古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

第一回夕野火顕彰俳句大会入賞作品

2019-03-30 14:32:27 | 

大会大賞
 冬の朝馬のまつげに光るつゆ  南陵高校 恒松乃絵瑠

あさぎり町長賞
   しもばしら頭の土が重そうだ       深田小学校 林田ひなた

多良木町長賞  
  秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良木町 黒木 雷

湯前町長賞  
  夕やけやわたしの心も照らしてる     湯前中学校 苗床楓花

水上村長賞  
  あれなんだうえからぽつんどんぐりだ   岩野小学校 石橋大輝  

あさぎり町教育長賞  
  くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校 益田琥生

多良木町教育長賞  
  強くうちどこまでひびくじょやのかね   多良木小学校 立山晄一

湯前町教育長賞  
  初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校  吉田楽々(らら)

水上村教育長賞  
  星月夜天文学び視点変え         水上中学校  原田夏稀(なつき)  

多良木町文化協会賞  
  神宿る響く足音寒稽古          多良木中学校  豊永麻鈴(まりん)

湯前町文化協会賞  
  もちの顔ぷうっとふくらみパパみたい   湯前小学校  竹下 心(こころ)

熊本日日新聞社賞  
  神酔うて人垣くづす里神楽        飯塚市  安永静子

熊本放送賞  
  住み古りて此処がふるさと松飾る     島原市  吉永せつ子

人吉新聞社賞  
  色のない冬の静けさ突き刺さる      人吉高校 西門美紅(にしもんみく)

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

【小学校低学年の部】村田 徹選   俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
あれなんだうえからぽつんどんぐりだ   岩野小学校 一年 石橋大輝(だいき)

秀 逸
しもばしら頭の土がおもそうだ      深田小学校 三年 林田ひなた
帰り道夕やけしずみ月光る        岩野小学校 三年 石橋海羽(みう)
初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校 三年 吉田楽(らら)
もちの顔ぷぅっとふくらみパパみたい   湯前小学校 三年 竹下 心(こころ)

佳 作
日がのぼり光かがやくしもばしら    多良木小学校 三年 竹辺みどり
年がじょう二つもらってうれしいな    久米小学校 二年 森山華帆(かほ)
ゆうやけやたこあげしたいともだちと         久米小学校  二年   平島未侑(みゆう)
妹とはじめてすごすお正月       深田小学校 二年 よし田心音(こと)の
はつ日の出まぶしく光るお正月      深田小学校 三年 高村真人(まなと)
しもばしらふむとザクザク気持ちいい   深田小学校 三年 宮原乙寧(おとね)
サンタさんリースをかざってまってます  岩野小学校 二年 西 永遠(とわ)
クリスマスまちがぴかぴかかがやくね  岩野小学校 二年瓦川日愛(かわらがわぴあ)
ふきのとうがんばれがんばれでてこいや  免田小学校 二年 おさきゆりの  
ふゆのあさそとはきらきらしものまち    免田小学校 一年 中村りあ

 

小学校高学年の部】 西浦大蔵選   俳人協会会員 同県支部幹事

特 選
くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校 四年 益田琥生(こお)

秀 逸
冬空にオリオン輝く家の庭        久米小学校 六年 蔵坐翔斗(はくと)
強くうちどこまでひびくじょやのかね 多良木小学校 四年 立山晄一(こういち)
グランドの霜柱ふむ球児たち      黒肥地小学校 五年 池田圭汰(けいた)
息白しホットココアを飲む朝よ      岡原小学校 四年 星原望愛(のあ)

佳 作
日の光きりの深さにかなわない     湯前小学校 五年 多良木姫愛来(きあら)
とんできたむきわらぼうしこれだれの   免田小学校 五年 小山会(かい)
かぜにのり空たかくとぶやっこだこ   黒肥地小学校 四年 森山朝喜(ともき)
いちょうの葉ぎんなんともに落ちにけり 黒肥地小学校 六年 浦田天莉(りこ)
赤い空夕日を通る赤とんぼ        岡原小学校 四年 今田莉子(りこ)
宿題が終わらぬままのお正月      多良木小学校 四年 橋詰竜空(りく)
一面に広がる静けさ冬の朝        須恵小学校 五年 今村光花(ひろか)
持久走ペースがあがる白い息       岩野小学校 六年 西野聖乃(せな)
ホタルまう川べり歩く夏の夜       岩野小学校 六年 久保田怜奈(れな)
山の中川のせせらぎさわやかに      須恵小学校 五年 恒松美蕾(みらい)

 

【中学校の部】園田篤子選  俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
星月夜天文学び視点変え         水上中学校 三年 原田夏稀(なつき)

秀 逸
神宿る響く足音寒稽古          良木中学校 二年 豊永麻鈴(まりん)

森の奥静かな戦い甲虫          水上中学校 一年 中村海羽(みう)
夕やけやわたしの心も照らしてる     湯前中学校 二年 苗床楓花(ふうか)
天の川織姫彦星探す夜          水上中学校 一年 椎葉夏稀(なつき)

