古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

鶴亀句会 9月例会  2018-9-21

2018-09-27 12:07:12 | 鶴亀句会

会日時   2018-9-21  10時

句会場        パレア9F 鶴屋東館

出席人数   9人 不在投句1人 

指導者    山澄陽子先生(ホトトギス同人)

出句要領  5句投句 5句選   兼 題  虫

近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左

次 会   109月19日(金)10時パレア9F 兼題 木の実

山澄陽子選

老いて今墓参心の糧となり  澤田安月子
箸置きは笹のひと葉や新豆腐  〃
秋草を姉と苅りたる墓参かな  松尾茂子
全きは一枚もなき芭蕉林    平川礁舎
蝙蝠の天地左右を縦横に    〃
秋乾き黄色の絵具溶かしけり  小林優子
振向けば隊列揃へ赤とんぼ      〃
虫時雨グラスの酒を揺らしけり 岩城小夜子
癒えぬこと君知りてをり秋の風   〃
鈴虫の声や隣家へ気遣ひぬ    佐藤武敬
悪友の二人あの世へ秋の雨       〃
赤とんぼ飛行機雲を横切りぬ  近田綾子
大雨の止んで虫声にほつとする    〃
祭獅子去りて空しきアーケード  柳水 興
つくつくをベランダに聴く侘しき日  〃
温め酒満たせば菜の又美味し   木村純子
空蝉やいづこで啼きし七日間     〃


「俳誌松」主宰句を鑑賞する

2018-09-17 14:13:26 | 

 結社の主宰というのは孤独な存在で、誌上に作品を発表してもそれについて評言を述べる読者は一人もないというのですね。主宰は結社内では権威をもつ存在で、その主宰にたとえ鑑賞文のようなものでも、もの申してはいけないというような不文律がこの世界にはあるようです。
 主宰の側からこれを見れば作句に無反応というのは寂しいことに違いないと思うのです。
わたくしは読者ではあるけれど投句はしていないので比較的自由な立場にあるので主宰の俳句を鑑賞してみようとおもいます。

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

「奥津城や」の句
 奥津城(おくつき)というのは「奥深い所にあって外部から遮られた境域」という意味で古代においてはそういうところに「柩」を置いたので、そこから転じて墓域、お墓を指すようになりました。ただし「釈」 と刻まれているような仏教墓と区別して神道における埋葬形式の墓をこのように呼ぶそうです。
 作者が敢えて「奥津城」と遣う場合はやはり神道意識があるのだと思います。そういうお墓の近くに提灯花(ほたる袋)が一所にかたまって咲いているというのです。一見なんでもない風景のようですが、これは作者の心の中にある神道的な原初風景と眼前の風景とが
同期してたがいに響き合う状態にまで高まったのです。そういう場合人は大いなる感動を覚えるものです。その精神の昂ぶりから迸り出た言葉が句になったのではないか。だからこの句は単純を装っていながらけして単純な句ではないのです。わたくしにはこんな句はとても詠めない。

「独活の花」の句
 独活(うど)は林の際など日当たりのよい場所か半日陰の傾斜地などに自生する多年草で、せり、わらび、タラの芽などと同じくこれを食すると体内の毒素を除くと言われ、かすかにアクがありますが、それが躰によいそうです。
 作者は山林の登り口付近に立って賑やかに群生している「独活の花」を見ているのですが山に登る気はなく、静かな山だなあと思ってしみじみと山の姿を見ていたというのです。内容的にはそれだけの句ですが、この句は措辞の上で面白い句となっています。
 
それは「はろけさ」という辞の名詞化です。「遙けし」原辞はク活用の形容詞ですが、これを「はろけし」と読ませ更に「はろけさ」と名詞化したのです。そのために一句は佳句になりました。「山ははるけくあるばかり」と比較してみてください。

「夏帽子」の句 

 妙齢の女性の髪が帽子をはみ出して背へ垂れている。そこを描写したのですがそのテクニックが実に素晴らしい。先ず「すべらしし」、この措辞が素晴らしさの中心です。初めの「し」はサ行5段活用「滑らす」の連用形。普通には助詞「て」をともなつて「つい口を滑らしてしまった」のように遣う。ここではもう1つ「し」がついて「すべらしし」となつている。2番目の「し」は文法的にはちょっと難しいですね。
 
