歴史の誤解シリーズ。今回は「服部半蔵」です。
服部半蔵といえば、忍者のイメージが強く、いろいろなフィクションに忍者として登場します。
忍者ハットリくんというアニメもありました。
実際はどうだったのでしょうか?
普通、服部半蔵といえば服部正成(左絵)のことをいいます。
正成は、戦国時代から安土桃山時代の三河の武将です。
松平氏(徳川氏)の譜代家臣、徳川十六神将のひとりで、槍の名人として、数々の戦で家康を支えました。
後に、父親が伊賀出身であったために、伊賀同心を統率する立場になったことで、徳川家に仕える忍者の首領とみられるようになったのです。
ということで、半蔵自身は三河武士で、忍者ではありません。
本能寺の変の折りには、堺に滞在していた家康が、甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し、正成が伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し、彼らに警護させて一行を安全に通行させて、無事岡崎まで帰しました。
これが、伊賀同心、甲賀同心として徳川幕府に仕るきっかけを作りました。
東京地下鉄半蔵門線・半蔵門駅は、半蔵の部下が警備を担当した江戸城の門(写
真右)の名に由来します。
ということで、忍者を束ねていたのが服部半蔵なのです。
服部半蔵といえば、忍者のイメージが強く、いろいろなフィクションに忍者として登場します。
忍者ハットリくんというアニメもありました。
実際はどうだったのでしょうか?
普通、服部半蔵といえば服部正成(左絵)のことをいいます。
正成は、戦国時代から安土桃山時代の三河の武将です。
松平氏(徳川氏)の譜代家臣、徳川十六神将のひとりで、槍の名人として、数々の戦で家康を支えました。
後に、父親が伊賀出身であったために、伊賀同心を統率する立場になったことで、徳川家に仕える忍者の首領とみられるようになったのです。
ということで、半蔵自身は三河武士で、忍者ではありません。
本能寺の変の折りには、堺に滞在していた家康が、甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し、正成が伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し、彼らに警護させて一行を安全に通行させて、無事岡崎まで帰しました。
これが、伊賀同心、甲賀同心として徳川幕府に仕るきっかけを作りました。
東京地下鉄半蔵門線・半蔵門駅は、半蔵の部下が警備を担当した江戸城の門(写
真右)の名に由来します。
ということで、忍者を束ねていたのが服部半蔵なのです。