昨日は、江南市教育委員会 生涯学習課主催 男女共同参画セミナー ハッピーライフ講座 に参加しました。
講師は、株式会社 脳研工房 代表取締役 久保田カヨ子 先生。
演題は、久保田式育児法について
久保田カヨ子先生は、1932年大阪生まれです。
このブログで、今年の2月22日から連載した、「子育てに脳科学の成果を利用しよう」の講演者、久保田 競先生 の奥様です。
久保田 競先生は、この春の叙勲で瑞宝章を受章されました。おめでとうございます。
講演が始まる前から、サインを求められるなど大人気。
とにかく気さくで、気軽に声をかけられます。
今日の話の前提となるのは、くぼたのうけんの理念です。
HPから紹介します。
http://kubotanouken.com/
頭のいい子とは、どんな環境にも適応し、積極的に、前向きに生きていく大人に育ちます。
この教室は、豊かな感性で精神的ストレスを自分で解決する方法を編み出し、積極的に物事に対処できるお子さんに育つため、理屈でなく、今身につけるべきことを懸命に鍛え磨き上げることの手助けを第一目標としていきます。
これに沿ったことが、いろいろとお話しされました。
久保田先生の言われることは、皆さんご存じだと思います。
冒頭に、これまでを振り返り、なぜ今のような立場になったかを話されました。
その概要を紹介します。
※ 誤解があるかも知れませんので、久保田先生や主催者には責任はございません。
私は、変わった女の子だった。
子どもを産みたいと思わなかった。子どもなんかどうでもいいと思っていた。
ある時、アメリカの映画で楽しいのがあった。
NHK「1ダースなら安くなる」で、12人の子がおり、子育てをテーマにしていた。
経済的論理に基づいて、水の使い方やブラシを何回やると気に入るかなど、
12人の男女個性を認めて、いい子を育てたドラマだった。
このドラマを見ていて、子育てはおもしろいと思った。
そこで子どもを作ることにした。
私は10何人作ろうと思ったが、男の子2人産んだ。これは、運だ。
絵描きの訓練をしていたので、50歳になったら絵描きになるつもりだった。
逆算すると、30歳までに末子を生まなければならない。
育てるからには、経済学者の映画を見て感銘を受けたので、個性を認めて、前向きに暮らしていくという考え方にあこがれた。
しかし、それをどうやっていくか、精神的には無理があった。
私が封建社会に育ったから。
私をどうやって育ててくれたのか、商売の跡取り娘で、計算づくめ。それが今の私を作った。男のように育てられた。
だから、私は男の子がほしかった。どうやって男の子らしい男の子になるか。
私は、理屈っぽくっていろいろ言う。
赤ちゃんは天才なんだ。普通の子にしたらもったいない。
京都大学霊長類研究所に移ってから、これから赤ちゃんを産む人のために世話焼きおばさんになった
当時、「赤ちゃんの体との脳働き」という本を出した。
実に30年ぐらいまえ。赤ちゃん教育の本だが、育児所の色を変えたベストセラー、ロングセラーになった。
それまでは小児科の医者が書いていた。
おむつはどうこう、朝下痢をしたらどうこう、病気に対する対処の仕方が中心だった。
私の本は、健康な脳の働きをもった赤ちゃん用に書いた。
また、健康じゃない赤ちゃんも、たとえば脳に障害のある赤ちゃんも、時間はかかるけど、同じことをしても効果があることがわかった。
応用できることがわかった。
教室を開いてくれたので、その間、たくさんの子どもを見た。
その間に、自分の親が高齢になる。
赤ちゃんを保育するところから、看護、看病、葬式まで全部経験した。
畑いじりをして、隠居した。
そのときに、旦那が変なことを書き出した。
最近の母親は高学歴なので、頭で子育てをしようとする。
「早く大きなあれ」から、「早く賢くなれ」と言い出した。
これはいけない。
私もいけないと言い出したが、農業では誰も言うことを聴いてくれない。
そこでテレビに出たら、買い物に行けないほど人気がでた。(笑)
写真撮られて、私の計算通りいった
私が言ったことが、今の赤ちゃんに通じる。
この後、いよいよ具体的な内容に入ります。
