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荻生徂徠『論語徴』、韓国で初めて完訳(下)

2011-02-06 07:02:16 | 哲学の窓
昨日に続き、朝鮮日報の記事を紹介します。

荻生徂徠『論語徴』、韓国で初めて完訳(下)

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荻生徂徠は、『論語』を正しく解読するためには、
『論語』よりも古い文献や、『論語』が書かれた時代の文献と
比較しながら読み進めなければならないと主張した。

荻生徂徠は、『論語』二十編を甲から癸までの十編に分け、
ユニークな解釈を加えた。
まず、『論語』の冒頭にある一文、
「学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。 朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。 人知らずして慍(いか)らず、 亦君子ならずや(学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎)」に対する解釈から見てみよう。

荻生徂徠は、「朋」を「友人」ではなく「弟子」、
「人」を「他人」ではなく「上司」と解釈した。

また、『論語』の中核思想である「仁」については、
「愛之理、心之徳」とする朱子の解釈とは異なり、
「人々を安んずること(安民)」と解釈した。

さらに「聖人を手本として、
全く同じ聖人になろうとする欲に陥っているのが朱子の過ち。
聖人とは、学ぶことでなせるものではなく、
手本にできるものでもない」と主張した。


 『論語徴』から1世紀後に完成した『論語古今註』は、
その名の通り、漢・唐、宋・明時代の中国の学者から
伊藤仁斎、太宰春台といった江戸時代の日本の学者による註釈まで、
『論語』に関する重要な解釈を網羅している。

もちろん、荻生徂徠も検討の対象になっている。

句節ごとに異なる学者の『論語』解釈を紹介し、
最後に「補曰」「駁曰」などの形で自分の意見を提示した丁若は、
荻生徂徠ほどユニークではないが、
朱子の『論語』解釈には批判的だ。

丁若もまた、「仁」を抽象的・形而上学的な原理ではなく、
具体的な実践行為(行事)と理解している。

朱子が『論語』を過度に観念化・抽象化している、
というのが丁若の主張だ。


 高麗大の金彦鍾(キム・オンジョン)教授(漢文学)は
「朱子が、仏教や道教が盛んだった宋代に
新儒学を確立するという観点から『論語』を整理したとするなら、
荻生徂徠と丁若は、孔子の本来の意図に近づこうと努力した。

東洋3国を代表する『論語』の註釈書3冊をすべて読めば、
『論語』の真価にさらに近づくことができるだろう」と語った。

金翰秀(キム・ハンス)記者  2011/01/30 02:52:26

http://www.chosunonline.com/news/20110130000002

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中日韓が漢字文化圏であるからこその記事です。

といっても、中国の漢字は簡略化し、韓国では
自分の名前すら漢字で書けない若者が増えていると聞きます。

江戸時代最大の思想家・荻生徂徠とはどんな人なのか、

また後日紹介します。

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