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復刻 関ヶ原の戦い-なぜ徳川の時代に?-6-

2014-11-26 05:46:58 | 社会科こぼれ話
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に併せて、以前の関ヶ原シリーズを復刻・改訂しています。

11月23日放送の終盤でいよいよ三成が動きました。

ここで、西軍は、会津へ出かけた諸大名の妻子を人質に取る作戦をとりますが…。

 ⑧ 細川ガラシャ事件

 明智 珠は明智光秀を父にもつ、いわゆる逆臣の娘。
 夫・細川忠興は、幽閉しながらも大切にしていました。

 大阪に戻った珠は入信し、夫に内緒で洗礼を受けます。そこで秀吉が出したのがバテレン追放令。忠興は改宗した次女を追い出します。夫に言うべきか、黙っているべきか…。

 そこで三成の人質作戦。珠は、愛する夫・忠興の足手まといになるのを避けるために、死を選びます。

 自殺を禁じているキリスト教徒として、家臣に我が身を槍でつかせ、屋敷に火をつけさせるのです。

 父の謀反、洗礼と追放、人質と、時代の波に翻弄されながらも強く生きた悲劇のヒロインとして、いつまでも語り継がれる事でしょう。 

  
 ⑨ 小山評定

 7月17日に挙兵宣言をした西軍は、19日に伏見城を攻めます。

 関ヶ原の実質的な開戦です。

 守るは徳川家の重臣「鳥居元忠」。三河武士の代表的存在の鳥居元忠も、20倍以上の相手軍に奮闘むなしく戦死します。

 その報が伝わった家康は、小山で軍議を開きます。ドラマではよく名場面になるこの小山評定。家康の「進退は自由」と言う言葉にも、真田昌幸以外は家康についていく事を約束します。

 ここが家康の人心掌握の上手いところ。秀次事件以後、豊臣家臣の多くの心を惹きつけたことが形にでます。
 会津遠征軍が、そのまま東軍に転じた瞬間です。

 小山評定は、家康の人定めの場でしたが、家康自身が定められた場でもあったのです。

 この後、細川ガラシャの死の話に涙し、勝利のための結束を固めていきます。

 西軍とは、明らかにモチベーションが違うのです。

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