印象に残ったことのみ紹介します。
長くなったので、次回に・・・・。
講師は、株式会社 脳研工房 代表取締役 久保田カヨ子 先生。
演題は、久保田式育児法について
久保田カヨ子先生は、1932年大阪生まれです。
このブログで、今年の2月22日から連載した、「子育てに脳科学の成果を利用しよう」の講演者、久保田 競先生 の奥様です。
久保田 競先生は、この春の叙勲で瑞宝章を受章されました。おめでとうございます。
講演が始まる前から、サインを求められるなど大人気。
とにかく気さくで、気軽に声をかけられます。
今日の話の前提となるのは、くぼたのうけんの理念です。
HPから紹介します。
http://kubotanouken.com/
頭のいい子とは、どんな環境にも適応し、積極的に、前向きに生きていく大人に育ちます。
この教室は、豊かな感性で精神的ストレスを自分で解決する方法を編み出し、積極的に物事に対処できるお子さんに育つため、理屈でなく、今身につけるべきことを懸命に鍛え磨き上げることの手助けを第一目標としていきます。
これに沿ったことが、いろいろとお話しされました。
久保田先生の言われることは、皆さんご存じだと思います。
冒頭に、これまでを振り返り、なぜ今のような立場になったかを話されました。
その概要を紹介します。
※ 誤解があるかも知れませんので、久保田先生や主催者には責任はございません。
私は、変わった女の子だった。
子どもを産みたいと思わなかった。子どもなんかどうでもいいと思っていた。
ある時、アメリカの映画で楽しいのがあった。
NHK「1ダースなら安くなる」で、12人の子がおり、子育てをテーマにしていた。
経済的論理に基づいて、水の使い方やブラシを何回やると気に入るかなど、
12人の男女個性を認めて、いい子を育てたドラマだった。
このドラマを見ていて、子育てはおもしろいと思った。
そこで子どもを作ることにした。
私は10何人作ろうと思ったが、男の子2人産んだ。これは、運だ。
絵描きの訓練をしていたので、50歳になったら絵描きになるつもりだった。
逆算すると、30歳までに末子を生まなければならない。
育てるからには、経済学者の映画を見て感銘を受けたので、個性を認めて、前向きに暮らしていくという考え方にあこがれた。
しかし、それをどうやっていくか、精神的には無理があった。
私が封建社会に育ったから。
私をどうやって育ててくれたのか、商売の跡取り娘で、計算づくめ。それが今の私を作った。男のように育てられた。
だから、私は男の子がほしかった。どうやって男の子らしい男の子になるか。
私は、理屈っぽくっていろいろ言う。
赤ちゃんは天才なんだ。普通の子にしたらもったいない。
京都大学霊長類研究所に移ってから、これから赤ちゃんを産む人のために世話焼きおばさんになった
当時、「赤ちゃんの体との脳働き」という本を出した。
実に30年ぐらいまえ。赤ちゃん教育の本だが、育児所の色を変えたベストセラー、ロングセラーになった。
それまでは小児科の医者が書いていた。
おむつはどうこう、朝下痢をしたらどうこう、病気に対する対処の仕方が中心だった。
私の本は、健康な脳の働きをもった赤ちゃん用に書いた。
また、健康じゃない赤ちゃんも、たとえば脳に障害のある赤ちゃんも、時間はかかるけど、同じことをしても効果があることがわかった。
応用できることがわかった。
教室を開いてくれたので、その間、たくさんの子どもを見た。
その間に、自分の親が高齢になる。
赤ちゃんを保育するところから、看護、看病、葬式まで全部経験した。
畑いじりをして、隠居した。
そのときに、旦那が変なことを書き出した。
最近の母親は高学歴なので、頭で子育てをしようとする。
「早く大きなあれ」から、「早く賢くなれ」と言い出した。
これはいけない。
私もいけないと言い出したが、農業では誰も言うことを聴いてくれない。
そこでテレビに出たら、買い物に行けないほど人気がでた。(笑)
写真撮られて、私の計算通りいった
私が言ったことが、今の赤ちゃんに通じる。
この後、いよいよ具体的な内容に入ります。
印象に残ったことのみ紹介します。
長くなったので、次回に・・・・。