というささやかな疑問でした。それを上司に言うと「そらあ生きてるモンのせりふたい、これから死ぬるモンには関係なか」とにべなくあしらわれてしまいます。
署に帰って遺留品を調べていたら一枚の領収書が佐川のズボンのポケットから出て来ました。それは「あさかぜ」の食堂車のもので「1人様」と書いてあるのに、鳥飼はまたもや引っかかります。なぜ1人なのか、女は食堂車へ同行しなかったのか、上司の係長に話すと、「女は腹がいっぱいで食いたくなかったのだろうよ・・」、と一言で片付けられてしまいます。情死行である、この場合愛情はいっそう濃密であるのに・・・。鳥飼の疑問が1つ増えました。
※・・・領収書の日付が10月14日になっていますが、小説では1月14日です。なぜそこを映画では変更したのか撮影の都合でもあったのでしょうか。
そんな時、警視庁捜査二課の刑事、三原紀一(南広)が佐川を追って福岡へ出張して来ました。佐川は××省の役人で、今××省で汚職摘発が進行していて、実務に通じている佐川課長補佐は逮捕寸前にあった人物だったらしいのです。佐川の死で捜査は行き詰まり、現に佐川の上司である石田部長は拘留を続けられなくなって釈放されます。××省には佐川の死で難を逃れた役人がどれほどいるか分からないと三原は悔しがります。三原は鳥飼の疑問に興味を示しました。
写真は当時の香椎駅、駅前はまだ未舗装です。
こちらは西鉄香椎駅。この駅舎も建て替えられて今ではすっかりきれいになっています。
青函連絡船(1908~1988)
三原刑事は香椎海岸で心中のあった夜そこに安田がいた、という仮説をたてます。三原刑事の推理ては安田は飛行機を利用して北海道へ渡っているのだから、青函連絡船に乗っている筈は絶対にないと確信して函館駅の乗船客名簿を調べに行きます。ところが存在してはならない安田直筆の乗船カードがあったのです。安田辰郎のアリバイは鉄壁でした。
写真は当時就航していた青函連絡船の1隻ですが、船名が分かりません。昭和32年当時は以下の8隻が就航していました。
第12青函丸
大雪丸
石狩丸
日高丸
摩周丸
渡島(おしま)丸
羊蹄丸
十勝丸
上記8隻は、皆似たようなスタイルで写真を見ても船名は分からないそうです。船名は船尾に大書してありました。
安田の妻亮子(高峰三枝子)は結核を患っているために鎌倉に一軒家を宛がわれて療養生活をしています。多忙な夫は週に1度くらいしか帰って来られません。東京駅の13番線ホ-ムは鎌倉行き電車の発着ホ-ムなのでした。だから安田は4分間の空隙に気がついていたのだろうと三原刑事は考えたのですが、安田の妻の亮子が療養生活のつれづれに書いた文章を読んで考えが変わります。
「長い間、寝たきりでいるといろいろな本が読みたくなる。しかし、このごろの小説はみんなつまらなくなった。三分の一まで読んだら興を失って閉じることが多い。ある日、主人が帰って汽車の時刻表を忘れて行った。退屈まぎれに手に取ってみた。寝たきりのわたしには旅行などとても縁のないものだが、意外にこれがおもしろかった。」
という書き出しから始まる文章は、小さな横組みの数字がぎっしりと詰まっている、あの無味乾燥な時刻表の中に、得も言われぬ詩情が横溢していると言うのです。たとえば、ローカル線の駅名など、列車の通過時刻と結び付けて読むと、それだけで時空を超えた空想の世界が果てしなく広がつて、へたな小説などより何倍も面白いというのです。
偏執的なマニア趣味と結核患者に特有の頭脳の冴えとが結合したような奇妙な文章でしたが、三原刑事は「四分間」の発見者はこの亮子ではないかと思うようになります。
三原紀一は事件が解決した後に鳥飼重太郎へあてた手紙の中で、亮子について次のように書いています。
「亮子が病弱で、夫とは夫婦関係を医者から禁じられていることに思いいたってください。いわば、お時は亮子の公認の二号さんだったのです。歪んだ関係です。われわれには想像もできないが、世間にはよくあるのです。封建時代の昔には当然だったことでしよう。」、「安田の妻の亮子は、夫の手伝いよりも、あんがい、お時を殺すほうに興味があったかもしれません。いくら自分が公認した夫の愛人であっても、女の敵意は変わりません。いや、肉体的に夫の妻を失格した彼女だからこそ、人一倍の嫉妬を、意識の下にかくしつづけていたのでしょう。その燐のような青白い炎が、機会をみつけて燃えあがったのです。」
こういう人間に対する深い洞察があることによって登場人物に存在感が生まれ、現代社会の不条理を示すことができるのです。そこが謎解きだけの「探偵小説」と違うのです。
公僕の精神
上の扁額は警視庁の会議室に掲げてある額です。これは映画のセットですから警視庁にあったとは限らないのてすが、当時の警察の雰囲気をよく伝えています。戦前の「オイ、コラ」警察から国民に親しまれる警察へと生まれ変わる時代精神を反映しているのです。警察は常にこのようであってほしいですね。
写真は安田逮捕に向けた捜査会議ですが、福岡署の鳥飼刑事が加わっています。これは原作にはないシーンですが映画となるとそういう場面設定が必要になるのですね。