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龍馬は光秀の子孫?

2009-09-05 06:29:50 | 社会科こぼれ話
 「新説!?日本ミステリー」という番組がありました。
 もう終わってしまったのですが、毎回楽しめました。

 ある回の内容です。

▽「幕末のヒーロー 坂本龍馬は明智光秀の子孫だった」を検証する。
 坂本龍馬は1835年に土佐藩の下級武士の家に生まれ、27歳で脱藩した。
 日本初の株式会社を設立し、貿易を主とした実業家として成功を収めただけでなく、薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎と親交が深く、敵対関係にあった二藩の間を取り持って薩長同盟を成立させた。
 その後、龍馬は、大政奉還の直後に襲われ、33歳でこの世を去った。
 そんな龍馬の祖先である坂本家初代の太郎五郎が、明智光秀の血縁であったという驚きの情報が寄せられた。
 そこで早速、太郎五郎の墓があるという高知県に向かった。

 どう思いますか?

 そもそも、歴史はあいまいなものです。

 例えば、あなたが1年前に何時に起きて、何を食べて、何をしたか分かりますか?
 たとえ記録があっても、ごく一部でしょう。その記録すら、意図的に書かれたものかもしれません。

 歴史はそんなものです。

 今回の坂本龍馬は明智光秀の子孫説。
 「光秀の子孫」は言い過ぎかもしれませんが、血縁である可能性は高いと思います。

 坂本龍馬は次の句を残しています。

「世の人は われをなにとも ゆはばいへ わがなすことは われのみぞしる」(京都国立博物館蔵の坂本竜馬筆の書)

 ポイントは「世の人は われをなにとも ゆはばいへ」。

 なぜなら、明智光秀に次の句があるからです。

「心知らぬ人は何とも言わば謂え 身をも惜しまじ名をも惜しまじ」(細川家家譜『永源師檀紀年録』、『明智軍記』)

 龍馬の句は、「心知らぬ人は何とも言わば謂え」を意識してうたったと考えられます。

 もし血縁であるならば、光秀に信長が討たれた京で、逆に龍馬が不意打ちされて殺されましたことは、因果はめぐるのですね。
 歴史はやっぱりおもしろい!

 新説!?日本ミステリー http://www.tv-tokyo.co.jp/shinsetsu/index.html

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