佳 作
流星群空のかなたでおにごっこ      水上中学校 一年 西未羽(みう)
夏祭り二人の手にはりんご飴      多良木中学校 二年 味岡笑音(にこね)
紅葉は山がおしゃれをする時間     多良木中学校 二年 山本楓(かえで)
たんぽぽよとおくへいけいけとんでいけ あさぎり中学校二年 榎元綾郁(あやか)
流れ星僕の願いは届くかな        湯前中学校 一年 藤山憲史郎
おでん鍋家族六人かこむ夜        湯前中学校 一年 黒木海音(かいと)
サクサクと足元鳴らす霜柱       多良木中学校 二年 嶋田尚一郎
蛇の目のにらみし先にえものあり     湯前中学校 一年 上村 純
冬空にたくさんの気球ビー玉のよう   多良木中学校 二年 尾方乙葉(おとは)
シカのつの電線破り菜を盗る       湯前中学校 二年 椎葉咲斗実(さとみ)

 

【高校の部】岡本ゆう子選  俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
祖父と行く静かな山へ猪狩りに多    多良木高校 三年 白木諒(りょう)

秀 逸
弟を越す雪だるま溶けはじむ      球磨工業高校 二年 村尾飛(ひづき)
冬の朝馬のまつげに光るつゆ        南陵高校 三年 恒松乃絵瑠(のえる)  
色のない冬の静けさ突き刺さる     人吉高校 一年 西門美紅(にしもんみく)
お湯なのにたまに冷たく感じる手      人吉高校 一年 下田恵巳梨(えみり)

佳 作
雪積もる君との足跡消えて行く     球磨工業高校 二年 中田照真(てるま)
冬の夜流星群に願いごと          南陵高校 三年 千代島美雪
正門の前に大きな松が立つ         南陵高校 三年 上田彩香
鼻の奥ツンと冷たい風が吹く        南陵高校 三年 米澤梨沙
SLが桜を揺らし走り出す         多良木高校 三年 税所愛莉(あいり)
風ふいてだれよりきつく巻くマフラー    南陵高校 三年 高野起一(きいち)
一年の思い出胸にそばを打つ        人吉高校 一年 横山風菜(ふうな)
冬の空星がきれいな球磨地域        南陵高校 三年 嶋田有希子(ゆきこ)
白いきりぬれたかみが光る冬        人吉高校 一年 桑原侑雅(ゆうが)
チャイム鳴りダッシュで駆ける冬課外    人吉高校 一年 南 咲衣(さきえ)


【一般の部】西村泰三選   俳人協会会員・評議員県支部顧問・「松」編集、発行責任者

特 選
住み古りて此処がふるさと松飾る      島原市 吉永せつ子

秀 逸
三方の供物のことに栗ひかる       多良木町 松本朝秋
秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良木町 黒木 雷
神酔ふて人垣くづす里神楽         飯塚市 安永静子
散歩とて妻の出かくる冬うらら     あさぎり町 祝 乃験(いわいのけん)

佳 作
球磨弁の飛び交ふ霧のホームかな     北九州市 北本盡吾(じんご)
正月や派手派手なりし母のこと     あさぎり町 高橋すすむ
梅雨晴や山峡の田を風走る         湯前町 金山則子
県境のトンネルくぐり初湯かな       水上村 那須久子
神木の雨だれをうけ初詣で         熊本市 坂梨結子
炎(ほ)の色のよしと炭焼一服す    福岡県遠賀町 安部紫流
棹さしてぐらり漕ぎ出す炬燵舟       熊本市 白石とも子
出初式指揮隊長はおさげ髪       あさぎり町 加賀山瑞子(みつこ)
射位に立ち身のひきしまる弓はじめ   あさぎり町 白石香代子
足太き球磨の酢蛸や歳の市         湯前町 柿川キヨ子

 

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー―――――

選 評

   小学校低学年の部】 選者  村 田  徹                  

●特選  あれなんだうえからぽつんどんぐりだ    岩野小学杖 石橋大輝(だいき)

 何度か声に出して読んでみました。とても面白い句で、作者の表情までが目に浮かんできま した。最初に「あれなんだ!」と問題提起し、次に「うえからぽつん」で状況が分かり、最後に「どんぐりだ」で種を明かし、自分が体験したことを素直に、簡潔に表現してあります。

●秀逸  しもばしら頭の上がおもそうだ      深田小学校 林田ひなた               

 いいところに目を付けました。街中ではあまり見かけなくなりましたが、寒い朝、神社の裏 の日の当たらないところや、あぜ道などに霜柱が残っています。良く見ると力持ちの霜柱が 黒い上をグッと持ち上げていたのです。それを霜柱の気持ちを推し量った「おもそうだ」と表現したところが、面白いと感じました。                                                  

●秀逸  帰り道タやけしずみ月光る      岩野小学校 石椅海羽 (みう)          
 帰り道の何気ない情景を詠んでいますが、とても詩的な句です。夕日が沈み、きれいだった夕焼けも消えて、徐々に辺りは暗くなっていきます。中七を「タやけ消えて」とはいわず、「夕やけしずみ」と表現したところがいいと思います。時間の経過とともに変化する帰り道の情景が、よく描かれています。

