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新説が認められるまで

2020-07-06 06:20:03 | 歴史関連情報

戦国・小和田チャンネルより新説が認められるまでを紹介します。

 ここから https://www.youtube.com/watch?v=kDEXlovVNqQ

以前、細川藤孝が養子に入った先は、通説の和泉半国守護細川元常ではなく、管領の細川家とは全く関係のない別系統の細川晴広だということをお話ししました。新しい研究によって、これまでの通説、定説が書き換えられた例です。 しかし、新説が出されても、すぐ新説が受け容れられるわけではありません。新説に対する批判が出て、批判の方が妥当だということになれば、新説は葬り去られます。今回の細川藤孝の例でみると、設楽薫さん、山田康弘さんの研究が出て、そのあと批判、つまりそれを否定する説は出ませんでした。むしろ支持する声があがってきました。約10年かかっています。 実は、私も体験しています。北条早雲(伊勢宗瑞)に関して、私は2つ新説を提起しています。一つは早雲の出自、通説は伊勢の素浪人、それを京都の名族伊勢氏の一族備中伊勢氏の出とする先行研究を受けて、備中伊勢氏説を展開し、認められるのに10年かかりました。もう一つは、早雲の伊豆討ち入り、堀越御所攻めを、従来の延徳3年(1491)説を、明応2年(1493)に訂正する説を出し、これも認められるのにこれも10年かかりました。

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