古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

東映映画「点と線」

2020-06-04 12:09:48 | 映画

 松本清張のベストセラー小説「点と線」を読み返しました。何度読んでもその度に新しい発見があって興味の尽きない作品です。この小説は光文社から単行本として出版されるとたちまちベストセラーとなり、つづいて出た「ゼロの焦点」、「砂の器」などの推理小説は社会派ミステリーと呼ばれ松本清張はその創始者として不動の作家的地位を築き上げます。

 映画化。小説がベストセラーとなつて版を重ねている最中の昭和33年には早くも東映によって映画化されます。

 東京駅の風景
 有名な「四分間の目撃」の場面。犯人安田辰郎を演じているのは時代劇悪役スターの山形勲、隣にいるのは赤坂にある料亭「小雪」の女中たち、お時も「小雪」で働いている女中仲間。3人が立っている13番線ホームから博多行き寝台特急「あさかぜ」が停車している15番線ホームを見通せるのは1日の内でも17時58分~18時02分のたった4分間しかない。この目撃ははたして偶然なのか・・・。

 仲睦まじく列車に乗り込むお時と佐川を13番線ホームに立っている3人の人物が目撃していました。お時と佐川はこれより6日後に博多湾香椎海岸で情死体となって発見されます。地元福岡署はこれを情死事件として処理してしまう。その決め手になったのが東京駅での目撃証言でした。

香椎海岸での検死風景
 この場面なかなかリアリィティがあって、まるで自分が検死に立ち会っているような臨場感があります。私服の6人は福岡署の刑事たち、制服の巡査が2人、白衣姿の5人は鑑識課の職員なのでしょう。昭和32年1月20日午後10時~11時頃の死亡と推定されました。お時の白足袋が真っ白で直前に履き替えたものらしく、「覚悟の心中ばい・・」と鑑識官が呟きます。右端の私服が刑事鳥飼重太郎。

 鳥飼重太郎(加藤嘉)はこの心中に少し違和感を感じていました。玄界灘から吹き付ける寒風の中の、こんな荒々しい岩礁の上で「覚悟の死」とはいえ、もっと穏やかな場所もあるだろうに・・?、というささやかな疑問でした。それを上司に言うと「そらあ生きてるモンのせりふたい、これから死ぬるモンには関係なか」とにべなくあしらわれてしまいます。

 署に帰って遺留品を調べていたら一枚の領収書が佐川のズボンのポケットから出て来ました。それは「あさかぜ」の食堂車のもので「1人様」と書いてあるのに、鳥飼はまたもや引っかかります。なぜ1人なのか、女は食堂車へ同行しなかったのか、上司の係長に話すと、「女は腹がいっぱいで食いたくなかったのだろうよ・・」、と一言で片付けられてしまいます。情死行である、この場合愛情はいっそう濃密であるのに・・・。鳥飼の疑問が1つ増えました。
 ※・・・領収書の日付が10月14日になっていますが、小説では1月14日です。なぜそこを映画では変更したのか撮影の都合でもあったのでしょうか。

 そんな時、警視庁捜査二課の刑事、三原紀一(南広)が佐川を追って福岡へ出張して来ました。佐川は××省の役人で、今××省で汚職摘発が進行していて、実務に通じている佐川課長補佐は逮捕寸前にあった人物だったらしいのです。佐川の死で捜査は行き詰まり、現に佐川の上司である石田部長は拘留を続けられなくなって釈放されます。××省には佐川の死で難を逃れた役人がどれほどいるか分からないと三原は悔しがります。三原は鳥飼の疑問に興味を示しました。
 写真は当時の香椎駅、駅前はまだ未舗装です。

こちらは西鉄香椎駅。この駅舎も建て替えられて今ではすっかりきれいになっています。

青函連絡船(1908~1988)

 三原刑事は香椎海岸で心中のあった夜そこに安田がいた、という仮説をたてます。三原刑事の推理ては安田は飛行機を利用して北海道へ渡っているのだから、青函連絡船に乗っている筈は絶対にないと確信して函館駅の乗船客名簿を調べに行きます。ところが存在してはならない安田直筆の乗船カードがあったのです。安田辰郎のアリバイは鉄壁でした。