過去の助動詞「き」の連体形の「し」とすることもできるのですが、この句は現在進行形でしょう。「大空にまた湧き出でし小鳥かな 虛子」の「し」と共通しています。虛子の句の「し」も過去ではなく現在眼前に展開している光景です。これはけして過去のことではない。わたしは完了・存続の助動詞の連体形ではないかと思うのですが、どの文法書にもそれはありません。
 下5の「髪愛し」は「カミカナシ」と読みたいですね。女性の豊かな髪は美しいものですが、加齢ととも褪せてゆく。その速度は意外に速いのです。「無常迅速」。

「撰一日」の句

 主宰ともなれば送られてきた投句を選句して序列を付けなければならない。この撰ということが一大事で、投句者に上手、下手があったとしても真剣に詠んだ句を投句して来るのだから、その期待に応えるためにも心を引き締めて選を行い正当な評価を与えねばならない。
 
下5の「あふひ」もいっそのこと「葵」と漢字表記にしたかったのではないか。一日書斎に籠もって選句作業に打ち込んでいる緊張感が、きりりと引き締まった漢字表記に顕れています。また季題「あふひ」がよく働いてその感じを深めています。これが「薔薇」や「牡丹」では何かちぐはぐな句になってしまうでしょう。

「川辺川」の句

 かねて謹厳な主宰もお酒には目のないお人のようですね。球磨焼酎ときけば目尻の下がるお人ではないだろうか。投句の中に球磨焼酎を詠んだ句などと遭遇すると思わず舌なめずりをしてしまうような、そんなお人となりを想像してしまいます。


俳誌「松」 鰯雲號 平成30年9月

2018-09-15 20:08:49 | 

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

 

松の実集

 秋近見み  福島公夫
夕風や思考の先の蝉の声
蝉涼しひもろぎの森鳴きつつみ
三弦の音の嫋やかに夕立あと
人もまた雨に和みて花菖蒲
ビルの間の雲のしろさよ秋近み

 秋 月  荒牧多美子
菩提樹の花に佛の匂ひとも
生命あるものに生命の水を打つ
開け放つだけで涼しき山家かな
葛餅や秋月はすき水音も
囲に獲物残して蜘蛛の影見えず

 夏を遣る  那須久子
梅干すや三日三晩をつつがなく
ともかくも土用鰻を五人前
欠かさずや一日たりとも胡瓜もみ
総生りを日々持て余すミニトマト
居ながらに閉ざすカーテン酷暑かな

 夕野火一回忌  西村泰三
梅雨しとど訃報届きし朝のごと
膝くずす梅雨の灯の下経長く
梅雨座敷曾孫おとなし一回忌
筆塚の石らしきもの木下闇
梅雨を溜め遺る小鳥の水飲み場

 

雑詠選後に  村中のぶを

立礼の薄茶手前よ花槐       園田 篤子
 掲句は「立礼」による茶会の一景を手際よく描出してゐます。それも席の花がアカシアに似た「花槐」の浅黄白色の花とあれば、その「薄茶手前」の所作が新鮮に浮かんで来ます。
 立礼とは辞書にもありますが、椅子と卓とを用ゐて茶をたてる点前で、茶室でも行はれます。私は近くの水戸の偕楽園で、女子高生も混へた此の茶会を見開した事がありますが つまり昨今の一般の生活様式も椅子式になり、外国の人達も増え、立礼は最も身近な茶の湯になってゐるやうです。
 薄茶手前といふ言葉も辞書に見えますが、一人に一碗づつ、飲みまはすこともなく、それに幾口飲んでもよいことになってゐますので、この手前もまた一般に受けがよいやうです。

絽の裾の捌き美し炭手前  同

 一句はまた「絽」のきものの、女人の亭主の、炭をつぐ際立った容姿を詠みとつてゐます。やはり作者の美意識が生かされた、平明にして情感豊かな詠句と言ってよいでせう。

青田風あすのわたしにどんな風    松尾 敦子
 前に「方丈記」を読むといふ一句がありますが、方丈記といへばつひ口に出る (ゆく河の流れは絶えずして)と冒頭の一節が浮かびますが、掲句の 「あすのわたしにどんな風」とは、ひいては方丈記を「声に出し読む」心情と相通じた詠情ではと思ったりしました。    してまた、口語調の措辞も然る事ながら、その自問自答する、自在な句境に感じ入りました。


青空の久し振りやなとんぼ生る   竹下ミスエ
 「青空の久し振りやな」は、青空が覗くのは久し振りだなあといふこと。このやうな口誦性の措辞に「とんぼ生る」とは、読者には初初しいとんぼの四枚の薄羽が見えて来る筈です。それに一句もまた自在な詠出です。
 ところでこのとんぼの句、先の青田風の詠にも共通することですが、蛇笏賞の女流岡本眸さんが(俳句は日記)と強く提唱してゐたのを思ひ出しました。事実、実作の私共にとって最もな事で、銘すべき言葉だと深く共鳴する所です。

