小牧FW -3-
2023年12月9日(土)、中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2023年10~12月)「小牧山城と周辺史跡めぐり」へ行ってきました。
その様子を、数回にわたって紹介します。今日はその3回目。
小牧長久手の戦いにおける砦群です。
蟹清水砦を紹介します。
場所は、小牧代官所の西100m。
上のお城マークの左側が蟹清水砦です。
文字起こししてみましょう。
蟹清水砦跡
蟹清水砦は、織田信長による小牧山への築城(小牧越しの際には、信長の武将丹羽長秀の屋敷がおかれたと伝えられる。小牧・長久手の合戦時には、小牧山に陣を敷いた織田信雄・徳川家康連合軍がこの砦を修復し、北外山砦、哥津(うたづ)砦とを結んで小牧山右翼の連砦を成して秀吉方の陣地に対抗し、交番で守備した。
砦の規模は東西四十六間、南北六十一間と伝えられ、昭和二十年代頃までは堀跡、土塁跡なども残っていた。
砦は、江戸時代には小牧御殿の庭園の一角になっていて、清水が湧き、蟹がいたので ょう、蟹清水と呼ばれていた。
その後の開発によって周辺は宅地化され、現在は砦跡を示すものや清水は残っていない。
碑がありました。
段差がありました。大昔の河岸段丘でしょうか?
動画を見てみましょう。
小牧御殿の碑です。
源敬公(徳川義直)手植えの槙
小牧御殿龍神祠之碑です。
文字起こししてみましょう。
昔を今にするよしもないが寛永二年に尾張藩祖徳川義直公(家康の第九子源敬公と稱う)小牧山を望む風光明美なこの地に別邸を営み小牧御殿として度々来遊されたが明治維新後は荒廃し手植の槇のみが名残りを留めていたその名木も昭和二十五年九月台風で倒れこれを嘆かれた徳川義親候は翌年二世の槇を植えられたが源敬公の遺業を慕う下町御殿町内の総意で同三十三年こゝに神祠を建立往時を偲ぶことゝした歳々年々人同じからず今この碑を建て後世への記念とする
動画です。
明日に続きます。
小牧FW -1-
小牧FW -2-
小牧FW -3-
小牧FW -4-
小牧FW -5-最終回
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