●秀逸  初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校 吉田楽々(らら)           
 元日の朝、家族みんなで、今か今かと初日の出を待っています。しばらくすると、山の稜線に少しずつ赤みがさしてきて、ついにお日さまが現れてきたのです。その神々しいばかりの初日の出の瞬間を、作者は「花のよう」と上手に表現しました。

 ●秀逸  もちの顔ぷうっとふくらみパパみたい   湯前小学校 竹下 心        

 膨らんできたおもらをみて作者は、「パパみたい」と思ったのです。思わず笑みがこぼれるユニークな句です。日ごろから、とても仲のいい親子ぶりがうかがわれます。

 
小学校高学年の部】    選者  西浦 大蔵     

 ●特選  くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校  増田琉生(こお)

  学校での様子でしょうか。雪遊びをするために、外へ出ようとする一瞬です。いつもはゆる く締めている靴の紐をきつく締め直し、雪の庭へ出て行ったというのです。雪が降った、雪遊びができるという喜びが感じられます。「楽しい」、「うれしい」など、気持ちを表わす言葉を用いず、その情景だけを詠み、読者に気持ちを伝えています。それが俳句なのです。
「スケートのひも結ぶ間も逸(はや)りつつ 山口尊子」を相起させる一句です。  

●秀逸  冬空にオリオン輝く家の庭     久米小学校  蔵座翔斗(はくと)         

 冬の星空を見上げた時の感動を詠んだ一句です。広い庭が思われます。その庭に立ち、親しいオリオン座の形を見つけたのです。
                                       
●秀逸 強くうちどこまでひびくじょやのかね 多良木小学校立山暁一(こういち)                                          
 除夜の鐘をついた時の情景です。撞木をカの限りつきました。大きな音が響いたのです。その驚きを「どこまでひびく」と表現しています。
                                       
●秀逸  グランドの霜柱ふむ球児たち     黒肥地小学校 池田 圭汰
 早朝の野球の練習がはじまりました。一団となってグランドをランニングしているのでしょうか。凍てつく朝の空気の中、緊張感が感じれます。
                                      
●秀逸  息由しホットココアを飲む朝よ     岡原小学校 星原望愛 (のあ) 
 朝食の一場面でしょうか。暖まらない室内の空気に息が白くなります。その中でホットココアを飲んでいるというのです。寒いけれども、ホットココアに穏やかな思いであるのです。

【中学校の部】 選者 園田篤子

 ●特選  星月夜天文学び視点変え       水上中学校 原田夏稀 (なつき)

 作者は、理科の授業で星や星座の勉強をしたのでしょう。今までは、何となく見上げていた夜空が、学習した後では違って見えたことを、「視点が変わる」と表現しました。中学三年生ともなると、少し大人の視点になるのですね。星月夜とは、月のない満天の星で、まるで月が出ているように明るい夜空のことを言います。興味濃く、星を観察しようと意気込んでいる気持ちを、句にすることが出来ました。

 ●秀逸  神宿る響く足音寒稽古       多良木中学杖 草本麻鈴(よりん)
 剣道か柔道でしょう。一番寒い時期に、あえて寒さに、立ち向かい、厳しい環境での稽古の様子を句にしました。道場に素足の音が響きます。「神宿る」とは、少し大けさにも聞こえますが、段位が上の人の足さばきに、「さすがだな」と、大いに感心したのかもしれません。寒い時期 は音が良く通ります。その一瞬を上手に切り取りました。

●秀逸  森の奥静かな戦い甲虫       水上中学杖 中村海羽(みうれ)   

 水上村のキャンプ場あたりは、たくさんのカブト虫がいそうですよね。確かに角と角を戦わせてもカブト虫は静かです。人間に聞こえるような音とか声は出しません。しかし、虫たちには虫たちなりの世界があって、虫にしか聞こえない声とかが、あるのかもしれません。 


【高校の部】 選者 岡本ゆう子

●特選  祖父と行く静かな山へ猪狩に       多良木高校 白木 諒

 狩猟期は、十一月中旬から翌年二月中旬までの期間です。猪狩もその一つで、山地に住む人々にとって大事な冬の仕事です。今日はおじいちゃんと一緒に猪狩です。自分も大人になったら猟師になりたいと思っているのかもしれません。胸弾ませて出かけたのでしょう。どんどん山奥へ進んで行くうちに、期待や不安が広がってゆきます。その心の動きが、「静かな山 へ」の表現で読み取れます。そして、祖父の広い背中が、頼もしく感じられるのです。                             

●秀逸 弟を越す雪だるま溶け始む      球磨工業高校 村尾 飛月(ひつき)

 積もった雪に大喜びで、皆で雪だるまを作りました。出来上がった雪だるまは、一緒に作った弟よりも大きなものでした。やがて雪だるまが溶け始めました。それだけの事ですが、賑やかに作ったであろう状況、雪だるまが弟より大きかった事で、積もった雪の多きも想像されます。そして、寒さが柔らいで溶け始めた時間的な経過、この三つの言葉が省略されて、よい句になりま

●秀逸 冬の朝馬のまつげに光るつゆ      南陵高校 恒松乃絵瑠 (のえる)

