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近江FWⅢ -13-最終回

2024-11-29 07:25:09 | 取材・旅行

近江FWⅢ -13-最終回

令和6年11月16日、いつものメンバー(積知積徳会)で、観音寺城周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を13回にわたってお知らせしてきました。今回はいよいよ最終回です。

今回の訪問地周辺です。

安土城や近江八幡城、沙沙貴神社ついては 近江FWⅡ をご覧ください。

今回は、太郎坊宮-2-、後藤館跡です。

太郎坊宮のHPです。

https://www.tarobo.sakura.ne.jp/

いよいよ夫婦岩の間を通ります。

巨石の間が、人一人が入る分だけ開いています。

反対側から見た夫婦岩です。

神秘的でもあります。

説明板です。

起こしてみましょう。


太郎坊阿賀神社の夫婦岩
 阿賀神社の鎮座する赤神山(あかがみやま)をはじめ湖東平野に散在する山々は、中生代白亜紀(およそ七千万年前)の火山活動でできたと考えられており「湖東カルデラ」と呼ばれている。これらの山々は「湖東流紋岩(ことうりゅうもんがん)」と呼ばれる岩石で構成されており、湖東平野の特徴的な地形景観を形成している。火成岩は冷えて固まっていくときに収縮し「節理」と呼ばれる規則的な割れが生じる。この夫婦岩は、節理に沿って割れ目が発達したものである。
 昔からこの間を通って参拝する者には、即座に病苦を除き諸願成就するが、悪心ある者は岩に挟まれると言われてきた。節理が平行に見事にずれた形状は、まさしく言い伝えの「大神の神力を以て左右に押し開かれた」霊力を感じさせるものである。


本殿です。

「勝」のお守りを買いました。

祈祷の内容です。

見下ろすと・・・

お百度参詣道を歩きます。

天狗奉納像

役行者(えんのぎょうじゃ)座像。

いくつかの文献では実在の人物とされているが生没年不詳[2]。人物像は後世の伝説も大きく、前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。(Wikipediaより)

心願十倍石

 

軽く回ると心願成就します。

玉石社。修験道では、ご神体の玉石に礼拝していました。古代の信仰様式です。

大黒様?

お百度参詣道

天狗面など、いろいろなものが奉納されています。

阿賀神社の全体像です。

石段の鳥居です。

ここを歩いて登ります。

祈祷殿に戻ってきました。

以和為貴」聖徳太子の「十七条憲法」の第一条です。

かわら投げの場所です。

狛の長者の竈石の説明です。

 社務所・授与所・参集殿

動画です。

太郎坊宮 阿賀神社

【4K】太郎坊宮-阿賀神社☆天狗の山を歩く【御神田】【夫婦岩】【飛び出し坊や】【滋賀県】

太郎坊宮「阿賀神社」一の鳥居から本殿まで歩いて参拝(順路と所要時間)


後藤館跡

さて、この写真覚えていますか?

後藤邸を紹介していただきました。

その後藤邸を訪ねてきました。

その場所は・・・

太郎坊宮から直線距離で南西3.3kmほどです。

拡大してみましょう。

案内表示です。

この地域の散策MAPです。

戦国時代の近江守護・佐々木六角氏の重臣、後藤但馬守賢豊父子の居館跡です。

石垣・土塁・堀の一部が見られ、堅固な構えの中世武家屋敷の面影が想像できます。

後藤氏は主君佐々木義弼に殺害され、佐々木六角の家臣らはこれに抗議し離反します。

世に言う「観音寺騒動」のもととなったといわれています。


動画です。怪しいところはありますが、おおよそのことは分かります。

観音寺騒動

観音寺騒動

これは読みにくい。

起こしてみます。


後藤館跡

当史跡は近江守 佐々木六角氏の重臣後藤氏在地居館跡である。
後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、代々六角氏の家老の位置にあった。十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(西暦1563年)義賢の子義弼に謀殺された。これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣の待望を失い、やがて織田信長に滅ぼされる。
この後藤館跡は、周囲に基底幅約11メートル、高さ約3メートルの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で東西幅、東辺の長さ約百メートル、西辺の長さ約百ニ十メートルの変形の四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存した。
当時の在地領主の節は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋蔵、厠などの建物が存した。
当館跡の建物配置は定かではないが、昭和五十六年の発掘調査で井戸跡、厠(便所)跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北中央道に存したと推定される。
平野部に残る中世の館跡として貴重であるため、所有者後藤正男氏および関係機関の力により保存が実現した。
なお昭和五十八、五十九年度に一部を環境整備し、ここに永く後藤館跡の保護をはかるものである。
昭和五十九年十月


石質は、湖東流紋岩か。

この当時にしては、大きな堀ではないでしょうか。

結構な広さがあります。

どれだけの歴史を見てきたのでしょうか・・・

東近江に城GIRL 第8回 後藤館と雪野山城編

滋賀の城さんぽ 後藤館跡(東近江市)


このシリーズは今回で終了です。

観音寺城、いかがだったでしょうか?

安土城、郡上八幡城とも関連があり、六角氏と京極氏との関係など、まだまだ新しい疑問がわいてきました。

 

企画していただいた木本先生、そして仲間に感謝します。お読みいただき、ありがとうございました。

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