江南藤まつりでは、江南郷土史研究会「江南市縁の七人の戦国武将コーナー」がありました。
そこでは、7人の武将について紹介したパネルと、次のような説明用紙が配られていました。
最初の説明部分を引用して紹介します。
----------以下引用---------
『江南市縁の七人の戦国武将』
私たちの郷土『江南市』は、昭和29年6月,丹羽郡古知野町・同布袋町・葉栗郡宮田町・同草井村が合併して誕生しました。当初の人口は4万3千7百余人で、現在の人ロの半分以下でした。
この尾北地方では、明治時代より養蚕などが盛んになり、絹織物産業が行われるようになりました。
戦後、化学繊維の時代を迎え、大手繊維工場の進出があったため、地元では、高級力ーテンなど室内装飾織物の生産に転じ、そのデザイン・品質は、現在も全国から高い評価を得ています。
近年は、江南団地の建設や、工場跡地への大型店舗の出店などがあり、人口も10万人を超え、平成16年には50周年を迎えました。そして現在、水と緑と歴史の街として、益々発展をしています。
昭和34年の伊勢湾台風の時、市内吉田家で古文書『武功夜話』が発見され、江南が織田信長、豊臣秀吉を育み、また活躍の舞台であったことがわかってきました。その戦国時代に活躍した江南市出身の七人の戦国武将の足跡を辿り、歴史を振り返って展示いたしました。
----------引用終わり--------
明日以後、7回にわたって、私見を交えてこの七人を紹介していきます。
そこでは、7人の武将について紹介したパネルと、次のような説明用紙が配られていました。
最初の説明部分を引用して紹介します。
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『江南市縁の七人の戦国武将』
私たちの郷土『江南市』は、昭和29年6月,丹羽郡古知野町・同布袋町・葉栗郡宮田町・同草井村が合併して誕生しました。当初の人口は4万3千7百余人で、現在の人ロの半分以下でした。
この尾北地方では、明治時代より養蚕などが盛んになり、絹織物産業が行われるようになりました。
戦後、化学繊維の時代を迎え、大手繊維工場の進出があったため、地元では、高級力ーテンなど室内装飾織物の生産に転じ、そのデザイン・品質は、現在も全国から高い評価を得ています。
近年は、江南団地の建設や、工場跡地への大型店舗の出店などがあり、人口も10万人を超え、平成16年には50周年を迎えました。そして現在、水と緑と歴史の街として、益々発展をしています。
昭和34年の伊勢湾台風の時、市内吉田家で古文書『武功夜話』が発見され、江南が織田信長、豊臣秀吉を育み、また活躍の舞台であったことがわかってきました。その戦国時代に活躍した江南市出身の七人の戦国武将の足跡を辿り、歴史を振り返って展示いたしました。
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明日以後、7回にわたって、私見を交えてこの七人を紹介していきます。