 冬の早朝、冷えきった牧舎で牛や馬の世話をするのは大変な作業です。牧舎から連れ出した 馬の大きな眼とそのまつ毛に、キラリヒ光っている露を見逃きず、美しいと心に留めて句にした姿は、馬への愛情と相俟って、素晴らしいと思いました。甲斐甲斐しく家畜の世話をしている様子も、眼に浮かびます。                                           ●秀逸  色のない冬の静けさ突き刺さる      人吉高校 西門真紅(みく)  

 冬だからと言って、色がないわけではありません。春の花咲く季節、紅紫の美しい秋等に比べ 、華やかさのない枯れ色の多い冬景色を、「色のない」と表現し、厳しい寒さ冷たさが身体 に「突刺さる」と感じた思いを、素直に句にしたと思います。                                            

●秀逸  お湯なのにたまに冷たく感じる手    人吉高校 下田恵巳梨(えみり)

 痛い程に冷えきった手を暖かいお湯にひたした時、一瞬、自分の手を冷たいと感じ取った、という瞬間的な感覚を、読み取った句です。その後じわっと、お湯の暖かさが伝わって来るのです。素直に表現出来ていて、良い句となりました。私にも、こんな経験をした覚えがあります。


【一般の部】  選者 西村泰三 

●特選  住み古りて此処がふるさと松飾る      島原市 吉永せつ子

 この家へ嫁に来てから、又は結婚して家を建ててから、この地この家に長い事住んいる。ここが生れ育った故郷みたいだ、と思いながら正月の松を飾っている、という句です。詠み出しの「住み古りて」の中に、作者のウン十年の歴史が込められています。その歴史の中か ら「此処がふるさと」という感慨・言葉が出てきたのだと思います。それが、「松飾る」という正月準備の作業だけに、作者の感動に共感が湧いて参ります。                                   

●秀逸  三方の供物のことに果ひかる       多良本町 松本朝秋

 「三方」は、神や仏などに供える食べ物などをのせる四角な台で、正面と両側の三方に穴が あけてあります。その台に乗せてある供物の中の栗が 特に光っている、という句です。作者は、その三方を前にして仕事をされる、僧侶か神主さんではないかと思います。供物が栗等の農産物からして漁村ではなく農村地帯だとわかります。それらを推測して行くと、それが供えられた村祭りの様子までも想像されます。
                                        
●秀逸  秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良本町 黒木 雷

 追悼の句です。投句をする気になったことを投句用紙に書き添えてありました。それによりますと、作者は、私どもの句友で一昨年秋亡くなられました「中原れつ子」さん(俳優中原大雄さんの母さん)の、黒肥地時代の幼なじみとの事です。中・下の記述に、亡き友の生涯を推し量る作者の気持ちが、素直に表現されいて、それが私の琴線をゆさぶりましたので、 選らばせて頂きました。

●秀逸  神酔ふて人垣くづす里神楽         飯塚市 安永静子

 村祭りで奉納される神楽を見ての詠です。神楽の設定が、神さまが酒を飲みすぎて酔っぱらってしまう内容だったのです。その神が酔うた仕草の中で 観客の方まで踊ってきたので、神楽を見ていた人たちの列が崩れたのです。その瞬間を捉えた句です。中七の描写で、神楽や観客の様子まで想像でき、村祭り全体まで推測が広がって参ります。                                        ●秀逸  散歩とて妻の出かくる冬うらら  あさぎり町 祝乃 験(いわいの けん)

 散歩に行ってきまーす、とテレビを丸ているのか、仕事をしているのか、室内の旦那さんへ    声をかけて、奥さんが出かけて行ったのです。それで窓の外を見たら、風もなく晴れ渡った春のようなうららかな冬日和の日であった、という句です。同居の家族があったら、家族は 仕事や学校へ行つていて夫婦二人だけの時間です。夫婦二人だけの暮らしだったら、その夫婦の日ごろの暴らしぶりが伺える、そんな句です。何でもない日々の生活の一コマを、うまく切り取り、句にした手腕は見事だと思います。

 

 ※「松」誌の購読は「松」発行所へお申し込みください。TEL 096-381-3774(西村)まで


俳誌「松」 百千鳥號 平成31年3月

2019-03-27 23:39:14 | 

 

主宰五句   村中のぶを

十一月遠杉とみに尖り見ゆ

古墳道わが息白く犬じもの

マスクして身をとざしたる思ひかな

椨(たぶのき)に海の光ぞ初社

暮れなづむ野面の涯や雪の嶺ろ

 

「松の実集」

 年新た   大江妙子

  神妙に手合はす幼聖夜の灯
  「年賀状」紙の貼るりあるポスト口
  門松の竹の切り口みずみずし
  聖堂の花に若水あふれしめ
  かがよひて大波小波春の川

 
      冬景色   住吉緑陰

        納屋うらの曝れし板かべ干大根
        麦の芽やめぐる山なみ屹立し
        ねぐらへと鳥影忙し冬夕焼
        月に照る霜の甍のほのぼのと
        ほど遠き町にひびける寒念仏


      水仙の香   岩本まゆみ

        山茶花や親鸞像の笠小さく
        小春日の立釣舟や遠賀川
        水害のものを引つかけ枯柳
        辻毎に報恩講の案内板
        折れ折れて水仙香を失はず

