古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

「俳誌松」主宰句を鑑賞する

2018-09-17 14:13:26 | 

 結社の主宰というのは孤独な存在で、誌上に作品を発表してもそれについて評言を述べる読者は一人もないというのですね。主宰は結社内では権威をもつ存在で、その主宰にたとえ鑑賞文のようなものでも、もの申してはいけないというような不文律がこの世界にはあるようです。
 主宰の側からこれを見れば作句に無反応というのは寂しいことに違いないと思うのです。
わたくしは読者ではあるけれど投句はしていないので比較的自由な立場にあるので主宰の俳句を鑑賞してみようとおもいます。

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

「奥津城や」の句
 奥津城(おくつき)というのは「奥深い所にあって外部から遮られた境域」という意味で古代においてはそういうところに「柩」を置いたので、そこから転じて墓域、お墓を指すようになりました。ただし「釈」 と刻まれているような仏教墓と区別して神道における埋葬形式の墓をこのように呼ぶそうです。
 作者が敢えて「奥津城」と遣う場合はやはり神道意識があるのだと思います。そういうお墓の近くに提灯花(ほたる袋)が一所にかたまって咲いているというのです。一見なんでもない風景のようですが、これは作者の心の中にある神道的な原初風景と眼前の風景とが
同期してたがいに響き合う状態にまで高まったのです。そういう場合人は大いなる感動を覚えるものです。その精神の昂ぶりから迸り出た言葉が句になったのではないか。だからこの句は単純を装っていながらけして単純な句ではないのです。わたくしにはこんな句はとても詠めない。

「独活の花」の句
 独活(うど)は林の際など日当たりのよい場所か半日陰の傾斜地などに自生する多年草で、せり、わらび、タラの芽などと同じくこれを食すると体内の毒素を除くと言われ、かすかにアクがありますが、それが躰によいそうです。
 作者は山林の登り口付近に立って賑やかに群生している「独活の花」を見ているのですが山に登る気はなく、静かな山だなあと思ってしみじみと山の姿を見ていたというのです。内容的にはそれだけの句ですが、この句は措辞の上で面白い句となっています。
 
それは「はろけさ」という辞の名詞化です。「遙けし」原辞はク活用の形容詞ですが、これを「はろけし」と読ませ更に「はろけさ」と名詞化したのです。そのために一句は佳句になりました。「山ははるけくあるばかり」と比較してみてください。

「夏帽子」の句 

 妙齢の女性の髪が帽子をはみ出して背へ垂れている。そこを描写したのですがそのテクニックが実に素晴らしい。先ず「すべらしし」、この措辞が素晴らしさの中心です。初めの「し」はサ行5段活用「滑らす」の連用形。普通には助詞「て」をともなつて「つい口を滑らしてしまった」のように遣う。ここではもう1つ「し」がついて「すべらしし」となつている。2番目の「し」は文法的にはちょっと難しいですね。
 
過去の助動詞「き」の連体形の「し」とすることもできるのですが、この句は現在進行形でしょう。「大空にまた湧き出でし小鳥かな 虛子」の「し」と共通しています。虛子の句の「し」も過去ではなく現在眼前に展開している光景です。これはけして過去のことではない。わたしは完了・存続の助動詞の連体形ではないかと思うのですが、どの文法書にもそれはありません。
 下5の「髪愛し」は「カミカナシ」と読みたいですね。女性の豊かな髪は美しいものですが、加齢ととも褪せてゆく。その速度は意外に速いのです。「無常迅速」。

「撰一日」の句

 主宰ともなれば送られてきた投句を選句して序列を付けなければならない。この撰ということが一大事で、投句者に上手、下手があったとしても真剣に詠んだ句を投句して来るのだから、その期待に応えるためにも心を引き締めて選を行い正当な評価を与えねばならない。
 
下5の「あふひ」もいっそのこと「葵」と漢字表記にしたかったのではないか。一日書斎に籠もって選句作業に打ち込んでいる緊張感が、きりりと引き締まった漢字表記に顕れています。また季題「あふひ」がよく働いてその感じを深めています。これが「薔薇」や「牡丹」では何かちぐはぐな句になってしまうでしょう。

「川辺川」の句

 かねて謹厳な主宰もお酒には目のないお人のようですね。球磨焼酎ときけば目尻の下がるお人ではないだろうか。投句の中に球磨焼酎を詠んだ句などと遭遇すると思わず舌なめずりをしてしまうような、そんなお人となりを想像してしまいます。


俳誌「松」 鰯雲號 平成30年9月

2018-09-15 20:08:49 | 

主宰五句   村中のぶを

奥津城や提燈花の一ところ
独活の花山はろけさにあるばかり
夏帽子背にすべらしし髪愛し
撰一日明窓机邊花あふひ
「川辺川」とふ球磨焼酎の宜しさよ

 

松の実集

 秋近見み  福島公夫
夕風や思考の先の蝉の声
蝉涼しひもろぎの森鳴きつつみ
三弦の音の嫋やかに夕立あと
人もまた雨に和みて花菖蒲
ビルの間の雲のしろさよ秋近み

 秋 月  荒牧多美子
菩提樹の花に佛の匂ひとも
生命あるものに生命の水を打つ
開け放つだけで涼しき山家かな
葛餅や秋月はすき水音も
囲に獲物残して蜘蛛の影見えず

 夏を遣る  那須久子
梅干すや三日三晩をつつがなく
ともかくも土用鰻を五人前
欠かさずや一日たりとも胡瓜もみ
総生りを日々持て余すミニトマト
居ながらに閉ざすカーテン酷暑かな

 夕野火一回忌  西村泰三
梅雨しとど訃報届きし朝のごと
膝くずす梅雨の灯の下経長く
梅雨座敷曾孫おとなし一回忌
筆塚の石らしきもの木下闇
梅雨を溜め遺る小鳥の水飲み場

 

雑詠選後に  村中のぶを

立礼の薄茶手前よ花槐       園田 篤子
 掲句は「立礼」による茶会の一景を手際よく描出してゐます。それも席の花がアカシアに似た「花槐」の浅黄白色の花とあれば、その「薄茶手前」の所作が新鮮に浮かんで来ます。
 立礼とは辞書にもありますが、椅子と卓とを用ゐて茶をたてる点前で、茶室でも行はれます。私は近くの水戸の偕楽園で、女子高生も混へた此の茶会を見開した事がありますが つまり昨今の一般の生活様式も椅子式になり、外国の人達も増え、立礼は最も身近な茶の湯になってゐるやうです。
 薄茶手前といふ言葉も辞書に見えますが、一人に一碗づつ、飲みまはすこともなく、それに幾口飲んでもよいことになってゐますので、この手前もまた一般に受けがよいやうです。

絽の裾の捌き美し炭手前  同

 一句はまた「絽」のきものの、女人の亭主の、炭をつぐ際立った容姿を詠みとつてゐます。やはり作者の美意識が生かされた、平明にして情感豊かな詠句と言ってよいでせう。

青田風あすのわたしにどんな風    松尾 敦子
 前に「方丈記」を読むといふ一句がありますが、方丈記といへばつひ口に出る (ゆく河の流れは絶えずして)と冒頭の一節が浮かびますが、掲句の 「あすのわたしにどんな風」とは、ひいては方丈記を「声に出し読む」心情と相通じた詠情ではと思ったりしました。    してまた、口語調の措辞も然る事ながら、その自問自答する、自在な句境に感じ入りました。