 写真は当時就航していた青函連絡船の1隻ですが、船名が分かりません。昭和32年当時は以下の8隻が就航していました。

第12青函丸

大雪丸

石狩丸

日高丸

摩周丸

渡島(おしま)丸

羊蹄丸

十勝丸

 上記8隻は、皆似たようなスタイルで写真を見ても船名は分からないそうです。船名は船尾に大書してありました。

 安田の妻亮子(高峰三枝子)は結核を患っているために鎌倉に一軒家を宛がわれて療養生活をしています。多忙な夫は週に1度くらいしか帰って来られません。東京駅の13番線ホ-ムは鎌倉行き電車の発着ホ-ムなのでした。だから安田は4分間の空隙に気がついていたのだろうと三原刑事は考えたのですが、安田の妻の亮子が療養生活のつれづれに書いた文章を読んで考えが変わります

 「長い間、寝たきりでいるといろいろな本が読みたくなる。しかし、このごろの小説はみんなつまらなくなった。三分の一まで読んだら興を失って閉じることが多い。ある日、主人が帰って汽車の時刻表を忘れて行った。退屈まぎれに手に取ってみた。寝たきりのわたしには旅行などとても縁のないものだが、意外にこれがおもしろかった。」

 という書き出しから始まる文章は、小さな横組みの数字がぎっしりと詰まっている、あの無味乾燥な時刻表の中に、得も言われぬ詩情が横溢していると言うのです。たとえば、ローカル線の駅名など、列車の通過時刻と結び付けて読むと、それだけで時空を超えた空想の世界が果てしなく広がつて、へたな小説などより何倍も面白いというのです。
 偏執的なマニア趣味と結核患者に特有の頭脳の冴えとが結合したような奇妙な文章でしたが、三原刑事は「四分間」の発見者はこの亮子ではないかと思うようになります。

 三原紀一は事件が解決した後に鳥飼重太郎へあてた手紙の中で、亮子について次のように書いています。

 「亮子が病弱で、夫とは夫婦関係を医者から禁じられていることに思いいたってください。いわば、お時は亮子の公認の二号さんだったのです。歪んだ関係です。われわれには想像もできないが、世間にはよくあるのです。封建時代の昔には当然だったことでしよう。」、「安田の妻の亮子は、夫の手伝いよりも、あんがい、お時を殺すほうに興味があったかもしれません。いくら自分が公認した夫の愛人であっても、女の敵意は変わりません。いや、肉体的に夫の妻を失格した彼女だからこそ、人一倍の嫉妬を、意識の下にかくしつづけていたのでしょう。その燐のような青白い炎が、機会をみつけて燃えあがったのです。」

 こういう人間に対する深い洞察があることによって登場人物に存在感が生まれ、現代社会の不条理を示すことができるのです。そこが謎解きだけの「探偵小説」と違うのです。

公僕の精神

 上の扁額は警視庁の会議室に掲げてある額です。これは映画のセットですから警視庁にあったとは限らないのてすが、当時の警察の雰囲気をよく伝えています。戦前の「オイ、コラ」警察から国民に親しまれる警察へと生まれ変わる時代精神を反映しているのです。警察は常にこのようであってほしいですね。

 写真は安田逮捕に向けた捜査会議ですが、福岡署の鳥飼刑事が加わっています。これは原作にはないシーンですが映画となるとそういう場面設定が必要になるのですね。

 


67年前の松竹映画「君の名は」

2020-04-17 21:24:59 | 映画

 外出自粛で人に会うのも避けるとなれば、自分の場合は家に籠もって古文書の翻刻をやるくらしかすることがない。今「木下 韡村日記」の翻刻に取りかかっているが、これが虫食い文書で中々の難物である。根をつめると、年のせいで集中力がぷつんと切れてしまう。
 それで退屈しのぎにDVDの「君の名は(松竹映画)」を借りてきて観た。これが、とてもよくできた映画で並のメロドラマなんかでなく大いなる人間賛歌の映画であり、近ごろめずらしく感銘をうけた作品であった。
 小学校高学年のころに同名のNHKラジオドラマを毎回欠かさずに母が聴いていたので、その傍で聴くともなく耳にしていた。だから冒頭のナレーション、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は意味不明ながら、そのセリフは今だに耳底にこびりついている。しかし映画を観るのは今回が初めて・・。あの時代はハリウッド映画の全盛期で、スターと言えばゲイリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、タイロン・パァワー、ジョン・ウエインなどが西部劇で活躍していた。そういう映画にかぶれていたから見損なったのだ。
 でも、「君の名は」はいい映画である。反戦映画といえばそうも言えるかもしれないが、映画の底に思想はない。しかしこれを観た観客は「あんな戦争はもう御免だ」と思ったはずで、そういう意味で反戦映画である。