 
        神風連・桜山神社   西村泰三
        
        高々と宮の日の丸冬木中
        宮に満つ寒禽の声雨上がる
        淑気満つ命日同じ墓並び
        百二十余の墓の列淑気満つ
        淑気満つ墓所の奥なる誠忠碑 

 

雑詠選選後に     村中のぶを

 

勢ひ水砕けまぶしや玉せせり   安部紫流           

  凡そ短歌や俳句ほど古今より深く風土に根づいた詩はないのですが、一句はまた福岡市筥崎八幡宮の正月三日に行はれる、弓矢八幡にふさはしい「玉せせり」の勇壮な祭事を詠んでゐます。径三十センチの雌雄二つの木玉の、雌玉は貝桶に納めら れ雄玉は神官の手によって、海水で身を潔めた褌一貫の若者たちの群れへ投げ渡され、それを競り合ひ奪ひ合ひ、最後に手に取った者がその玉を神前に捧げ、一年の豊作、豊漁を得るといふのです。「勢ひ水」は若者達を嚇し、冷水を掛け合ひ、「砕けまぶしや」はその放つ水の光景と共に若者たちの揉み合ふ裸身のかがやきをも言ひ留めて、玉せせりの活況を善くぞ伝へてゐます。なは筥崎八幡の楼門の大額は亀山上皇宸筆の(敵国降伏)で知られ、灯籠は千利休寄進と謂はれてゐます。私も二度訪れました。

 

しまき雲越後境の嶺々隠す 小鮒美江

「しまき雲」、しまきは(風巻)と書き(し)は風の古語、風の烈しく吹きまくること、と辞書にありますが、例句に角川源義の(海に日の落ちて華やぐしまき雲)などが見えます。掲句はその強風をはらんだ雲が、作者の地の上州に接する、越後の山を覆ふ景を、季語の選択も然る事ながら日常的な遠景らしく、平易に叙してゐるのが実に印象的に思へます。

 

駅長の嚔に列車動き出し   竹下和子

  面白い句です。直ぐ地方の一支線の小駅の風景が浮かんで来ます。それも野景の広がる、短いホームの駅の様で、駅長の嚔からは朝の気配が窺へます。してまたこの様 な一句の発意に、作者の親しい人柄が想像されます。

 

初春や緞帳上り「成駒屋」   川上恵子

 「初春や」、昔からの慣例が太陽暦の今日に残り、初春といへば正月の事で、新年を寿ぐ意味で用ゐられてゐます。 その「鍛帳」が「上り」、いきなり「成駒屋」と、掲句は叙してゐるのですが、それは読者にはその声さへ聞こえて来て、重々しい絢爛たる緞帳が上って現代の成駒屋一門が座してゐるのでせうか、まことに活活しい場面です。 ともあれ、成駒屋、と急迫調で終止した結句はまさに見事です。

 

辻井伸行聴きゆたかなる年の夜   古野治子

 「辻井伸行」といへば世に知られた若いピアニストの方です。生来目のよくない方で、その視線の落とす先の美しい清らかなピアノの音に、誰もが聴き入った事はあると思ひます。もちろん画面の向かうですが、一句の場合は何処の事でせうか。「聴きゆたかなる年の夜」とは、読者には大晦の夜空をも連想されて、いつか作者の情感に浸る思ひです。

 

枯芭蕉縫ひっつ江津の水豊か     村田 徹

  熊本市の東南に位置する江津湖の、湖畔に住まふ作者ですが、一句はその一隅の芭蕉林の詠句でせうか。「枯芭蕉縫ひっつ」はその林の風光を詠じて、「江津の水豊か」は湖水の流れを称へてゐます。そもそも熊本市は阿蘇山の伏流水により潤された水の豊かな町で、江津湖はその精髄ともいふべきところです。そして詠句の誇張的な表現でもなく平明に、ささやかな景色に触れてゐることに何とも心惹かれます。

 

連結を果たし汽車出づ寒北斗      山岸博子

 どの歳時記にも加藤鰍郡の(生きてあれ冬の北斗の柄の下に)の例句が見えますが、「寒北斗」とは、むろん冬北斗の季題の副題ですが、作者は札幌の地の方です。それは自づと東南にきらめく揺光を厳しく見据ゑてゐるのです。して「連結を果たし汽車出づ」、中でも果たしといふ措辞、ここでは連結を終へた、しとげたといふ事ですが、一句の寒北斗の下の夜景の、旅愁めく思ひをこの上なく表出して ゐます。またこの様な詩語の引用はお互ひに心得ておくべきことだと思ひます。

 

屈み入る氷柱囲ひの小海駅     細野佐和子

「小海駅」は信州小淵沢から小諸に通じる小海線の途中の駅で、千曲川沿ひに浅間山が望まれ、振り返れば北八ヶ岳の稜線に、諏訪富士と呼ばれる蓼科山が見える所です。その高山にかこまれた駅に「屈み入る氷柱囲ひ」とは、土地の風雪が自づと詠まれ、氷柱には辺りの山容が映じてゐることも想像されて、改めて右は価千金の叙述だと強く思ひます。それに懐かしい風景です。

 

