熊本県立図書館の掲載許可が下りたので、これから順次「肥後孝子傳」を掲載します。「肥後孝子傳」は前後編2篇の版本がありますが、熊本県立図書館で閲覧できるのは前編(上中下)の3冊のみで、後編(上中下)は「肥後文献叢書(四)」に翻刻文があるだけで版本はありません。
※ ページを振ってあるのは読み合わせ会用で原本にあるわけではありません。今回は原則翻刻文は載せ ません。変体カナを学びたい方は画像をプリントするか、パソコンに落として拡大画面にして読んでください。
ページが飛んでいますが単なる手違いで文は連続しています。
「肥後先哲偉蹟」に中村正尊の記載があり、その抜粋を記しておきます。
中村忠亭
名は正尊、忠助と称し、後忠亭と改む、肥後孝子傳を著せり、寛政七年正月八日没す、享年七十三、飽託郡春日万日山に葬る。
一.中村忠助・正尊、藪茂次郎正尊と改候様との事に付改之 故ありて中村を名乗、剃髪の後、忠亭と改、宝暦六年八月
十一日、独礼に召出さる、三人扶持十石拝領、大浦儀右衛門跡御近習御横目、翌春御参勤御供にて罷登、翌寅
六月、御供にて罷下、七月御給扶持差上、御奉公御断申上浪人仕候、孝子傳前後篇著述に付、一カ年米十俵宛
下置かれ、並桜御紋付御羽織拝領、寛政七乙卯年正月八日死去、年七十三歳、即成院寿徳浄賢居士、葬万日山、建部氏記録
※上に万日山に葬るとあるので、墓所を探しに万日山に行って探しましたが発見できませんでした。麓に来迎院という寺院があり、墓地を管理しているのでもしや何か判るかもと思って住職にお会いして中村正尊のことを尋ねましたが寺にある「名士墓地一覧」に記載がなく判らないということでした。