青空の久し振りやなとんぼ生る   竹下ミスエ
 「青空の久し振りやな」は、青空が覗くのは久し振りだなあといふこと。このやうな口誦性の措辞に「とんぼ生る」とは、読者には初初しいとんぼの四枚の薄羽が見えて来る筈です。それに一句もまた自在な詠出です。
 ところでこのとんぼの句、先の青田風の詠にも共通することですが、蛇笏賞の女流岡本眸さんが(俳句は日記)と強く提唱してゐたのを思ひ出しました。事実、実作の私共にとって最もな事で、銘すべき言葉だと深く共鳴する所です。

青桐や思ひ出多き師の屋敷    村田  徹
 なんとなく心魅かれる句です。作者にとって師とは宗像夕野火さんの事で、本誌発行の抑抑の方です。その「師の屋敷」を訪れての詠ですが、本当に竹林、池水も据ゑた広い家屋敷です。この全望の中心である「青桐」 の措辞ですが、青桐の樹がまた実に印象的です。一体に実景を点描した、観念的でない表出に師への思ひが伝はつて来ます。

生きてゐる証しの汗の有難く    安永 静子
 前号にも採択させて貰ってゐますが、その予後の一句です。一般に健常者は汗を厭ふものですが、作者は生還した「証しの汗の有難く」と、その喜びを生生しく叙してゐます。普通に「生きてゐる」私共にとって、この汗への賞賛は思ひも寄らないことです。翻って大手術の後複帰した作者の、俳句に対する心根に自然と頭が下ります。更に作者の、いのちへの観照を思ひ知らされました。

沖ノ島遠く峙つ卯浪かな     塩川 久代

「沖ノ島」とは、いはゆる 八神の島 沖ノ島です。土地の漁師の人は(沖ノ島は、お神様の海やけん)と言ってゐる事が文献にあります。先年、都心の出光美術館で(宗像大社国宝展)を拝観しましたが、ビデオでも沖ノ島は、玄界灘の絶海の孤島であることがよく分りました。掲句は正にその通りの詠情です。
 蛇足ながら沖縄の久高島も神の島、神宿る島と謂れてゐます。

炎天や我が影さへも短かくて     川上 恵子
 「我が影さへも短かくて」、つまり「炎天」 の真っ只中、日ざしの直下に在ることを直叙してゐるのです。女性の方に拘はらず、勇ましい、割目すべき一句だと思ひます。

浜木綿や白きフエリーと青き空    多比良美ちこ
 作者は島原の方。浜木綿の彼方、青空の下、有明海を渡るフェリーを詠じた南国の風光です。なんとも一幅の風景画を観るやうです。

峰雲や運河しづかに水湛へ   山岸 博子
 札幌市在住の作者、掲句の「運河」とあれば直ぐに小樽の倉庫街の運河を思ひ出します。その「峰雲」の湧き立つ影を映した疎水を「しづかに水湛へ」と叙して、盛夏の午下らしい風景を詠じてゐます。季語の扱ひ方、描写の確かさ、それに旅愁を誘ふ一句です。

 


俳誌「松」 向日葵號 平成30年7月

2018-07-14 18:51:01 | 

  主宰5句    村中のぶを

帰るさの櫻蘂ふる月夜かな

夏立ちし白帷子の宮司かな

断崖に車輪梅に海の明け

桐の花はかなき色を流しつつ

ゆく雲の方へ咲きけり竹煮草

   松の実集

五月雨るる      柿川キヨ子
五月雨るる阿蘇のお宮の新松子
復旧の進まぬ社さみだるる
梅雨晴の錦江湾や火山灰曇り
三日月を映す代田や蛙鳴く
よく揃ふ蛙の声や夜の植田

口 笛  釘田きわ子
新緑に眼を洗ふ朝かな
木洩れ日の若葉トンネル九十九折り
口笛を吹きつつ自転車麦の秋
枇杷うるる椀ぐ人もなき刑場址
滝音に憂ひ一気に流さるる

 花 冷        中山双美子
黒南風やあらがふ園児誕生会
花冷や学生街に古書積まれ
露天風呂駿二両来たれる五月尽
一汁は手摘みの芹や人膳
弟の生まれたと告ぐ兄の夏

雁回山の初夏      西村泰三
万緑や地震崩え告示谷ごとに
よみがへる万緑の照り陽ざしきて
ひねもすの乱鷺庭に墓を守る
雁を射る絵を天井に堂涼し
不如帰正午のチャイムに応へ鳴き

雑詠選後に のぶを

蟻生まれ蟻の死ぬ時誰も知らず     小鮒 美江
 歳時記の「蟻」の例句に (蟻の国の事知らず掃く箒哉 虚子)がありますが、掲句はその境涯を詠んで、つまり作者の内なる、いのちへの思ひと共に、ひいては人の生涯をもきびしく見据ゑた表出だと私は強く思ひます。

水中のめだかや水面のあめんばう   白石とも子
 前に芭蕉林の句があって、作者は熊本の方ですので、熊本近代文学館に隣接する芭蕉林嘱目の詠句でせうか。その池水の情景をよく詠み取って、童心を覚ます一句です。因みに芭蕉林は、私の本貫の地より歩いて数分の所です。

壇ノ浦ゆたかに迅し青葉潮   温品はるこ
 地名がよく生かされた旅吟です。そして読者には改めてその史実が甦つて来て、中七の措辞がそれを余すところなく伝へてゐます。

大雅展へ京七条の夏   菊池洋子燕
 「大雅展」とは、池大雅展の事なのです。「京七条」とあれば作者は大雅展が開催されてゐる京都国立博物館へ向かってゐるのです。「夏燕」は鴨川を渡る七条大橋が想起されてその風光をよく叙してゐます。橋を渡ると左手に博物館、右手に三十三間堂の長い屋根が見えて来ます。またこの東山七条は著名な多くの寺社が点在してゐます。一句は以上の風致を物語ってゐるのです。

人生をふはふは生きて蚊を叩く  金子知世
 「蚊」が飛ぶやうに、自分も心許無く今までを過ごして来たが、その我と同じ様な蚊を今は叩いてゐると、自省的な思ひの一端を綴った詠句です。しかし「ふはふは」と叙したオノマトペになにか明るさが感じられて、読者は救はれます。興味ある句です。

万緑となりし集落静もれり   柿川キヨ子
 「万緑」といふ季語がみごとに把握され、表現された句です。描写に一点の無駄もなく、読者にとっては懐かしい風景であり、作者もまたご自分の里曲に更めて挨拶をしてゐるやうな、そんな情緒の句です。高浜虚子の言葉を借りますと(句に光)があります。

人影も身の寄りどころ黒揚羽   鎌田正吾
 「人影」は作者自身の影でせう。「身の」とは「黒揚羽」そのものを指してゐます。つまり句意は作者自身の人影に黒い揚羽が寄って来たと言ふのです。然しそれも「身の寄りどころ」と詩的に表白してゐます。ここに句の眼目があって、達意の一句と評してよいでせう

励ましは子にも我にも蝸牛  勝 奇山
 好きな句に(かたつむり日月遠くねむりたる 夕爾)がありますが、「蝸牛」には何故か星辰的な印象があります。
 一句の「励ましは子にも我にも」とは、将来へ向かって努力することの、それは作者自身にも共通する事であるといふ。その対象にかたつむりとは別に不可解なことではなく、むしろ成句として面白い表現だと恩ひます。そして句の背景には作者の人生観が窺へます

ゆく春や医師淡淡と癌を告ぐ    安永 静子
 前句に「春愁や癌に片肺無くすやも」がありますが、作者は実に冷静にご自分の病息を吐露して、反面、病に対するその身構へが伝はつて来ます。 唯唯、ご本復を願ふばかりです。