夫支へ立ち初空に合掌す     荒牧多美子  

 先にも述べた言葉ですが、何の誇張もなく詠句は、「初空」 に託すべく「夫支へ立ち」、その有りの俵の姿で「合掌す」と叙してゐます。それは沌み沌みとした詠情に誘ほれます。

 

除夜の鐘のみに静もる峡住まひ  住吉緑蔭  

「除夜の鐘のみに静もる」とは、除夜の鐘の渡る以外に何の音もないと述べてゐるのですが、「峡住まひ」とあれば更に大晦日の深い闇が偲ばれます。

 

藁積みて萌やし田繕ふ水烟る      白石とも子   

 作者も熊本市の江津の湖畔に住む方、掲句は明らかに水前寺もやしを作る、昨今のもやし床の風景を映像的に、鮮やかに詠じてゐます。それに何の感情移入のないことが実に写生的です。 


矢嶋忠左衛門の妻鶴子の死

2019-03-21 18:43:13 | 熊本の偉人

 矢嶋鶴子は嘉永7年(1854)5月21日中山手永惣庄屋役宅において56年の生涯を閉じました。墓は杉堂村城ガ峰に夫忠左衛門の墓に並んで建っています。

 


杉堂の城ガ峰にある矢嶋家墓地には一族の墓20数基がありますが、近隣に血縁の方がないのかお詣りの跡がなく、墓域は益城町の管理になっているようです。

矢嶋忠左衛門之配三村氏碑陰の記 文 横井小楠

 此棺ハ益城郡中山ノ御惣庄屋矢嶋忠左衛門ノ配三村氏ヲオサメシモノナリ。三村氏名ハ鶴、和兵衛某ノ女、寛政十年(1798)三月朔日ニ生マレ、文政二年(1819)矢嶋氏ニ帰シ、嘉永六年(1853)五月廿一日春秋五十六歳ニテ終リヌ。
 此人貞正ノ生マレニシテ、義理ニ明ニ、禍福・利害ニ移サレズ、又能ク憐深ク、人ヲアハレムヲ以テ心トセリ。家ニアリテ、能ク祖父母ニ仕へ、兄妹と同ジク賞セラレテ、銀若干ヲ給ハリヌ。
 既ニ嫁シテ家貧シク、農事ヲ勤メ、蚕ヲ養ヒ、人ノ堪ヘヌ業ヲ尽シ、舅姑ニ仕ヘヌ。ヤゝユタカナルニ至リテ、衣服・飲食ミズカラノ事ハ極メテ倹素ナレドモ、理ニ因テ財ヲ出スハ、聊カモ吝カナル事ナシ。二男七女を生ミ、子ヲ教ルニ、必ズ真心ヲ磨キ、行実ヲ尽ヲ以テココロトセリ。
 病テ牀ニ在コト、殆百五十日ニ及ビ、疲労日々ニ進メドモ、精神平生ニカハラズ、折リニフレ、事ニ就キ、子ヲ教へイマシムルコト至レリト云フベケレバ、其子ノ母ヲシタヒ、忘レヌ餘リニ、世替リ時移リ、山崩レ地折ケ、シルシノ石モ無クナリテ、此棺ヲ発カム。人ノアハレミテ、ウヅミ給ハンコトを希テ、余ニ乞フテソノアラスジヲ記セシム。
 余トイフモノハ、熊本ノ横井時存ニシテ、其子ノ矢嶋源助ガ師トシ、友トスル人ゾカシ。

 この「碑陰の記」は鶴子墓のそばに建てられたが、今は失われて行方不明となっている。

発 病
 母が死んだのは、父より1年半前でした。母の病気は随分前からだったでしょうが、私共の眼にも、身体がお悪いと見えはじめたのは、亡くなる前の年(嘉永6年)の11月の事でした。裏の畑に大根がよくできたのを、客のいないうちにと、男衆を連れて大根引きに行って帰って、沢庵漬けにするもの、切干しものと、それぞれ命じて、手数をすませた後「ご飯にしましょう」と言うたときの母の口もとが変でした。これからが始まりでした。此日はよほど寒かったので、背戸にでて長い時間働いた中に、芯から冷えきったようでした。手ぬぐいを襟に巻いて帰った時の言葉は充分ではなかったようでした。しかし暖まればすぐに、それは治まりました。『矢嶋楫子伝』

診 断
 熊本一の名医と言われていた蘭方医の寺倉秋堤が招かれて診察しました。「鵙も48鷹の中というのですから、この病気も中気の中だと申してもよいでしょう。」と言いました。面白い診断の弁ですね。この寺倉秋堤は熊本における種痘の開祖といわれる医者で小楠と交遊がありました。後に熊本医学校の教頭を務めた人です。

戒 名
 
人々の懸命の看病も甲斐なく遂に矢嶋鶴子は死去します。
 旧暦5月21日といえば梅雨真っ盛りのころです。葬式には城下から僧侶を招きました。僧侶は道々馬上で戒名を考えて来たものらしく「梅霖院妙晴釈尼」と紙の上に書いて示しました。これを見た長女にほ子の夫三村章太郎が「坊さまは雨の中を来たので、降ったり晴れたりしている、梅林院妙香釈尼としていただけないか」と希望を言うと僧侶も、それに同意しました。これで決まったかと思いきや、墓石に刻まれている戒名はまた異なっています。そこには「梅林院清香信女」とあります。