昭和20年5月24日未明、東京は空襲に見舞われた。3月20日が大空襲だったと云われているが、この時も大規模だった。火の海となった市街を二人の男女が、ふとした偶然から互いに励まし合いながら行動を共にすることになる。どこをどう逃れたのか、空襲が止んで夜が明けたとき二人は数寄屋橋の上に立っていた。後宮春樹(佐田啓治)と氏家真知子(岸惠子)である。二人は無事に生き延びた事に互いに礼を言い合い喜び合った。そして、もし生きていたなら半年後の11月24日に、その時来られなかったら1年後、更に1年半後にこの場所で逢うことを約束する。そうせずにはいられない衝動が二人の心を衝きあげていた。別れ際に春樹は「君の名は・・?」と問いかけるが、再びけたたましく鳴りだした空襲警報のサイレン音のために、名乗り合うこともできずに別れてしまう。
 半
年後、春樹は約束どおりにこの場所に来るが真知子は現れなかった。1年後も同様だった。真知子には事情があったが、春樹はそれを知らない。

二人が再会したのは1年半後の昭和21年11月24日であった。再会できたものの、「明日、結婚します。お別れを言いに来ました。」と苦しそうな表情を浮かべて真知子は告げた。この映画はここから春樹、真知子の愛情物語の始まり、始まりである。このシーンのバックに古関祐而の曲が流れて印象深い・・(君いとしき人よ 唄 伊藤久男)

佐渡へ渡る連絡船の中で真知子の寂しそうな姿に同情して励ましの声をかける石川綾(淡島千景)。
 映画は
この船上シーンから始まる。空襲の場面、数寄屋橋の場面は真知子の回想として石川綾に語られるのである。そして今日が約束の日であることを告げて真知子は涙ぐむ。真知子は封建的な因習のしがらみの中にいた。早くに両親を亡くした真知子は伯父の勧める縁談を断ることができなかつた。佐渡行きは浜口勝則との見合いのためであった。綾の真知子への深い同情と、女同士の友情とはこの船上での出合いから始まった。淡島千景の演技がひかる。

昭和30年代の2枚目。佐田啓治

嘗て銀座にあった数寄屋橋。東京オリンビックの時埋め立てられてしまった。


アメリカ映画「黒い司法」

2020-03-02 23:34:46 | 映画

 久しぶりに映画を観に行きました。映画といえば時々DVDを借りて観るくらいで劇場に行くのはほんとに久しぶり。表題の映画が大江の「熊本シネマ」に2/28からかかっています。客席はガラガラの状態で観客は私を入れて4人ほど、コロナウィルスの影響がここにももろに。

 映画はハーバード大を出たばかりの黒人弁護士が黒人死刑囚の冤罪に立ち向かって、ついに再審・無罪を勝ち取るという感動法廷物語で、1980年代にアラバマ州で実際に起きた白人女性暴行殺人事件を映画化したもの。80年代というからそんなに昔のことではなく、これは現代アメリカ社会がいまだに克服できずにいる黒人差別という病根の根深さを抉りだして「こんなことで良いのか」と告発した映画ということができます。

 アラバマ州といえば、ずっと昔「アラバマ物語」というグレゴリーペック主演の映画がありました。これもレイプ犯を黒人になすりつける冤罪でした。またヘンリーフォンダ主演の「12人の怒れる男」という戦後すぐの映画も同系統に属します。他にも法廷物といわれる作品群がありますが、いずれもテーマは「正義」、「民主主義」これがアメリカ映画の伝統としていまも健在であることにほっとします。他国の将軍を空爆で殺害するような無法を平然と行うアメリカですが、半面「正義・民主主義」の伝統が国民の中に根をはっているのもまたアメリカ。

 主演のマイケル・B・ジョウダンが好演していました。「貧困の反対語は富裕ではない・・、正義だ・・。」、「黒人は生まれながらに有罪だ・・」等々警句に満ちたセリフが印象的でした。