青桐や思ひ出多き師の屋敷    村田  徹
 なんとなく心魅かれる句です。作者にとって師とは宗像夕野火さんの事で、本誌発行の抑抑の方です。その「師の屋敷」を訪れての詠ですが、本当に竹林、池水も据ゑた広い家屋敷です。この全望の中心である「青桐」 の措辞ですが、青桐の樹がまた実に印象的です。一体に実景を点描した、観念的でない表出に師への思ひが伝はつて来ます。

生きてゐる証しの汗の有難く    安永 静子
 前号にも採択させて貰ってゐますが、その予後の一句です。一般に健常者は汗を厭ふものですが、作者は生還した「証しの汗の有難く」と、その喜びを生生しく叙してゐます。普通に「生きてゐる」私共にとって、この汗への賞賛は思ひも寄らないことです。翻って大手術の後複帰した作者の、俳句に対する心根に自然と頭が下ります。更に作者の、いのちへの観照を思ひ知らされました。

沖ノ島遠く峙つ卯浪かな     塩川 久代

「沖ノ島」とは、いはゆる 八神の島 沖ノ島です。土地の漁師の人は(沖ノ島は、お神様の海やけん)と言ってゐる事が文献にあります。先年、都心の出光美術館で(宗像大社国宝展)を拝観しましたが、ビデオでも沖ノ島は、玄界灘の絶海の孤島であることがよく分りました。掲句は正にその通りの詠情です。
 蛇足ながら沖縄の久高島も神の島、神宿る島と謂れてゐます。

炎天や我が影さへも短かくて     川上 恵子
 「我が影さへも短かくて」、つまり「炎天」 の真っ只中、日ざしの直下に在ることを直叙してゐるのです。女性の方に拘はらず、勇ましい、割目すべき一句だと思ひます。

浜木綿や白きフエリーと青き空    多比良美ちこ
 作者は島原の方。浜木綿の彼方、青空の下、有明海を渡るフェリーを詠じた南国の風光です。なんとも一幅の風景画を観るやうです。

峰雲や運河しづかに水湛へ   山岸 博子
 札幌市在住の作者、掲句の「運河」とあれば直ぐに小樽の倉庫街の運河を思ひ出します。その「峰雲」の湧き立つ影を映した疎水を「しづかに水湛へ」と叙して、盛夏の午下らしい風景を詠じてゐます。季語の扱ひ方、描写の確かさ、それに旅愁を誘ふ一句です。

 


高麗門と大工棟梁善蔵 熊本城こぼれ話し

2018-09-10 21:55:38 | 新老人の会

熊本「新老人の会」会報にわたしの小文をのせて頂くことになりました。ここに転載します。

 

 慶長5年(1600)に始まった城普請も半ばを過ぎたある年のある日のこと、工事督励のために馬に乗って屋敷を出た清正は高麗門を通りかかった。歩行(かち)で扈従するのは小姓組の若武者数人のみ。高い建物には縦横に足場が組まれ、その上で多勢の職人が立ち働いている。その中に棟梁らしき男が大声で差し図する声が聞こえ、現場は活気に溢れている。 

 清正は至極満足げな顔をして見ていたが、突然足元に物が落ちてきた。物は金尺だった。これには小姓たちが驚き騒ぎだしたが、頭上から「それを取ってくれろ」と大きな声がした。「無礼者!」とどなり返そうとする小姓共を制して清正は「それをこれへ」と目で合図して、金尺を受け取ると騎乗のまま足場の下へ行った。すると男は「これに懸けろ」とばかり、片足を下ろしたので、清正はだまつて足の甲に金尺を懸けた。男は下を見ることもなく、礼も言わず元のところへ戻って何事もなかったように、仕事を再開した。この男が棟梁の善蔵である。清正も何事もなかったような涼しい顔をしてその場を去った。

 「今のは殿様であったらしい。」ということが次第に明らかになって、「殿様から足で受け取るなぞ、前代未聞の無礼な振舞いではないか、これは打ち首ものだ。」とその場に居合わせた者たちは囁きあった。それは善蔵にも聞こえて来た。配下の大工の二、三が青い顔をしてそのことを告げたのだ。善蔵はあまり物に動じない男だが流石に動揺した。