三変した戒名


「町在」竹崎律次郎家督を譲る

2019-03-19 22:43:17 | 町在竹崎律次郎

熊本県立図書館蔵

御内意之覚

布田手永布田村居住
一領一疋
竹崎律次郎

右律次郎先祖は阿蘇家浪人ニ而律次郎曾祖
父竹崎太郎兵衛と申者玉名郡内田村ニ居住仕居
申候処宝暦九年十二月御郡代直触ニ被仰付
其後小田手永御惣庄屋並御代官兼帯被仰付

其子竹崎太兵衛右同手永御山支配役被仰付
其養子竹崎次郎八荒尾手永御惣庄屋並
御代官兼帯被仰付置候処文政十二年十二月
病死仕候右次郎八養子律次郎ニ而御座候処天
保元年五月養父跡地士ニ被仰付同九年寸志
之訳ニ而被対一領一疋ニ被仰付其後布田江居住
仕居烏乱者見締村請持並文武芸倡方且
袴野新堤配水方受込被仰付置候処病気

熊本県立図書館蔵

差発難相勤御座候由ニ而右御役々並一領一疋
之御奉公共ニ御断申上度段願出相達候ニ付内
輪之様子承糺申候処相違も無御座様子ニ付
願之通被仰付被下候様

右律次郎養子
竹崎新次郎
三十四歳

右は生質廉直ニ有之筆算等相応ニ仕り
往々御用ニ可相立者ニ而尤芸之儀格別出

精仕所柄相門熟切ニ倡立数々相伝も相済
候棱々左之通
一 体術江口詰左衛門門弟ニ而嘉永六年十二月目録
相伝仕候直ニ所柄代見申付ニ相成居申候
一 剣術横田清馬門弟ニ而嘉永六年九月目録
相伝仕候
一 槍術富田十郎右衛門門弟ニ而安政六年八月目
録相伝仕候

熊本県立図書館蔵

一 炮術財津勝之助門弟ニ而安政六年十月頬付
目録並炮火術目録相伝仕候
一 居合恵良左十郎門弟ニ而安政四年八月目
録相伝仕候
右之通相伝相済体術之儀は在中代見をも
申付ニ相成居相門倡方も手厚行届申付被付
旁ニ被対養父跡無相違一領一疋ニ被仰付
被下候様於私共奉願候此段御内意仕候条

宜敷被成御参談可被下候以上

安政七年二月   南郷 御郡代

御郡方
御奉行衆中

僉議
 律次郎儀達之通ニ付一領一疋可被成御免哉

 新次郎儀達之通五芸目録相伝相済居
 右芸数ニ而は見合せも御座候間親同様

熊本県立図書館蔵

一領壱疋可被召出哉

右僉議之通四月十三日達

熊本県立図書館蔵

  

布田手永布田村居住
一領一疋
竹崎律次郎
五十歳程
右同人養子
竹崎信次郎

右者父子進退別紙之趣ニ付見聞仕候処律次郎儀
病気差起御奉公難相勤由無余儀様子ニ
相聞信次郎儀は手全成人物ニ而筆算
相応ニいたし体術剣術槍術砲術居合

五芸共目録相伝相済居体術は所柄代見
をも申付相成居候由ニ而角場は居屋敷内ニ取立
置右五芸共相門中倡立手厚世話いたし候由
に而行状ニ付異候唱も相聞不申御赦免開は
所持いたし居不申由承申候以上


閏三月    河口源右衛門 印

 

 ※ 初めの方の記述に「病気差発難相勤」とあり、そのために手永の役々及び一領一疋の身分もお断り申し上げ、結果として養子の新次郎に跡目を相続させました。
 わたしは病気については信じがたいと思っています。律次郎の病気は家督を譲るための方便ではなかったかと考えています。律次郎にはその動機が充分にあるのです。というのは律次郎が養子に入った竹崎家には病没した先代の嫡子、新次郎がいました。あまりに幼いのでその養育のために律次郎は養子に入ったのでしたが、よかれとおもって始めた造酒業がうまくいかず、また米相場に手を出して失敗したのが命取りとなって竹崎家は破産します。ために律次郎は行方不明となり、結婚2年目の順子は仕方なく父母のいる中山手永へ帰り夫の復帰を待ちます。
 
律次郎の消息がわかり順子が呼び戻され布田村で再起をはかるのは2年後のことでした。それからの苦節16年。夫婦して懸命に働き再起に成功したのです。この間に新次郎も一廉の人物に成長したので、もうそろそろよくはないかと間合いを測っていたのです。
 新次郎に家督を譲った翌文久元年(1861)律次郎・順子は横島の干拓地へ農業をするために移住しますが、それは伊倉の木下家(律次郎の実家)から来た話でしたが、新次郎に「形をつけた後に」という思いが律次郎にはあったようです。それを果たした上での決断でした。
 
横島での夫婦の働きは、先にアップした「竹崎順子」に書いたとおり実に目覚ましい成功を収めました。
 竹崎律次郎は布田時代に横井小楠の弟子になり、月3回ある講義の日は相撲町の小楠堂まで5里の道を往復していました。熊本の維新は明治3年に来たと言われますが、その時、小楠門下の人材がぞくぞくと登用され律次郎はその中心人物の1人で熊本の近代化に貢献しました。