花も名も芝居気取りの菖蒲園  福島公夫
 一句の「芝居気取り」とは直ぐ歌舞伎のことを恩ひ出しました。朝顔には団十郎とか名の付いたものが店頭に並び、歌舞伎では朝顔日記といふ場面を思ひ出すのですが、花菖蒲では直ちに思ひ付くものはありませんでした。所が勝手なことですが、「花も名も」 の措辞に、いはゆる歌舞伎のきらびやかな、菖蒲にも名優の名が付き、それにあの見得を切る場面が浮かんで来て、都内に住む作者であれば、堀切菖蒲園辺りの嘱目の風景かと思ひ出しました。見得を切って居並ぶ場面に市相羽左衛門などの弁天小僧がすぐ浮かんで来ました。
 先師の (己の感性を養ふために、何でも観ておく事が大切です)と。常々聞いてゐましたが、未だ私の胸に残ってゐます。

臨終の猫に添ひ寝の明易し  赤山則子
 生命の尊厳といふ言葉がありますが、人も猫にしても全く同じと思ひます。「猫に添ひ寝」は私も経験があります。

夏帽に笑まふ遺影の母抱き  吉永せつ子
 誰もが一度は経験する悲しみですが、「夏帽に笑まふ遺影」の明るさが況して哀感をそそってゐます。「母抱き」は母その人を抱いてゐる様です。

 

 


俳誌「松」 若竹號 平成30年5月

2018-05-27 07:37:20 | 

主宰五句

 石牟礼道子さんを悼む

春星の西海浄土を目指されし    村中のぶを

兜太亡き山襞連ね残る雪        〃

梅の花姿勢を正し選句する       〃

春宵の畫廊や寫楽の大首輪       〃

黄心樹(をがたま)の花や海鳴とどく宮    〃

「をがたま」の樹

 

松の実集

戸馳島   村田 徹
春 の 雨 光 る と も な く 海 に 消 え
枇 榔 樹 の 空 の
明 る さ 春 の 雨
春 雨 の
滲 む 句 帳 の 青 イ ン ク
春 昼 の 音 な き 雨 や 宮 土 俵
名 も 知 ら ぬ 春 の 花 咲 く 句 碑 ほ と り

小き櫛   後藤 紀子
花 見
月 港 の 丘 の 晶 子 展
自 藤 や 晶 子 は ゆ る く 縞 を 着 て
花 蘇 枋 束 髪 重 き 晶 子 像
春 深 し 恋 の 歌 人 の 小 き 櫛
花 は 葉 に 今 な ほ 熱 き 晶 子 う た
 

花の城    松尾 照子
満 開 の 花 の 中 よ り 天 守 閣
豊 か な る 陽 射 し に 花 に 城 癒 え よ
は 葉 に 城 甦 る 日 は い つ ぞ
花 冷 や 人 恋 し さ の ひ と り 酒
面 上 げ よ 胸 を 張 れ よ と 百 千 鳥

昼餉の手    西村 泰三
梅 探 る 鏝 絵 の 蔵 を 見 上 げ て は
出 番 待 つ 踊 り 子 た む ろ 花 の 下
終 り ゐ る 島 の 田 植 や 苗 淡 し
木 洩 れ 日 の 見 え ざ る 糸 の 毛 虫 揺 れ
昼 餉 の 手 洗 ふ 玉 解 く 芭 蕉 下

 

  雑 詠  村中のぶを 選

  清明の風さはさはと樹林墓地   伊棄 琴

 次の句の「春嵐過ぎし林の青臭く」もさうですが、誰もが見てゐるであらう日常の風景を気負ふことなく詠んでゐて、静やかな自然の風韻が伝はつて来ます。
 掲句清明とは春分の後、本年は四月五日でした。万物ここに至って皆潔斎にして清明なりと言はれてゐますが、その樹林墓地とは巷で言ふ樹林葬の墓所ではなく、清明といふ節の語感からして、私は聖徒の方々の墓地ではと思ひつきましたが・・。さうであれば季節の風が渡る、樹林の中
のクルス墓地の風姿が殊更に伝はつて来ます。

  引力の中をやさしく花ひとひら 菊池 洋子

引力」の作用で物は全て下へ落ちるのですが、その「中をやさしく花ひとひら」とは、万有引力の中、桜花の一片が散ってゆく様を女人の方らしい感性で詠じてゐますが面白いと思ひます。それに理屈がかった叙述ではなく、自然な諷詠に受け取れます。してまた師上村占魚の (引ばれる日をふりきって檸檬の実)の句があるのを思ひ出しました。之は庭前の檸檬の実の落下を詠じたもので、私は一つの物の実相に迫った詠句として評価してゐるのですが、この師の句の底の底に、掲句とは何か通じ合ってゐることに淡い感銘を覚えました。 

  輝きて堰を溢るる春の水   桶 一瓢

 作者は九十七歳とあります。句意は堰の春水を平明に詠み取ってゐます。而し乍らこの瑞々しい抒情は、此の方のどこから発散されてゐるのか。俗に言ふ、いたづらに老残を喋くのではなく、作者の積極的な、きらきらした感性に癒されます。
 ともあれ、九十に一つ端の付いた私は誰よりも作者ご白身の老境の自在さに肖(あやか)りたく思ひます。

  椿散りて濁世の錆となる   細野佐和子

 「濁世」とは仏教語、道徳がおとろへ、けがれた世の中の事を指してゐます。「錆」は言ふまでもなく金属が空気に触れて、その酸化作用で褐色や黒くなることです。
 つまり掲句の本意は、白い椿の花びら数片が、この少々濁った世の中へ散って錆色になったと、ひいては昨今の世情を作者はひとり慮ってゐるのではないでせうか。私は納得できます。

  親猫に咥へられたる仔猫かな 酒井信子

 一句は異様な光景と思ひます。しかし産れ立ての子と共に移動するには他の動物と同様、咥へて行くしかない事は改めて分かります。同時にこの光景を詠み取った作者の、母性としての温かい眼差しが、読者にはほのぼのと心に入つて来ます。そして子を産む女性の方のみの詠情の句だと言ひ切ってよいでせう。

  オホーツクの朽ちし立木や別れ霜 浅野 律子

「オホーツク」とはオホーツク海に面した港町の事でせうか。作者は札幌の方ですから現地そのものではなくとも、偶々何かの折に遠く望んだオホーツクの町の所見として一句を理解しました。その北の町特有の 「朽ちし立木」が実に印象的で、季節の霜に被はれた白々とした家並みがまた
見えて来ます。そして結句の 「別れ霜」 になにか旅情を感じるのですが・・。

  春北斗「苦海浄土」に名を遺し 井上みつせ

 掲句には石牟礼道子追悼、と詞書がありました。二月十百、九十歳で石牟礼さんは亡くなりました。二月といふ月は古来より名立たる人の忌日が多く、二十日には彼の金子兜太氏も旅立たれました。
 『苦海浄土』 といふ一書はもうここで説く必要はなく、望郷のこともあって私は『椿の海の記』 などと、繰り返し読みました。(もういっぺんー行こうごたる、海に)とか、
私には全編、熊本弁が詩語のやうにきらめいて読めるのでした。そして水俣病を恨みに恨んだ事は今日まで続いてゐます。「春北斗」とは、春分の頃はよく見えますが、東北の中空に春先は北斗七星が淡く見えます。それは季語ながら追悼の措辞でもあります。

