住みこみ*著書:『住みこみ』(2007年/ラトルズ刊) 戸田家の一年を写真とエッセイで綴った本のタイトルです。

人の暮らしは時間と共に変化します。それを調整しつつ自在に手を入れられる、ゆるやかな設計を心がけています。

溽暑

2009-07-28 22:31:13 | 八王子
(7/25.26 天神さまのお祭り)
7月23日から8月7日の立秋(りっしゅう)までが24節気 大暑(たいしょ)

日本の上空は太平洋高気圧には覆われてはいないものの、激しい蒸し暑さですね。
セミの泣き声があまり聞かないのが気になります。

そして7月28日は第35候 土潤溽暑(つちうるおってじょくしょなり)のはじまり

溽暑(じょくしょ)は、炎暑とは違います。ぎらぎら炎えるような太陽の光というより、土中の水分を蒸発させて、曇り日の空気をいっぱい含んだ、じっとりとした、身に纏わりつく蒸し暑さのこと。

まさに「溽暑」のような蒸し暑い日々。さらに輪をかけ暑い話をひとつ。

与謝蕪村の句に 「草いきれ人死をると札の立」というのがあります。「草いきれ」とは蒸せるような匂いと湿気を発する”夏の草むら”を言うそうですが、蒸せるようなむんむんとした野道を歩いていると、先に人が死んで屍があるという立て札が立っていたというのですが、最も出遭いたくないことを表している句。 (住まいネット新聞「びお」引用)

ネットでそんな一文を読んでいたら、遠い昔(といっても今から17年前ですが)、4ヶ月ほどあても無く旅行した場所のひとつ-インドでの一瞬の光景がフラッシュバックした。
 朝も夜もそれこそ石ころを持ち上げても、もうどこに行っても暑いインドでの、クーラーの全くない夜行列車での移動はとてもしんどく、汗をかく暇もない!!というと汗をかかないのかと言うとそうではなく、汗をかいてるそばから蒸発するのだ。衣服につく多量の塩だけが、汗をかいた証だった・・・

旅行も2ヶ月を過ぎ、多少暑さにも慣れ、というか半ばどうにでもなれ!と開き直ってきた頃、それでもさすがに移動時間20時間はしんどく、その駅(どの駅か忘れた・・)に着いた時は、目的地に着いた喜びより、この列車から開放される喜びの方がはるかに上回っていた。(だから駅名が吹っ飛んだ・・という訳)

そして、その駅の構内に”その物体”はあった。人ごみが、明らかに”その物体”を避けて歩いていた。生活道具一式が入った重いザックを背負いながら、足元だけに目をやり、歩いているというより、さまよっているといった感じでボーっと歩いていた私は、”それ”に気が付かず、危うくぶつかりそうーというか踏みそうになった。「何だろうな~」と目線をちょっと上げてみると、おじいさんが横たわっていた。「こんなところに何で寝てるんだ~??」と思い、声を掛ける勢いでさらに一歩近寄ってみると、寝ているのではなく、状態で話せば汚い話、穴という穴に蝿がたかっていたのだ。

「あっ!あぁぁ~~」 そう、道端に屍だった。前述の与謝蕪村の句はまだいい。”立て札”があればこころの準備ができるから。。。その時の私の場合、いきなりしかばねだ!う~こころが蒸れる!でも何よりショックだったのは、インドの人達が、その屍を何事もなかったように平気に避けて歩いていた事だった。でもね、その日、ガンジス川でわしも考えた(あれ?)のであるが、これも広い意味での「食物連鎖」なのかも知れないと思ったら、なんだか自然の摂理の中に包まれているような感覚になり、しばしの間、暑さが和らいだ気がしたのを覚えている・・・

写真上は、わが町の天満神社のお祭り風景です。小さいながら、お囃子や獅子舞などが昼夜を通し奉納されるんです。

天満神社(八王子市上野町):寛永8年(1631年)に、お向かいの金剛院の開山したといわれる真清師による建立という。社殿は戦災で焼け、現在のものは1956年(昭和31年)の再建という。

上野町近辺の紹介が「南大通りから富士森の丘」というHPにありました。いい町ですよ~
http://www.natsuzora.com/may/town/uenomachi.html



天神さま、今年もお札、ありがとうございました。

=戸田晃建築設計事務所=

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