 善蔵のもとへ奉行所から呼出状が来た。「明朝辰の刻(午前10時)に奉行所へ出頭するように」とある。善蔵は一晩悶々と過ごしたが明け方には覚悟が決まった。早朝に水垢離を執って身を清め、白装束に着替えて清正の前に平伏した。

 清正の口から意外な言葉が漏れた。「働き尋常ならず、殊勝である。以後も励め。」お褒めの言葉であった。前に出してある三方には褒美の銀子が載せてある。

※ この話は実話なのか、それは分からない。ここに「御大工棟梁善蔵聞覚控」という古文書が遺っている。その中で善蔵はしばしば先々代様という言葉を遣う。忠利の代で先々代と言えば清正のことである。善蔵は無類の清正ファンであったことが聞覚控を読むと判然する。


候文と言文一致体 蒲団より

2018-09-08 23:15:05 | 日記

 小説『蒲団』が世に出たのは明治40年のことですが、小説のなかに言文一致体という言葉が頻繁に出て来てこの時代の作家たちが、言文一致体確立のために格闘していたことがわかります。とくに手紙を言文一致体で書くのが難しかったようです。田山花袋はその模範文を小説のなかに示しています。『蒲団』が人気を博したのは案外そういうところにあったのかもしれません。

 ここにその手紙文のところを抽出してみます。
「先生、
   私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思ひます。先生、どうか弱いものと思ってお憐れみ下さい。先生に教へて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行ってをりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行ふ勇気を持ってをりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けやうと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆私の至らない為であると思ひますと、ぢっとしてはゐられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋すがり申すより他、私には道が無いので御座います。
芳子
先生 おもと」

 どうでしょうか現代文と比べてもさほど違いはないように思います。この文章は「青空文庫」からの引用ですが、同文庫は旧カナを新カナに書き換えてあるので、そこは旧カナへ戻しました。旧カナで書かれた文章はそのまま鑑賞すべきと私は思っています。

つぎに同じ女性が候文で書いた手紙を下に。

 五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐しい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、

「昨夜恙なく帰宅致し候儘御安心被下度く、此度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之、幾重にも御詫申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候ひしが、兎角は胸迫りて最後の会合すら辞候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候やうの心地致し、今猶まざまざと御姿見る思ひに候、山北辺より雪降り候うて、湛井よりの山道十五里、悲しきことのみ思ひ出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいづれ御礼の文奉り度存居り候へども今日は町の市日にて手引き難く、乍失礼私より宜敷く御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候へども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱申候」

と書いてあった。

 さすがに候文は読みづらいですね。現代人の複雑繊細の感情を表現するのにこの文体は不向きというか、言い尽くせぬところがあるようです。
 小説の主人公の女性は新橋駅から汽車に乗りますが、あの「汽笛一声新橋の」の新橋駅ですよね。そしてそこには硝子戸が嵌めてあり、師である男の茶色の帽子が映っているのを「今猶まざまざと見る思い」と表現しています。この女学生は「えび茶の袴に皮の靴」という流行のマドンナスタイルだつたのです。明治は懐かしい時代ですね。

 

 


熊本市電の風景 体育館前

2018-09-07 18:09:37 | 日記

 画像の奥に小さく金峰山が見えています。熊本市内はどこにいても金峰山が見えます。高層のビルに隠れていても少し位置をずらすとビルの間にくっきりと姿を顕します。そういう角度に見る山姿もまたいいものです。 さしも暑かった熊本の夏もようやく衰えて心身に生気が蘇るようです。

   錆いろの軌道にみつる秋気かな  礁 舎


中川さんの詩「古文書」

2018-09-04 21:08:46 | 日記

 会員の中川さんが素晴らしい詩を作られました。「古文書 膝栗毛」というタイトルです。
 膝栗毛をテキストにして読み合わせ会を始めたのは2016年1月でしたから、3年近くこれに親しんでいることになります。現在7編上を読んでいますが年内には8編まで読了するでしょう。膝栗毛はこれで終わります。
 
3年もやっていると流石に情が移り、弥次さん、喜多さんは年来の友人であるような親しみを感じてしまいます。これは一九の力量のなせるわざなのですね。中川さんはそこに感じ入っておられます。江戸時代の気分を満喫しているのですね。これは楽しい。


小田原の旅籠での入浴の場面

古文書「膝栗毛」
      中川 久
江戸時代、多くの人が読んだ
「膝栗毛」を手にしている。

変体仮名で書かれている。
古文書の類で読みにくい。
しかし、面白く手放せない。
物語の内容も、言葉も
時代を表し、歴史を感じる。
タイムスリップして
自分が江戸時代の庶民であり
読者の一人を演じている。