  産み月のふとん屋覗く梅日和  和坂梨結子

 一句を懐かしく読み下しましたが、特に「ふとん屋」といふ呼称が往年を呼び起こしました。私には四人の姉がゐたのですが、臨月の姉が母と赤子のふとんを買ひに行くのに連れ立って行った記憶があったのです。当時のふとんは現代の様な羽毛布団ではなく重かった記憶があります。なほ句を読むのに「産み月の」と一旦切って読むべきでせう。 また「覗く梅日和」とは一人ではなく複数の人の様に思へます。


俳誌「松」 百千鳥號 平成30年3月

2018-03-29 14:45:34 | 

 

主宰5句 (抄)

 はだれ雪  村中のぶを

  冬菜畑ひかりを返す雑木山

  臘梅や仰げばいつも雲流れ 

  初社一の鳥居は荒磯に

  深雪晴天渉る日の寧きかな

  はだれ雪榛の木の道奥深め

 

松の実集

球磨の春  竹下和子

 球磨下る唄声通る雛祭

 雛の客に杣の茶請けの葉山椒

 渓音を枕の一宇猫柳

 旧正や焼酎さげてうから寄る

 目籠かつぐ媼ら往き来木の芽みち

冬庭小景  小鮒美江

 霜の庭土新しき土竜塚

 鵙の贄ありし庭木に蜜柑刺す

 庭石の坐る中庭いぬふぐり

 築山に鶲の紋の見え隠れ

 所得て猫それぞれの日向ぼこ

安居めく  原田祥子

 孤独をも諾ひをりて春を病む

 病棟に朝寝とがむる者もなく

 術後なる試歩に隠沼鴨一羽

 予後の身に寒の戻りといふがあり

 心枯るるなと安居めく日々を

梅探る  西村泰三

 カタルパの芽吹きまだなし梅開き

 浮牡丹てふ名札下げ二分の梅

 陽を集めゐるちらほらの梅白し

 温もれる石の階段梅に座す

 吾が昼餉鳩が横目に梅の園

 

  雑詠選後に  のぶを

月蝕や大地は寒の底にあり    岡本ゆう子
 月蝕は一月三十一目満月で八時頃より欠けはじめました。冴え冴えとした夜気が、積雪を払ふ風の寒さと共に伝はつて来て、暫くして私は家の中に入ってしまひました。窓から見ますと家々の屋根が深深と光り一層の冷気を感じたのを覚えてゐます。
 掲句は、作者も凡らく私と同じ光景にあつただらうと思ひますが、「大地は寒の底にあり」と、その秘けさと共に細細とし夜景を一気に詩情高く詠み取ってゐます。まさに大地は寒の底でした。してまた私は句に接して、なにか新たな時空を得た思ひに浸かってゐました。

枯蓮や修業つひえしかに水漬く    後藤 紀子
 一句は冬枯れの蓮田の風景を詠じてゐるのですが、「修行つひえしかに水清く」とはどのやうな様相を指してゐるのか、と読者は其れと無く、春夏秋の蓮の来歴を想起し、厳冬の今、その茎は水面に折れ伏し、凋落の景を呈してゐるのを忠ひ浮かべます。修行、蓮の花もまた彿教用語、それにしても作者独自の感性に因つて特異な表現だと言ってよいでせう。それに結句の水清く、これは日本人なら誰もが知ってゐる万葉語、この措辞でこそ一句の資質を高めてゐるのですが、この様な言葉の用法も心得ておくべきでせう。

施設より出でず絵を描きちゃんちゃんこ  竹下 和子
 句を一読してもの淋しさを覚えましたが直ぐ屈託のない明るさが返って来ました。そして私はこの実に平凡な日常風景がどうして俳句として昇華されたのだらうかと思ひ出しました。
 それは直ちに言へる事に、「施設より出でず」、「ちゃんちゃんこ」を羽織り、「絵を描き」、つまり一切をあるがままに受容し、生きてゆく姿が詩となって、と私は思ひ付きました。そして作者が施設とどのやうな係りであるのか知る由もないのですが、施設より出でずといふ措辞は何よりも説得力を持ち、総てを物語ってゐると感じ入りました。

立ち詰めの染場の窓に冬茜     伊東 琴
 作者は職業に染織業とあります。私も少し興味があって四国徳島の吉野川河口の阿波町、近年は栃木の益子町に浜田庄司の旧窯場を訪ねた祈、それぞれ近くの藍染工房を尋ねたりしましたが、それは大変な作業であることは知ってゐました。「立ち詰めの染場」とは、私の見た限りでは裸電球の下の十畳以上の土間にぢかに藍甕が埋められ、志村ふくみさんの 『一色一生』 には (かめのぞき)といふ言葉もありますが、甕に手を差し入れて染物を揺すったり上げたり漬けたり、その様な光景が目に残ってゐます。「窓に冬茜」とは、様々な作業の末にふと気づいた格子窓の夕焼けです。それはなんとも切実な思ひが伝はつて来ます。 先の施設の詠句、それに染場のこの詠句、それぞれにご自分の場を大事にされてゐることに敬意を表します。

御慶かな医師四元號を生きよとて    古野 治子
 斯ういふ事に、東京オリンピックまではと言ふ話は聞かないでもありませんが、「西元號まで生きよ」とは、大正、昭和、平成、次の世、実に気宇壮大な医師の話し方で、それを初句に「御慶かな」と、受ける作者も意気軒昂たる気合が充実してゐます。句柄も自づと健康そのものです。
 いつかこのやうな国手にめぐり会ひたいですね。

阿蘇山も熊本城も春の雪    小崎  緑                      

 「阿蘇山も熊本城も」とは肥後一国を一言で見渡したやうですが、決してさうではなく、作者は心象風景として捉へてゐると思ひます。それは心中で描いたのではなく、作者は今は熊本市内に在住し、朝夕、阿蘇もお城も目にしてゐるのですが、周知の通りあの熊本地震に因りどちらも大きな被害を受け、末だ復興の最中なのです。そこへ 「春の雪」、淡雪の景です。つまり作者にとって春雪は癒しの風景に映ったのです。ひいては作者自身の環境も含めて  その身近な平安を願はしく思ひます。
 
寒垢難の肌に張り付く樺かな    伊織 信介
 一旬は「寒垢離」 の行者を確と見取った写生旬です。「肌に張り付く禅かな」は、つまりは腎部の、水しぶきを受けて寒冷のために自づと尻ゑくぼが出来る様に、身を固めた行の姿に、経を唱へる一人を潔く詠じてゐます。

つなぎ止む百の海苔舟風荒ぶ    園田のぶこ
 作者は島原の方、句は春さきの有明海の、海苔採りの遠景でせう。強風にあおられ、海苔粗朶の林に挙る舟の集団を詠じてゐます。旅人にとっては旅愁をよぶ風光です。
 
臘梅の一輪咲きし菜の花忌    大場 友子
 原句は (小さき花一輪咲きし菜の花忌) でした。「菜の花忌」は現今の歳時記には有りませんし、小さき花では意味も通じませんので表記のやうに訂正いたしました。菜の花忌とはよく木下夕爾忌と間違ふ人がゐますが、二月十二日司馬遼太郎さんの忌日です。私は亡師上村占魚に 『街道をゆく』を薦められてから、司馬さんの全著書を書架に収めるやうになりました。菜の花忌の名の由来は長編小説『菜の花の沖』 に拠ったものでした。


