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11月14日の社説はお休みなので・・・

2011-11-14 06:42:14 | 社説を読む
11月14日のは新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。

朝日新聞
・天声人語 
ちゃぶ台返し、と聞いて昭和の人気野球漫画「巨人の星」を思い出す方もおられよう。わが世代には懐かしい主人公・星(ほし)飛雄馬(ひゅうま)の父親の「得意技」とされた。ところが原作にはその場面はないという▼一度だけ、主人公を張り倒したはずみでちゃぶ台が転ぶ。テレビアニメで毎週絵が流れ、「常習犯伝説」になったらしいと、前に同僚が書いていた。さて、漫画はともかく、本物の巨人である。「ちゃぶ台返し」がお家騒動の引き金になったようだ▼球団会長の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏(85)が「鶴の一声」でコーチ人事を覆した、のだという。「一声」には慣れていると思われた身内からの反旗である。渡辺氏は反論の談話を出し、外からは理非は見えにくいが、ごたごたに辟易(へきえき)のファンは多かろう▼しょせんは内輪もめともいえ、世間に訴えた清武英利球団代表には、喝采とともに疑問視する声も飛ぶ。他球団ならここまで話題になるまい。名門に加え、君臨する渡辺氏の個性ゆえである▼大リーグの名門ヤンキースの大スターだったディマジオは言ったそうだ。「(球場で)自分を見るのが最初で最後の人がいる。その人のためにプレーしている」と。テレビのない時代、日々最高のものを見せようと張りつめるプロ魂は気高くさえある▼日本の選手にも同じ魂があろう。そんな選手の一途さにくらべ、澱(よど)んだような内紛劇は見るにつらい。いまや巨人は昭和の栄光から遠い。平成の巨人に「ナベツネ伝説」だけが残るようでは、ファンは寂しい。


読売新聞
・編集手帳
その事件名を聞くたびに思い出すご婦人の顔と一編の詩がある。坂本さちよさん(80)が、1歳2か月で行方不明になった孫の龍彦ちゃんが小学校に上がるだろう日に作った「龍ぼうの入学式」◆腰掛けに座った子供たちの足が一斉にぶらぶら揺れる。でも<龍ぼうの足だけ揺れない>。父親の弁護士・堤さん(事件当時33)も、母親都子(さとこ)さん(同29)も不明。<洋服も上履きも、名前を入れたのは私。ごめんなさい><さびしい一日でした>◆3人は失踪から6年後の1995年、遠く離れた山中で遺体で見つかる。オウム真理教の松本智津夫死刑囚の指示を受けた中川智正被告ら教団幹部の仕業だった。松本、地下鉄両サリンなど一連の事件では189人が起訴され、11人の死刑が確定した◆先日の二十三回忌法要。都子さんの父・大山友之さん(80)は「いつになったら事件を忘れられるのか。早く裁判が終わってほしい」と語った。残る中川被告は18日、遠藤誠一被告は21日に最高裁判決を迎える。16年にわたる長期裁判に終点が見えてきた◆なぜオウムは生まれたのか。社会はまだその答えを見いだせていない。


毎日新聞
・余録:大阪ダブル選挙
大阪で名市長として今も語り継がれているのは、第7代の関一(せきはじめ)だ。都市計画学者として知られ、母校の東京高等商業学校(現一橋大)教授を務めていたが、大阪市助役に迎えられ、1923(大正12)年に市長に就任する▲地下鉄御堂筋線の建設や大阪城天守閣の再建、大阪商科大(現大阪市立大)の開設など多くの功績の中で、最も有名なのが幅6メートルの御堂筋を幅44メートル、長さ4.4キロの巨大幹線道路に拡幅したことだ。「飛行場でも造る気か」という強い反対を押し切っての大事業だった▲25年には市域を拡張して東京市を面積、人口ともに上回る日本一の都市となる。大規模な鉄道網や郊外住宅の発達など斬新な街づくりが行われ、「大(だい)大阪」と呼ばれた。近代で大阪が最も輝いていた時代である▲それから80年以上を経た今日、大阪市長選が告示される。前回選挙で戦後初の民間出身市長となった現職の平松邦夫氏と、「大阪都構想」の実現を目指して府知事からくら替え出馬する橋下徹氏の一騎打ちとなりそうだ▲府と市が長年いがみ合い、地盤沈下が進んで「府市合わせ(不幸せ)」と皮肉られてきた大阪である。27日同時投開票の府知事選と併せ、誰が当選すれば今より良い街になるのか、ダブル選が注目を浴びるのも当然だ▲大阪には、府立中之島図書館や市中央公会堂を民間の寄贈で建てるなど、官に頼らずに都市整備を進めてきた伝統がある。東京への反骨心をバネに経済や文化を発展させてきた歴史もある。そんな誇りを受け継ぐ有権者がどのような判断を下すのか、関もあの世で今回の選挙に並々ならぬ関心を抱いていることだろう。
  