「町在」竹崎律次郎銭三貫目寸志 天保9年

2019-03-15 17:07:49 | 町在竹崎律次郎


熊本県立図書館蔵

          御内意之覚
                  小田手永地侍
                  竹崎律次郎

    一 銭三貫目

    右者
    二ノ御丸惣御修復等
    御手伝御用ニ付寸志銭差上最早夫々年賦
    上納相済申候間乍恐被賞一領一疋ニ進席
    被 仰付被下候様有御座度奉願候此段宜
    被成御参談可被下候以上

     天保九年十一月

     玉名
      御郡代

     御郡方
      御奉行衆中


熊本県立図書館蔵

      律次郎儀達之通ニ而寸志高
      見合之規矩ニ相当居申候間
      一領一疋可被 仰付哉

      右之通十二月廿二日及達

竹崎律次郎は文化12年(1812)の生まれだから、この時26歳の青年だった。矢嶋順子 と結婚するは3年後のことである。

一 銭三貫目 は藩札をもってこれに当てたということ。熊本藩の藩札は銭1匁70文で あったから、3貫目は21万文である。これを金貨、両で表せば約52両となる。


鶴亀句会 3月例会  2019-3-15

2019-03-15 13:51:51 | 鶴亀句会

会日時   2019-3-15  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   7人(不在投句2人)  

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  5句投句 5句選   兼 題  東風

近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左

次 会   4月19日(金)10時パレア9F  兼題 行春・春惜しむ

山澄陽子選

雨戸開く白蓮咲きし二つ三つ     綾 子
一人居の門口通り子猫来る       〃
久に逢ふ友との昼餉春の空       〃

東風吹きて屋台のおでん湯気ゆらり  純 子
三寒四温厚着薄着の繰りし       〃
学舎に東風吹きて今卒業す       〃

制服を着し子と親と風光る      武 敬
うららかや完治ですねと医者言へり   〃
潟スキー来れば引っ込鯥五郎      〃

喘ぎあえぎ海峡を行く東風の船    礁 舎
春眠を心ゆくまで貪れり        〃
強東風に背中押されて決断す      〃

鶯を近くにけふの午後の茶事      興
紙雛やさしき友の折り呉れし      〃

山々に芽吹きの風の谺せり      安月子
汐入川満ちをり春の雲浮かべ      〃

まだ咲かぬその枝に来よ桜東風    小夜子
花ミモザ明るき言葉返し合ふ      〃

背の上に土載せ出づる蛙かな     優 子
春めくや枝を揺らして庭すずめ     〃


「町在」御内意之覚 矢嶋忠左衛門

2019-03-10 17:35:49 | 町在

 この「御内意之覚」は矢嶋忠左衛門が永年の忠勤を認められて唐物(とうぶつ)抜荷改方横目役に抜擢されたときの文書です。忠左衛門は文政元年(1818)初めて沼山津手永蚕桑見締として召し出されているので、この文書の発給された天保9年(1838)まで20年を経過しています。その間郡代手附横目、上益城井樋方助役、郡代手附横目本席などへ昇進しています。

 御内意之覚
           上益城一領一疋ニ而矢嶋卯内
           養子沼山津手永河原村
           居住当時御郡代手附横目
           助勤

     矢嶋忠左衛門 
     三十三歳

 

右者筆算達者ニ而才筆も有之往々御用
存立可申者と見及申候間今度渡辺当左衛門跡
唐物抜荷改方御横目被仰付在勤中諸役人
段ニ被仰付被下候様左候ハハ津口陸口見締役
御郡代手附横目をも兼帯可申付と奉存候
尤横目等申立之書付御達仕候節は両三人
名前御達仕候様被仰付置候得共御家へ会所
役人等之内外ニ見込之者も無御座其上右
忠左衛門儀は先役已来手附横目役助勤
申付置候而相減申候処往々御用ニ相立可申


       

              相見申候間旁外之名前御達不仕候間
              可然様被成御参談可被下候 以上
       十二月     永田金左衛門 
     御郡方
     御奉行衆中
     

              忠左衛門儀達之通外ニ相応之人
     物無之由御郡御目附御横目
     見聞之趣も同様御座候間唐
     物抜荷改方横目欠跡被
     仰付在勤中諸役人段可被
     仰付哉

         右付札之通五月十七日達

     ※ 永田金左衛門は上益城郡代

             覚

          沼山津手永河原村居住一領一疋
          矢嶋卯内養子
     
                  矢嶋忠左衛門
                      三十三歳

          右者別紙申置之趣ニ付見聞仕候處壮健ニ有之
          実体なる人物ニ而気働も有之筆算等宜敷当時
          役方心地能出精相勤候様子ニ相聞行状など異候唱
          承不申候委細本紙之通外ニ御郡代手附横目可相勤
          人物差寄承込不申候忠左衛門別紙書面之通
          被仰付候而も役前相応可仕人物ニ見聞仕候此段
          御達申上候以上

           戌 二月             野田常助 印

       戌 五月十七日達

 ※ 野田常助は郡代手附横目