俳誌「松」 水仙號 平成30年1月

2018-02-01 14:38:23 | 

主宰5句   村中のぶを

柿の秋斑鳩の里塔見えて

秋幽明救世観音の御前かな

秋日濃き中宮尼寺へ築地みち

鮟鱇の阿鼻叫喚の身を曝し

空さやに風さやに遠冬嶺かな


  雑詠選後に    村中のぶを

鋼板(かうはん)のごとき水なり蓮の骨       菊池洋子
 掲句は枯れ枯れた蓮田の景色を詠じてゐるのですが、つまり既知のやうに蓮は厳冬になると枯れ果てて、水中に没したり泥田にくの字に折れ曲ったり、また葉柄を突き立てたりして哀れな光景を曝すことになるのです。季語の「蓮の骨」とは斯様な風景を指してゐるのですが、「鋼板のごとき水なり」とはどの様な事象を叙してのことか、都心なら不忍池、当方では土浦市近郊の、全国一のれんこん生産を誇る広大な泥田を連想するのですが、厳寒の頃の蓮田は実に無残な荒れ様を呈してゐます。そしてその田水は氷る氷らずとも一切張り詰めた硬板の様な水面が行き亘り、鈍い光を露にし、一句はこの景観を鋼板のごとき水なりと意を強くして描写してゐるのです。 改めて上五、中七の叙述は当節の蓮田を如実に表出してゐると思ひます。尚またかうばんと読まず、かうはんと清音で読ませてゐるのは、作者の文語、文体への感覚を示してゐます。
 
蕎麦刈りて干すドリーネに風湧く日    安部 紫流
 句は山口秋吉台のカルスト台地の諷詠でせう。ドリーネとは石灰岩地帯に生じた揺鉢状の窪地の事とありますが、その窪地に窪地に蕎麦を干し、一帯の石灰岩と共に白々しい秋風を、一句は「風湧く日」と、印象的に詠み取ってゐます。私も一度訪ねてゐますが、やはり白い石灰岩群が目に残ってゐます。

 

わが老を諾ふ小春の影法師    向江八重子
 (俳句は日記)と唱へる俳人がゐますが、一句もまた目の前の日常の些事を刻むやうに詠じてゐます。その「小春の影法師」とはどの様な姿なのか、それが如何様な姿であれ、読者には小春の日の「わが老」の影に納得し、自身を委ねやうとする、安息に似た作者の明るい心情が伝はつて来ます。それに私は作者が熱心なカトリックの方であることに納得しました。
 
捨てる神に拾ふ神あり冬ぬくし    小泉 晴代
 慣用語の 「捨てる神に拾ふ神あり」とは、辞書の一つに(日本には八百万の神がゐるのだからくよくよすることはない、捨てる神があれば助ける神あり)とあります。つまり見捨てられても、一方で救ひの手が伸べられるとの事、このやうな文言を一句に上げるとは面白いと思ひます。それに当節も「冬ぬくし」と大らかに叙して、ひいてはユーモアと諧謔とを交へた人生詠を示してゐるのです。
 
いにしへの納屋に宴や炭火美(は)し   竹下 和子
 「いにしへの納屋」とは普通の農家の納屋ではなく、昔の商業用の倉庫などの事を叙してのことか、作者が球磨の方であれば、きつとその「宴」は古びたうす暗い焼酎蔵でのことかと思ひます。そして結句の 「炭火美し」はなにか往時の暮らしを象徴してゐるかの様です。

 

わたましの妹に茶の花日和かな     園田のぶ子
 「わたまし」とは耳馴れない言葉で辞書には古語として(移徒・渡座)と表記され、転居、転宅の尊敬語とあり、渡座の祝の略、とあります。
 作者は島原の方ですが、実は先年刊行された『まぼろしの邪馬台国』といふ書に、有明海の西海岸を邪馬台連合国の一国だったとし、島原地方も属する説を載せてゐます。そこでこの様な説が伝はる地方であればこそ、転居の祝もわたましと言って古い言葉が日常交はされてゐるのかなと思ひ至るのです。「茶の花日和」と呼ぶ風光と共に一句は、とある在所の穏やかな平常を伝へてゐると思ひます。
 
海風のいつはりのなき寒さかな    勝  奇山
 一読して「いつはりのなき」とは異質の表現だと思ひます。つまり自然の風候を人語に譬へて叙してゐるからです。それも当季の海よりの寒風を平易な口誦性の措辞で表出して、それこそ海辺に住む作者の土着の証としての、風趣ある諷詠と評してよいでせう。

 

枯山に眠りうながす全き日    温品はるこ
 「枯山」とは草木が枯はてた山を指すのですが、「眠りうながす全き日」とは、(山眠る)といふ季語があって、重ねてその日ざLを強調した句意に注目すべきでせう。

 

ヒュッテめく知事公館や枯樺(かんば)    山岸 博子
 札幌の方の一句ですが「ヒュッテめく」は山小屋の様だと叙して、「枯樺」 の木立の中の公館を詠じてゐます。それもなにか北欧らしい風光で、確かに北国ならではの詠情だと恩ひます。
 
母思ふ「回天」の遺書秋ふかし    中村千恵子
 詠句の「回天」とは人間魚雷として一隻の潜航艇に一人乗り、敵艦に体当りした特攻隊の事ですが、私の中学生の頃の戦況が甦ります。『きけわだつみのこえ』 岩波文庫にその遺書集がありますが、一句はその記念館に展示の遺書の事です。最期の時まで若人の母への文は胸を衝きます。

 


俳誌「松」 茂木連葉子追悼号

2017-12-01 22:47:47 | 

 

雑詠選後に   のぶを

点と線縺るるままに水引草    菊池 洋子
  一句はその茎を「線」、茎につく小さい花を「点」と述べ、つまり水引草の形容を幾何模様的に捉へ、そしてその群生して交錯する様を「縺るるままに」と叙してゐます。
初句の点と線が実に印象的で、その花軸が即、脳裏に浮かびます。加へて縺るるままにといふ叙述は風のさやぎさへ見えて来ます。
 総じて言へることに、対象即ち季題と出会った時、私どもは納得のいくまでその場にとどまり、一字をも疎かにせず、推敲を重ね、と教はつて来ましたが、この現今の慌しい時間の中では大変に難しい事で、而し掲句は眼前即座に成った詠句でないことは確かです。

逆縁の涙枯れしか赤のまま    古野 治子
 「逆縁」とは、詠句では年長者が年少者の供養をしてゐる事を指してゐると思ひます。その悲しみをもう泣くだけ泣いて、一句では「涙枯れしか」と詠じてゐます。その象徴に作者は路傍の「赤のまま」を選んでゐますが、小説「歌のわかれ」等で著名な中野重治に/お前は赤ままの花や/と女の子を叙した詩があり、虚子、茅舎などにも子と赤のままを詠んだ、世に膾炙した句があります。いづれも鄙びた、佗びしい花の印象です。詠句もまた逆縁といふ措辞に依って重い作品になってゐます。

ひとり身となりて身にしむことばかり    伊東  琴
 ごく近い日に連れ添ふ方が他界されての詠です。後先のことなく、その思ひを吐露した、淡いうたかたのやうな諷詠です。それもひらがなばかりの表記、そして「ひとり身」「身にしむ」 の表出、この流露した真情が印象的です。

師とわれと煙草くゆらせ詠みし秋    宇田川一花
 「師」とは何方のことでせうか。もしかして今は亡き主宰の事でせうか。それでは所謂楽屋落ちになります。而し作者は経済学の方で内外に知己をもつ人です。その「煙草くゆらせ詠みし秋」とは、今眼前の秋容に目を遣りながら過ぎし日の秋の風光に浸ってゐる大人の茫洋とした雰囲気が伝はつて来ます。まさに秋情の一句です。
 
秋彼岸大きく開く寺の門    金子 知世
 中七の 「大きく開く」が面白いと思ひます。この叙述に依って秋のお彼岸詣りの、人々の賑はひが暗示されてゐます。蛇足ながらお寺さんはさして大きくない様に思へます。

