外出自粛で人に会うのも避けるとなれば、自分の場合は家に籠もって古文書の翻刻をやるくらしかすることがない。今「木下 韡村日記」の翻刻に取りかかっているが、これが虫食い文書で中々の難物である。根をつめると、年のせいで集中力がぷつんと切れてしまう。
それで退屈しのぎにDVDの「君の名は(松竹映画)」を借りてきて観た。これが、とてもよくできた映画で並のメロドラマなんかでなく大いなる人間賛歌の映画であり、近ごろめずらしく感銘をうけた作品であった。
小学校高学年のころに同名のNHKラジオドラマを毎回欠かさずに母が聴いていたので、その傍で聴くともなく耳にしていた。だから冒頭のナレーション、「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は意味不明ながら、そのセリフは今だに耳底にこびりついている。しかし映画を観るのは今回が初めて・・。あの時代はハリウッド映画の全盛期で、スターと言えばゲイリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、タイロン・パァワー、ジョン・ウエインなどが西部劇で活躍していた。そういう映画にかぶれていたから見損なったのだ。
でも、「君の名は」はいい映画である。反戦映画といえばそうも言えるかもしれないが、映画の底に思想はない。しかしこれを観た観客は「あんな戦争はもう御免だ」と思ったはずで、そういう意味で反戦映画である。
昭和20年5月24日未明、東京は空襲に見舞われた。3月20日が大空襲だったと云われているが、この時も大規模だった。火の海となった市街を二人の男女が、ふとした偶然から互いに励まし合いながら行動を共にすることになる。どこをどう逃れたのか、空襲が止んで夜が明けたとき二人は数寄屋橋の上に立っていた。後宮春樹(佐田啓治)と氏家真知子(岸惠子)である。二人は無事に生き延びた事に互いに礼を言い合い喜び合った。そして、もし生きていたなら半年後の11月24日に、その時来られなかったら1年後、更に1年半後にこの場所で逢うことを約束する。そうせずにはいられない衝動が二人の心を衝きあげていた。別れ際に春樹は「君の名は・・?」と問いかけるが、再びけたたましく鳴りだした空襲警報のサイレン音のために、名乗り合うこともできずに別れてしまう。
半年後、春樹は約束どおりにこの場所に来るが真知子は現れなかった。1年後も同様だった。真知子には事情があったが、春樹はそれを知らない。
二人が再会したのは1年半後の昭和21年11月24日であった。再会できたものの、「明日、結婚します。お別れを言いに来ました。」と苦しそうな表情を浮かべて真知子は告げた。この映画はここから春樹、真知子の愛情物語の始まり、始まりである。このシーンのバックに古関祐而の曲が流れて印象深い・・(君いとしき人よ 唄 伊藤久男)
佐渡へ渡る連絡船の中で真知子の寂しそうな姿に同情して励ましの声をかける石川綾(淡島千景)。
映画はこの船上シーンから始まる。空襲の場面、数寄屋橋の場面は真知子の回想として石川綾に語られるのである。そして今日が約束の日であることを告げて真知子は涙ぐむ。真知子は封建的な因習のしがらみの中にいた。早くに両親を亡くした真知子は伯父の勧める縁談を断ることができなかつた。佐渡行きは浜口勝則との見合いのためであった。綾の真知子への深い同情と、女同士の友情とはこの船上での出合いから始まった。淡島千景の演技がひかる。
昭和30年代の2枚目。佐田啓治
嘗て銀座にあった数寄屋橋。東京オリンビックの時埋め立てられてしまった。