日本史事典.comより【豊臣秀吉の家紋の意味】五七桐を日本政府が使っている理由は?徹底解説!!を紹介します。
目次です。
- 1 豊臣秀吉の家紋とは?
- 2 桐紋の意味とは?
- ①豊臣秀吉はどこで神聖な紋章を手にいれたのか?
- ②豊臣秀吉は、さらに桐紋を変更!その名も太閤紋
- 3 桐紋を日本政府が使用している!その理由は?
- ① 天皇家と「五七桐」
- ②明治政府が桐紋を使っているのは秀吉の呪い説もある!
- 4 豊臣秀吉の家紋、そもそもひょうたんじゃなかった?
- 5 家紋から見ることができる「豊臣秀吉の人物像」
- 6 まとめ
言われてみれば、500円玉の裏にも、五七らしき桐が描かれています。
天皇家が使っていたものを、明治政府が使い、今の政府も使っているのです。
秀吉は天皇から賜り、それを家臣にも与えていました。
農民出身という足場のない秀吉にとって、そういった権威の象徴は喉から手が出るほどほしかったのです。
まとめを見てみましょう。
✔ 豊臣秀吉の使用していた家紋は桐紋で、数多くのバリエーションを持っている。
✔ 有名な桐紋は「五三桐」と「五七桐」、そして「太閤紋」である。
✔ 桐紋自体は、元は神聖な植物である桐があしらわれていたことから、もともと神に等しいとされていた天皇家の象徴であった。
✔ 「五三桐」は織田信長から豊臣秀吉に与えられ、「五七桐」は豊臣姓へ改正後に後陽成天皇から賜る。そして「太閤紋」は豊臣秀吉独自のアレンジでつくられる。
✔ 「五七桐」は日本政府でも使用されている。これはもともと桐紋が天皇家の紋章であったこと、民衆のための紋章としての意味を持っているから。
✔ 「五七桐」は、明治政府が「天皇家が使っているから」という理由で使い始める。
✔ 豊臣秀吉の家紋として、千成瓢箪も有名だが、これは馬印である。
✔ 家紋から、豊臣秀吉が目立ちたがり屋な性格であることがわかるが、一方で家臣や周囲との関係づくりに邁進していたこともわかる。
このブログでの関連記事は・・・歴史ポータルサイト
丁寧に歴史を追求した "本格派" 戦国Webマガジン歴史ヒストリー