秋空の青を落としてにはたづみ    福島 公夫
 「秋空の青を落として」、私は林の中の一本道の、その細い秋空の青さを思ひ浮かべました。そして道の前方に青く光るのは雨上りの水溜りであることを想像しました。
 詠句は客観的な何の説明もなく一景を呈示してゐますが、如何とも「にはたづみ」の叙景は、街中の景では想像も付かないことです。それに青を落としての描写は絶妙です。

運動会村ならではの丸太切り    那須 久子
 運動会で「丸太切り」、とは開いた事がありません。ただ私は違い日に鉱山救護隊の訓練で、隊服に酸素ボンベを背負ひ丸太切りをさせられた事がありますが、意外に息切れをしたものです。
 掲句の作者は秀峰市房山を朝夕望む地の方で、市房ダムなどで知られ、土地の中学はダム補償で出来たとあり、東は宮崎県の椎葉村に隣接するとも併記してあります。この山に近い村であれば運動会の丸太切りも領けますが、とは申しましても当然の風景を一句に昇華させることは簡単な事ではありません。それは作者が常に創作のアンテナを張ってゐるその腸であらうと思ひます。また「村ならでは」の措辞には里への思ひ入れがあります。
 
奥球磨に隠れ念仏野菊咲く    岩本まゆみ
 原句は球磨谷とありましたが、これは球磨川の谷か、若しくは球磨地方の谷か、地方の事を指すのですから「奥球磨」と訂正しました。また作者は福岡の方ですので、いはゆる地方探訪の旅で球磨の地を踏まれたのだと思ひました。句の「隠れ念仏」とは辞書にもありますが、島津藩内に端を発した哀しい史実です。私も精しい資料を集めてゐましたが先の震災で書籍と一緒に散逸してしまひました。つまり島津の地から一向宗(浄土真宗) の人達が迫害を逃れて球磨の奥深く辿って来たのです。資料にはその人達の生活や地名があったのですが、今なんの記憶もありません。詠句の「野菊咲く」は、実地に立ってその哀しい史話を開きながら作者は道の辺の野菊に目を落としてゐたのです。
 句は簡潔で余情ある諷詠です。
 
水の音虫の声して棚田かな    竹下ミスエ
 棚田のある一面を詠じてゐます。何か夕べの様に恩ひますが、作者の漫ろ歩きの風情が伝はつて来ます。

初雪や指先痛き程の朝    中山双美子
 北国の逸早い冬の到来を詠じてゐます。南に住む私共には(冬近き)恩ひよりも一句には何か新鮮な感じがします。

 


俳誌「松」 宗像夕野火追悼号

2017-10-04 20:54:47 | 

雑詠選後に              村中のぶを

修復の被いすっぽり城の秋   松尾 照子 

 熊本地震で崩れたお城のテントに封じられた今の異様な光景を詠じてゐる句です。而し一句はまことに尋常な表現で捉へ、その中七の叙述、結句の表出に私は躊躇なく偉とします。因みに作者は先に上村占魚、近くは夕野火先生の膝下にあった人です。

さざ波の寄せて織りつぐ花いかだ   後藤 紀子

「花いかだ」とは、水に散って流れつづる桜の花を筏に見立てた季語ですが、それを一句は「寄せて織りつぐ」と叙してゐます。何かそれは古典でも読むやうな、いかにも古風な措辞で、しかもその風景を的確に表現してゐます。なほ同じ春に「花筏」といふミズキ科の落葉低木の白い花を呼んだ季語があります。

母の名の流燈もあり添ひてゆく   伊織 信介                                          

 精霊流しに心を寄せる句です。特に「流燈もあり」のもの助詞に注目します。この助詞について、或る辞書には(願望表現としてその中心にあるものを示す)とありますが、一句の意図もこの一点にあらうかと思へます。それは流燈群の中の母の名にこそ、寄り添って蹤いてゆくのです。作者は句歴も長く、他の誌上にでも夙に活躍されてゐる方です。

いまだ現役九十三の生身魂    古野 治子

 凡そ詩歌は一人称の文芸であります。つまり私は、我は、われわれは、といふ事です。「生身魂」の詠、まさに昂然と言ひ放って、女性の方です。して私共は、時には身を曝け出し自己を詠ずることも心掛けておくべきでせう。 なほ、作者とは数度お会ひして誠に穏やかな、柔和な方であることを付言しておきませう。

法師蝉律儀に鳴きてついと消ゆ    佐藤 和枝

 「律儀」とは、佛語に因する言葉とありますが、一般には実直で義理がたい事を言ひます。それに「ついと」とは副詞として突然に、いきなりにと叙してゐるのです。以上を読み取りますと、或る時のつくつくしの本性を言ひ取ってゐて面白いと思ひます。しかし作者が、詩語の選択に労をとられたことは間違ひないと思ひます。

遠晴れて利尻の海の昆布船    赤山 則子

 むろん北海道の方の詠句です。「遠晴れて利尻の海の」といふリズミカルな措辞が実に印象的で、遠い日に訪れました利尻岳とその海波の風光が目に浮かびます。また映像で目にします昆布探りのダイナミックな光景が想像出来ます。
 詠句は簡単に詠ほれてゐるやうですが、この様な広大な風景を詩的に一句にまとめるといふ事は容易なことではありません。やはり日頃の労作の結果でせう。これからも当地に根ざした諷詠を期待いたします。

アヴェマリア梅雨聖堂に父送る    坂梨 結子
                          
 カトリックの方の父上の葬儀ミサの詠句です。彿教では葬儀ですが、カトリックでは別に鎮魂ミサとも呼ばれてゐます。「アヴェマリア」とは賛美歌を指してゐると思ひます。凡そキリスト教の葬儀は聖書と賛美歌と、祈祷が中心になってゐますが、その賛美歌の中、十字架を冠つた父上の棺が、外は梅雨さなかの大聖堂の聖壇へ進んでゆくのです。一句は 「梅雨聖堂に父送る」と詠じてゐます。読者にはその荘厳と悲しみのこゑが伝はつて来て、心に残る詠句です。 

帰天とふ友の訃届く被昇天祭    向江八重子

 作者は熱心なカトリックの信徒の方です。現に第四句集は集名も装丁も神父の方の手によって上梓されてゐます。
 掲句の 「帰天」とはむろんキリスト教徒の方の死をいふのですが、召天とも呼ばれてゐます。その訃報が届いたのは「被昇天祭」 の日と、詠じてゐます。被昇天祭とは、八月十五日、一般には孟蘭盆の日、カトリックではこの日、聖母マリアが死を免れて昇天した日として教会では盛大なミサを行ふ日とあります。つまり作者は聖母マリアの被昇天の日、友の訃を知ってその因果と衷しみとを享受してゐるのだと思ひます。私は野見山朱鳥の (春落葉いづれは帰る天の奥) といふ、生を通した死の肯定につながるであらう句を思ひ出しました。

 

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俳誌「松」若竹號   主宰 茂木連葉子

2017-05-12 20:41:37 | 

 

