(建築中の住宅にて)
気にかけ、手間をかけた空間は、そのかけた分だけ密度が上がる。
以前、ある二世帯住宅の設計をした時のこと、そのお宅の工事は順調に進んでいた。工事も終盤に差し掛かった頃、ご両親のスペースだけはスケルトン状態のままであった。施主の当初の方針であったのだけれども、さすがに手が入った、他スペースとの対比が鮮明になり、なんだかその空間がぽつんとひと部屋(ひと空間)残され、その密度の差は歴然となった。
それではと、みんなであれやこれやと考え気にかけ始めると、それまで殺風景とさえ見えたその空間が、みるみるうちに生き生きと、そして密度を増してくるのを感じた。壁を作ったり、色を塗ったりという、具体的なアクションをしていないにも関わらず・・・である。
何年か前に上映した宮崎駿の「ハウルの動く城」という映画の中で、カルシファーとかいう火の悪魔がでてきて城を動かしていた。そしてその火の塊が城を離れた瞬間、城は崩壊するーという場面があった。その時私は、その事柄を住宅に置き換えて見ていた。「そうだよ、住宅もこの「火」みたいな何かでなりたっているよなぁ~」などと。。(もっとも、その辺りは宮崎駿が意図したところかもしれないと思うのであるが)
住宅でも良くありますよね。構造的に云々以前の、どうして建っていられるんだろうと思えるような古い家が(でもなぜかとても魅力的なんです)、その家主がいなくなった途端にその家は覇気を失い、時に崩れ始めるという事が。。。勿論、手入れが出来なくなった事、空気の入れ替えが出来なくなり部材の劣化が進行した事など、物理的な理由はいろいろあるとは思うが、それだけではないような気がしてならない。
それがなんだか言葉では説明できないけれど、言葉にすれば「気」や「気持ち」あるいは「思い」みたいなものではないかと。
「気」にかけて、手間隙かけてあげて、「密度」は増す。窓ひとつとっても、大工さん左官屋さんはじめ、職人さんの細かい気配りと、手間隙かけた協力があったからこそ、この家の「窓辺」(前述)になったと思う。
しかし設計や工事関係者ができるのはここまで。そこからそこの住人が住みはじめて、ただの「箱」から「住宅」になると思う。そして、住みながら気にかけて手間隙かけて、より魅力的な住宅になっていくのだと思う。
気にかけ、手間をかけた空間は、そのかけた分だけ密度が上がる。
以前、ある二世帯住宅の設計をした時のこと、そのお宅の工事は順調に進んでいた。工事も終盤に差し掛かった頃、ご両親のスペースだけはスケルトン状態のままであった。施主の当初の方針であったのだけれども、さすがに手が入った、他スペースとの対比が鮮明になり、なんだかその空間がぽつんとひと部屋(ひと空間)残され、その密度の差は歴然となった。
それではと、みんなであれやこれやと考え気にかけ始めると、それまで殺風景とさえ見えたその空間が、みるみるうちに生き生きと、そして密度を増してくるのを感じた。壁を作ったり、色を塗ったりという、具体的なアクションをしていないにも関わらず・・・である。
何年か前に上映した宮崎駿の「ハウルの動く城」という映画の中で、カルシファーとかいう火の悪魔がでてきて城を動かしていた。そしてその火の塊が城を離れた瞬間、城は崩壊するーという場面があった。その時私は、その事柄を住宅に置き換えて見ていた。「そうだよ、住宅もこの「火」みたいな何かでなりたっているよなぁ~」などと。。(もっとも、その辺りは宮崎駿が意図したところかもしれないと思うのであるが)
住宅でも良くありますよね。構造的に云々以前の、どうして建っていられるんだろうと思えるような古い家が(でもなぜかとても魅力的なんです)、その家主がいなくなった途端にその家は覇気を失い、時に崩れ始めるという事が。。。勿論、手入れが出来なくなった事、空気の入れ替えが出来なくなり部材の劣化が進行した事など、物理的な理由はいろいろあるとは思うが、それだけではないような気がしてならない。
それがなんだか言葉では説明できないけれど、言葉にすれば「気」や「気持ち」あるいは「思い」みたいなものではないかと。
「気」にかけて、手間隙かけてあげて、「密度」は増す。窓ひとつとっても、大工さん左官屋さんはじめ、職人さんの細かい気配りと、手間隙かけた協力があったからこそ、この家の「窓辺」(前述)になったと思う。
しかし設計や工事関係者ができるのはここまで。そこからそこの住人が住みはじめて、ただの「箱」から「住宅」になると思う。そして、住みながら気にかけて手間隙かけて、より魅力的な住宅になっていくのだと思う。
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