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加藤高明 エピソード、対華21ヶ条の要求

2022-08-10 06:50:33 | 郷土の歴史

加藤高明 エピソード、対華21ヶ条の要求

https://murakumo1868.web.fc2.com/01-modern/0038.html

ほぼノーマルな、中立的な見解でしょう。


加藤も結構好きな政治家のひとりです。
三菱社員、外交官、政党政治家として活躍した加藤は大正13〜14年の総理大臣。
野党第一党から与党になった初めての総理大臣でしたか。そして議会開会中に無くなった唯一の総理大臣でもある。

加藤高明は東大法学部卒業後に、三菱に入社しています。
創業者である岩崎弥太郎に見込まれて娘婿となり、後年には政敵より三菱の大番頭と呼ばれたりしています。
三菱にいる時にロンドンに留学し、そこで陸奥宗光と出会い、その関係から井上馨、伊藤博文、大隈重信といった政府首脳らと知り合い、後引き抜かれてる。(外務官僚)

松方正義が蔵相であった時には大蔵省に引き抜かれ難問解決。
日清戦争が始まると今度は陸奥外相によって外務省に異動。
日清戦中戦後、イギリスでの工作に随分骨を折り、清国よりの賠償金の全額受領をつつがなく行い国家財政の危機を救う等、元老クラスより随分と信頼・重宝されていたようです。

どこに行っても成果を上げられる、マルチタレントな人だったようです。
そんなこんなの縁から伊藤博文に引き抜かれて伊藤内閣の外相を務めていたり、政界に入った当初は随分政友会寄りの政治家でした。
この辺りは加藤の生涯のライバルであった原敬と比較すると面白いですね。

原もまた陸奥・伊藤・井上らと知り会い、主に外務畑で引き立てられた。
明治33年の立憲政友会立ち上げでは、伊藤の懇望により政友会の重いポイントに就く。
加藤は政友会には入党してませんが政友会寄りの政治家で、原を始めとする政友会のメンバーや関係者とは親密・友人という関係でもありました。

西園寺と加藤

そこに亀裂が走ったのが日露戦争後。

西園寺内閣における私鉄国有化問題が原因です。
加藤は国有化に反対して閣僚を辞める。

その後政友会とは疎遠になりますが、それが決定的になったのが桂太郎が立ち上げた立憲同志会への入会。
ライバル党に入ってしまったのですな(笑)

「桂を手伝ってやって欲しい」と言う事で、桂と加藤、両方と仲のいい山本権兵衛が渋るふたりを強引に引き合わせた。
そうしたら山本が吃驚するほどふたりは意気投合してしまったという有名なエピソードがあります。
まあ、その後すぐに桂は亡くなってしまうのですが。
その後加藤は同志会でいきなり重役に就くことになるのですが、ここからが加藤の政党政治家としてのスタートですか。

正道・正論で政党を纏めようとする加藤。
力で政党を纏めようとする原。
政治家としては清濁飲み込む妥協を辞さないリアリスト、原の方が1枚上手かな〜と思うのですが、
政党政治の原則を固くなに守ろうとする加藤も稀有な政治家のように思えます。 

(以下はサイトをご覧ください)


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