                                   連葉子選

日脚伸ぷ仕事しまひの庭焚火  野元八重子  人吉

一月も半ばを過ぎると、一日に畳の目が一つづつ伸びると言はれるほ

日照時間が伸びて来ます。落葉をはじめ、枯れ草や木の枝など、冬

間は放置されてゐた庭の片づけをして、仕事が終った安堵感と共に

脚が伸びたことを実感してゐるのです。焚火をしても消防署から注意

を受けるやうなことのない広い庭が想像出来ます。 なほ、焚火が冬の

季語であるところから、季重なりを気にされる向きがあるかも知れませ

んが、「日脚伸ぶ」が中心季語であることは明らかで、心配は無用で

す。
 

師の逝きてよりの二十年梅の寺  勝 奇山   三浦

梅の寺とは、言はずと知れた花の寺として有名な鎌倉の瑞泉寺。

この寺に葬られることを生前より望んでゐた、先師・上村占魚の没後二

十年とは驚きです。忌日は、二月二十九日ですから、梅の寺の季語は

動きません。 

そして、親交のあった吉野秀雄をはじめ、放浪歌人の山崎万代などの

墓があることも忘れる訳にはいきません。 

かつての旬友、相州例会の勝奇山さんのことも当然。

 

室の花断りもなく睡魔来て  向江八重子    東京

春に咲く花を温室で栽培し、寒中でも鑑賞出来るやうにしたのが室の

花。昨今ではシクラメンが代表的な花として知られるとか。

そんな、室の花を前にして、作者はしばしば、ひたすら睡魔に襲はれて

ゐるものと思はれます。そして、そのことが、己の高齢と予測以上に

関ってゐることを大いに気にされでゐるのでせう。

しかしながら、季語の室の花が的確で、視点に新しさを確認することが

出来ます。

 

道具屋の言はずも負けて古都小春  後藤紀子  東京

古都小春とあるところから、処は鎌倉。

そして、古道具類を商ふ店での作者の遣りとりが詠はれてゐます。

即ち、壷か茶碗か、商品自体は分りませんが、作者はそれを見なが

ら、店主に値引きの交渉をするつもりでゐたところ、案に相違して先方

から「負けてあげるよ」なる言葉が発せられたといふ訳です。いかにも

古都の、小春らしい日和が詠はれることとなりました。
 

春暁の蛇口に今日のはじまりぬ    村中珠恵  ひたちなか

傍題を含めて、春暁は春の早朝を意味し、「曙」よりは早い時間のやう

です。 それらのことはともかく、水道の蛇口からほとばしり出る水に、

今日一目の始まりを確認させられてゐるのです。冬とは異なる水の躍

動感が、どちらかと言へば聴覚に訴へてゐるのが特徴で、主婦ならで

はの感覚の詠句ではないでせうか。

 

猫の恋波のしつかな日の漁港  山岸 博子  札幌

「あらすぢも仔細もあらぬ猫の恋 きえ子」とも詠はれた猫の恋。

この時期、句会の課題としても試みるのですが、類想旬も多く、一筋縄

ではでは行かない季語と思ほれます。 ところで掲句の猫の恋は、「波

のしづかな日の漁港」を舞台に詠ほれてゐます。既に糶は果てたであ

らう、広い漁港の静けさの中に、時折、恋猫の声だけが響くことがある

といふ訳です。

漁港の選択により、新味が生れました。

 

ぽんぽん船残せる音の霞みゆく   福本まゆら  島原

ぽんぽん船とは、かつてよく見られたぽんぽん蒸気漁船のことでせう

か。内燃機関からの軽い爆発音は、何とも心地よい音の記憶が私にも

あります。さて、掲句で詠はれでゐるのは、そんな音が水脈のやうに船

尾に残され、やがては霞んで行くといふのです。 久々に、楽しい俳句

に出合ふことが出来ました。

 

風生の桜餅とて買ひにけり    宮崎 羊子

「風生の」とは、富安風生のことで、その風生に有名な「街の雨鶯餅が

もう出たか」 (「松籟」) の句が背景にあることは皆さん承知の通りで

す。 皆さん承知の通りと言ひましたが、知らなかった方は勉強が不足

してゐたことを認識ください。 いづれにしても、前掲の句と同様に楽し

い俳句です。

 

菜の花のお浸しに酌む純米酒    祝乃 験   球磨

句意は明らかで、菜の花のお浸しに合ふ酒を酌んでゐるのです。純米

酒とは、七〇パーセント以下に精米した白米と米麹で醸造した清酒の

ことで、吟醸酒などとは異なります。しかしながら、その酒のレベルが菜

の花のお浸しとよくマッチしてゐるといふ訳です。 外気温などとも関連

があるところから、お爛をしたのかどうかは不明ですが、私なら「ぬる

爛」 にします。それこそ蛇足ながら。


俳誌「松」百千鳥號   主宰茂木連葉子

2017-03-12 19:07:23 | 

 

                    雑詠選後に  連葉子 

路地を行く検針員や初しぐれ    山岸 博子

 検針員とは、電力・水道・ガスなどの使用量を知るため

に、各家庭のメーターの目盛を調べることを生業とする人

であることは承知の通りです。

日頃、そんな人たちを見かけることがあつても言葉を交

すわけでもなく、それと認知して目礼を交す程度ではない

でせうか。

 前置が長くなりましたが、そんな検針員が路地を行き、

折からのしぐれが、今年になってから初めて、その人の肩

に降りかかつてゐる、それだけのことなのです。

 それだけのことと言ひましたが、さりげなく一句は時雨

の季節の到来を、活写しでゐます。

 

初東風や歌垣山にちさき雲    村中 珠恵

 東風は、あたたかいとまでは言へないまでも、いよいよ

春といふ希望をもたらしてくれる風です。

 ところで、掲句で詠はれてゐる「歌垣山」とは、茨城県

南西部に位置する筑波山。「西の富士、東の筑波」 と称せ

られ、風土記や万葉集の 「か、がい」 の記事などに名高く、

古来の歌枕として知られてゐます。

 そんな歌垣山に吹き始めてゐる東風。そして、それにか

かはる、ちさき雲だけが詠はれでゐます。

 表記を間違ひ易い 「小き」を、平仮名表記としてゐるの

も賢明です。

 

赤き実に触るればこぼれ冬に入る    温品はるこ

 触れればこぼれるといふ 「赤き賓」が何なのか、探って

みましたが、肩に触れる高さの赤き賓を特定することは出

来ませんでした。

 そこで気がついたのは、もとより作者は特定の植物をイ

メージしてゐるわけではなく、「冬に入る」一つの条件と

して措いて見せてゐるのです。

 そしてそれが見事に成功して、読者までそんな気持にさ

せてくれてゐるといふわけで、俳句のおもしろさを確認す

ることが出来ました。

 

竹爆すこだまも谷戸の冬用意    安部 紫流

 この句の場合も前の句に似て、「竹爆すこだま」 の内容

や目的が分らないまま、「冬用意」 の句として評価し、選

ばせでもらひました。

 もちろん、気分としては前の旬と同様に分るからこそ選

んだもので、作者に内容を確認してみることは残念ながら

怠りました。そして「竹爆す」としてみたものの、原句は

「竹爆く」となつでゐたことの確認もまた、怠ってしまひ

ました。

 

除夜の鐘の残響しかと胸に抱く    園田 篤子

 除夜の鐘の音を開きながら、人は誰でもそれなりの感慨

を覚えるものですが、一句の特性は、何と言っても、「残

響しかと胸に抱く」と詠はれでゐることです。

 後を引く鐘の音を「残響」とし、さらに 「胸に抱く」と

した組合はせが非凡です。

 そして、上五を「除夜の鐘の」と字余りにしたことも成

功の一因をなしてゐます。

 