日本経済新聞
・春秋 
ユーロをドルに代わる世界の基軸通貨にしたいですか? 欧州中央銀行の副総裁だったルーカス・パパデモス氏に、そう聞いてみたことがある。「通貨の競争という観点でユーロの役割を考えたことはない」。面白みのない答えだった。

▼ドル安・ユーロ高で、欧州が元気な時期。それでもニコリともせず、教科書に載っているような言葉しか口にしない。記事にしにくい「記者泣かせ」とはこういう人物のことかと、あとで取材テープを聴きながら泣きたい気分になった思い出がある。財政危機のギリシャで、その堅物パパデモス氏が首相になった。

▼かたやイタリアでは、欧州委員会の委員だったマリオ・モンティ氏が登板する。この人も「スーパー・マリオ」と呼ばれた切れ者である。欧州内で不正カルテルを摘発する責任者として、世界の名だたる大企業をバサバサと切り倒し、経済界から恐れられた。飛び火した危機と戦う役回りにふさわしい人選だろう。

▼地中海の風そよぐ南欧の人々といえば、明るく奔放なキャラを思い浮かべがちだが、国外で活躍する南欧の出身者には、冷徹なテクノクラートが多い。場面が変われば、役者の顔ぶれも変わる。回り舞台のように次々と多彩な人材が登場するのは、欧州の奥の深さかもしれない。日本の政界はどうだろう。
 

産経新聞
・産経抄 
 「十五日 江戸で争う 肩車」。七五三の日を詠んだ江戸時代の川柳だ。当時の江戸っ子には、自分の子供を肩車に乗せ自慢し合う親が多かったらしい。特に旧暦11月15日には争うように神社への道を急いだ。読む者のほおが緩んでくるような秀句である。

 ▼今は早めに祝うことが多いが、15日が七五三となった所以(ゆえん)は徳川3代将軍、家光の時代にさかのぼる。家光が41歳でもうけた徳松(後の将軍綱吉)が病弱なため、5歳になった年の11月15日、成長を祈ってお祝いをした。すると不思議なほど丈夫な子供に育った。

 ▼これがきっかけで武家や庶民の家でも、この日に七五三を祝うようになったといわれる。だが、それだけではない。日本には古くから3歳、5歳、7歳の年に、子供たちの成長を祈るさまざまな習慣があった。それが将軍家のお祝いと結びついていったものらしい。

 ▼医療技術も今のように発達しておらず、飢饉(ききん)で食料も十分でないときもあった。子供が一人前に成人するのは大変だった時代に「神からの授かりもの」として、必死に育てようとした。そんな日本の「子育ての歴史」が秘められているのが七五三なのだ。

 ▼だが横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんにとってはこの七五三が悲しい日となった。昭和52年のこの日、手塩にかけて13歳まで育てためぐみさんが新潟の海岸から北朝鮮に拉致されたのだ。日本の美しい行事をあざ笑うかのような蛮行だった。

 ▼そのめぐみさんに関する新たな情報が韓国の週刊誌に報じられた。2005年の平壌市民名簿に、それらしい記載があるのだという。横田さんたちにとっても、七五三を心から祝える日が早くくるよう、願わざるをえない。


中日新聞
・中日春秋
山本周五郎の名作『さぶ』に好きな場面がある。屏風(びょうぶ)やふすまなどを張る経師屋(きょうじや)で働く栄二が、理不尽な罪で島送りになった後、一流の職人を目指してやり直そうとする時のことだ。人足寄場(よせば)の仲間から言葉を掛けられる

▼<生(うま)れつきの能を持っている人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼(め)に見えない力をかしているんだよ>。天賦の才があっても、一人では輝けない。そんな道理をさりげなく教えている

▼少年たちが憧れるプロ野球も同じだ。選手たちを打撃投手やブルペン捕手、スコアラー、トレーナーといった大勢のスタッフが支える

▼現役時代は大成しなかった人もいる。それでも選手が力を出し切れるように縁の下の仕事を黙々とこなす。影の役割に徹する人たちを大事にするチームは強い

▼プロ野球の日本シリーズが始まり、息詰まる投手戦の末、初戦は中日がソフトバンクを下した。テレビ観戦でも野球の面白さを堪能できた。その前日、名門球団で表面化したのは前代未聞の内紛だ

▼最高実力者にもの申す球団幹部の勇気を讃(たた)える声がある一方、「自爆テロ」という冷めた見方もある。シリーズはチームを支えるファンや裏方にとっても晴れの舞台。一球団の内紛騒ぎで水を差されたのは残念でならない。


 

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