主宰5句 村中のぶを
柿の秋斑鳩の里塔見えて
秋幽明救世観音の御前かな
秋日濃き中宮尼寺へ築地みち
鮟鱇の阿鼻叫喚の身を曝し
空さやに風さやに遠冬嶺かな
雑詠選後に 村中のぶを
鋼板(かうはん)のごとき水なり蓮の骨 菊池洋子
掲句は枯れ枯れた蓮田の景色を詠じてゐるのですが、つまり既知のやうに蓮は厳冬になると枯れ果てて、水中に没したり泥田にくの字に折れ曲ったり、また葉柄を突き立てたりして哀れな光景を曝すことになるのです。季語の「蓮の骨」とは斯様な風景を指してゐるのですが、「鋼板のごとき水なり」とはどの様な事象を叙してのことか、都心なら不忍池、当方では土浦市近郊の、全国一のれんこん生産を誇る広大な泥田を連想するのですが、厳寒の頃の蓮田は実に無残な荒れ様を呈してゐます。そしてその田水は氷る氷らずとも一切張り詰めた硬板の様な水面が行き亘り、鈍い光を露にし、一句はこの景観を鋼板のごとき水なりと意を強くして描写してゐるのです。 改めて上五、中七の叙述は当節の蓮田を如実に表出してゐると思ひます。尚またかうばんと読まず、かうはんと清音で読ませてゐるのは、作者の文語、文体への感覚を示してゐます。
蕎麦刈りて干すドリーネに風湧く日 安部 紫流
句は山口秋吉台のカルスト台地の諷詠でせう。ドリーネとは石灰岩地帯に生じた揺鉢状の窪地の事とありますが、その窪地に窪地に蕎麦を干し、一帯の石灰岩と共に白々しい秋風を、一句は「風湧く日」と、印象的に詠み取ってゐます。私も一度訪ねてゐますが、やはり白い石灰岩群が目に残ってゐます。
わが老を諾ふ小春の影法師 向江八重子
(俳句は日記)と唱へる俳人がゐますが、一句もまた目の前の日常の些事を刻むやうに詠じてゐます。その「小春の影法師」とはどの様な姿なのか、それが如何様な姿であれ、読者には小春の日の「わが老」の影に納得し、自身を委ねやうとする、安息に似た作者の明るい心情が伝はつて来ます。それに私は作者が熱心なカトリックの方であることに納得しました。
捨てる神に拾ふ神あり冬ぬくし 小泉 晴代
慣用語の 「捨てる神に拾ふ神あり」とは、辞書の一つに(日本には八百万の神がゐるのだからくよくよすることはない、捨てる神があれば助ける神あり)とあります。つまり見捨てられても、一方で救ひの手が伸べられるとの事、このやうな文言を一句に上げるとは面白いと思ひます。それに当節も「冬ぬくし」と大らかに叙して、ひいてはユーモアと諧謔とを交へた人生詠を示してゐるのです。
いにしへの納屋に宴や炭火美(は)し 竹下 和子
「いにしへの納屋」とは普通の農家の納屋ではなく、昔の商業用の倉庫などの事を叙してのことか、作者が球磨の方であれば、きつとその「宴」は古びたうす暗い焼酎蔵でのことかと思ひます。そして結句の 「炭火美し」はなにか往時の暮らしを象徴してゐるかの様です。
わたましの妹に茶の花日和かな 園田のぶ子
「わたまし」とは耳馴れない言葉で辞書には古語として(移徒・渡座)と表記され、転居、転宅の尊敬語とあり、渡座の祝の略、とあります。
作者は島原の方ですが、実は先年刊行された『まぼろしの邪馬台国』といふ書に、有明海の西海岸を邪馬台連合国の一国だったとし、島原地方も属する説を載せてゐます。そこでこの様な説が伝はる地方であればこそ、転居の祝もわたましと言って古い言葉が日常交はされてゐるのかなと思ひ至るのです。「茶の花日和」と呼ぶ風光と共に一句は、とある在所の穏やかな平常を伝へてゐると思ひます。
海風のいつはりのなき寒さかな 勝 奇山
一読して「いつはりのなき」とは異質の表現だと思ひます。つまり自然の風候を人語に譬へて叙してゐるからです。それも当季の海よりの寒風を平易な口誦性の措辞で表出して、それこそ海辺に住む作者の土着の証としての、風趣ある諷詠と評してよいでせう。
枯山に眠りうながす全き日 温品はるこ
「枯山」とは草木が枯はてた山を指すのですが、「眠りうながす全き日」とは、(山眠る)といふ季語があって、重ねてその日ざLを強調した句意に注目すべきでせう。
ヒュッテめく知事公館や枯樺(かんば) 山岸 博子
札幌の方の一句ですが「ヒュッテめく」は山小屋の様だと叙して、「枯樺」 の木立の中の公館を詠じてゐます。それもなにか北欧らしい風光で、確かに北国ならではの詠情だと恩ひます。
母思ふ「回天」の遺書秋ふかし 中村千恵子
詠句の「回天」とは人間魚雷として一隻の潜航艇に一人乗り、敵艦に体当りした特攻隊の事ですが、私の中学生の頃の戦況が甦ります。『きけわだつみのこえ』 岩波文庫にその遺書集がありますが、一句はその記念館に展示の遺書の事です。最期の時まで若人の母への文は胸を衝きます。