あれもこれも運休となる大吹雪    赤山 則子

 運休とは、交通機関が運転・運航を休止することである

ことは言ふまでもありません。

 「あれもこれも」と言ふのですから、北海道内の特急列

車をはじめ、鈍行までも。そして千歳空港から本土行きの

飛行機も運休となってしまったことが想像出来ます。

 蛇足ながら、夏や秋の好シーズンばかり北海道へ出掛け

てゐた私は、一度、真冬にやって来て、猛吹雪のバス停で

バスを待ってみてください。と言はれたことを思ひ出しま

した。

 もう一つ蛇足ながら、則子さんの住む岩見沢は、どか雪

で有名です。

 

池中に埋火のごと冬紅葉    菊池 洋子

 埋火(うづみび) を知らない、どちらかと言へば若い人

たちに解説すると、埋火とは灰に埋めた炭火のことです。

とりわけ火鉢や炉などで火種を長持ちさせるためや火力を

調節するために炭火を灰で覆っておくものです。

 そこで掲句は、池の中に散り沈んだ「冬紅葉」をさなが

ら埋火のやうであると詠ってゐるのです。

 「埋火のごと」なる直喩が、評価される所以です。

 

残照の平らに澄める文化の日    向江八重子

 日没後、なほ空に照りはえて残ってゐる夕日。

 そんな夕日が平らに澄んでゐることを見届けた作者は、は

たと文化の白であることに思ひが至ったのです。

 平らに澄む辺りが、いかにも平穏な文化の日に相応しく

思へるのです。

 

紡ぎ出る言葉もあらず冬の雨    小林まき子

 綿や繭を糸より車にかけ、その繊維を引き出して撚りを

かけて糸にすることを、「紡ぐ」 と言ひます。

 ところで、「紡ぎ出る言葉もあらず」 とは、折からの冬

の雨を厭ふあまりの感想、感慨なのです。

 暗喩のややこしさが感じられるものの、冬の雨に対する

視点の新しさを評価しました。

 


俳誌「松」水仙號  主宰茂木連葉子

2017-01-15 20:26:53 | 

雑 永 連葉子選と句解

 

酔芙蓉句座にお初の人迎へ    菊池 洋子

 芙蓉の中の「酔芙蓉」は、朝の咲き始めは白く、午後にはピンクになり、夕方からさらに赤く

なることで知られてゐます。 したがって始めての人を迎へての句会は、夕方から始まる句座

と思はれます。仕事を持つ人たちともなれば、休日はともかく、ウイークディに開催される句座

は自づから夜となります。 「お初の人」と言はれてゐるやうに、今の時代、新人は歓迎される

ばかりか、珍重されるのが一般的でせう。そんな空気が一句から感じとれて面白く、季語もま

た、その場にマッチしてゐて、羨ましい限りです。

 

牧広き獣医学部や馬肥ゆる    山岸 博子

 広い牧場を持つてゐる獣医学部は、北海道大学のそれであることが、作者の住所からも判

ります。 そんな牧場で飼育されてゐる馬たちは、冬に備へての食欲を大いに発揮してゐる

のです。 いづれにしても馬たちは、人間の情況やら境遇などとは無関係に、四季を通して育

てられてゐるのです。蛇足ながら、東京本郷の東京大学農学部にも五六頭の病気の馬が飼

はれでゐる厩舎があることを、以前に事情があって知りました。

 

大根煮て夫の機嫌を伺へり    原田 祥子

 掲句の大根煮は、「風呂吹」のことでせうか。 いづれにしても、種類が多い上に、調理法も

多彩で親しまれてゐるのが大根です。そこで作者は、季節の大根を煮て、仲のよい夫の機嫌

を伺ふといふのです。 ところで「機嫌」 に尊敬語の「御」をつけ、「ご機嫌伺ひ」などとして使

れるケースが少なくありませんが、一句の場合は至って軽い意味合ひの機嫌伺ひに感じら

ます。 大根煮に相応しい夫婦の匂ひが漂ってゐます。

 

個室出で秋日にさらす身丈かな    林 三枝子

 ケア・ハウスに入所されてゐる作者は、籠りがちな個室を出て、折からの秋の日ざしに身を

晒したといふのです。 とりわけ「秋日にさらす身丈かな」 の中七、下五の措辞によって、丸く

なりがちな背筋を伸ばしてゐる様子や秋日の濃さなど活写されてゐます。 三枝子さん流の

俳味が、さりげなく込められてゐると感じるのは、私だけではない筈です。

 

帰る子と夕月仰ぎ別れけり    向江八重子

 実家を訪れたのち、帰らうとする子を門辺まで送り出したのでせう。そして、折しもの夕月を

互ひに見上げながら別れたといふのです。 具体像としての子は、娘さんであり、夕月を仰ぎ

ながら短い会話を交したことなどが伺へるのは、一句の表現力と言へるでせう。 表現にとり

わけ技巧を凝らす訳でもなく、淡々と詠はれてゐるところが注目されます。

 

小さかる針箱をもて冬用意    佐藤 和枝

 「小さかる針箱」 の措辞によって、かつては大きな針箱を持ち、ミシンを踏むなどして冬用

意に専念してゐた時代の作者が想像出来ます。 しかしながら、針に糸を通すこともままなら

なくなってゐる今は、小さく、可愛いい針箱で足りる冬用意を、それでも欠かしてゐないといふ

わけです。 避けて通ることの出来ない高齢化ですが、俳句同様、工夫が必要であることを

言外に諭してゐるやうです。

 

爽やかに指に力のセラピスト    西村 泰三

 入院、リハビリ中の作者は、理学療法士による機能回復訓練を受けてゐるのでせうか。 い

づれにしても、療法士の指の力を強く感じると同時に爽やかさを感じとつてゐるのです。そし

て、その辺りに患者と療法士との信頼関係が生れつつあることが伺へます。 病者ならでは

の句とも言へますが、健常者にも共通の視点が存在します。

 

初粟の籠に轟き照り合ひぬ    古野 治子

 今年はじめて拾はれた栗の実が、籠中いっぱいに轟き、且つまた照り合ってゐるのです。 

まさに粟の実の歓喜さへも聞えて来るやうですが、尋常ならざる点は、「籠に轟き」に留まら

ず、「照り合ひぬ」と詠まれてゐることです。 そして、そのことによって 「初栗」 の 「初」が

生きて来る仕組みになってゐるものと思はれます。

 

手のくぼに鶏頭の種採り溜むる    安部 紫流

 韓藍 (からあい) の古名で 『万葉集』 にも詠まれてゐる鶏頭。そして鶏頭自体を詠んだ

句は、子規の有名な句をはじめ少なくないものの、種が詠まれた句は珍しいと言へます。 し

かも手の窪に、採り溜められてゆく種の一つ、一つ。どことなく貴重品めくのみならず、毛糸の

温かみのやうなものまで伝はつて来ます。 よく訓練された人の目が捉へられた、一句と言へ

ます。 

 

 


俳誌「松」木枯號 主催 茂木連葉子

2016-11-13 16:35:38 | 

蜜柑の挿絵がいいですね。例によってbenさんの作ですが、枯れた描線が形と色彩をぐっと引き締めています。俳句ではこのような例句を知りません。

   雑詠より九句  連葉子選

落蝉の掃かれ切なき声あぐる     東京 向江八重子

片陰の献血車にて献血す        札幌 山岸博子

ひめむかしよもぎを揺らし列車過ぐ  島原 原田祥子

帰燕のち空広くなり高くなり        島原 林三枝子

若者の声にぎやかに島晩夏      宇城 橘一瓢

斑猫の誘ひに乗ればぬかるめり   人吉 野元八重子

マネキンの八頭身に秋来る      札幌 中山双葉子

秋の蚊に悲鳴のあがる美容院    群馬 河本育子

会釈して休まぬ掃く手涼しかり    東京 福島公夫