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哲学入門89 幸徳秋水 大逆事件

2019-04-21 05:10:23 | 哲学の窓
白坂慎太郎先生の哲学入門

第89回、 幸徳秋水 大逆事件です。


 ここから https://www.youtube.com/watch?v=5WRvDIxfVNg 

デジタル大辞泉の解説を見てみましょう。

【大逆事件】

明治43年(1910)多数の社会主義者・無政府主義者が明治天皇の暗殺計画容疑で検挙された事件。大逆罪の名のもとに24名に死刑が宣告され、翌年1月、幸徳秋水ら12名が処刑された。幸徳事件。


【幸徳秋水】

[1871~1911]社会主義者。高知の生まれ。名は伝次郎。中江兆民の門下。明治34年(1901)社会民主党を結成、即日禁止される。日露戦争に反対し、堺利彦と「平民新聞」を創刊。のち、渡米。帰国後アナーキズムを主張。大逆事件で検挙、主犯として死刑になった。著「廿世紀之怪物帝国主義」「社会主義神髄」など。


日清・日露戦争以降、日本でも産業革命が進み、労働問題が生じ、社会主義運動が始まりました。

「自由」か「平等」かということです。

幸徳秋水は


「自由」であればあるほど、経済格差は広がります。

幸徳秋水は、結果としての「平等」を求めたのです。
日露戦争に際しては、非戦論の立場を明確にしています。
戦争の原因を冷静に把握し、「列強による経済競争」としています。

内村鑑三はキリスト教の立場から反対しましたが、幸徳秋水は社会主義の立場から反対したのです。

当時としては少数派でしたが、多数である政府や一般大衆に訴えました。

日露戦争後に


無政府主義とは、


共同生活のためには、100%の自由はありません。
政府が、その一部を制限することで、社会は成り立つのです。

しかし、無政府主義では、政府そのものを否定します。

日露戦争後には、社会主義運動への弾圧が始まります。
これは、作用・反作用です。

ここで大逆事件が起こります。


幸徳秋水は無関係であったのですが、政府としては口実にしたかったのでしょう。

天皇批判や社会主義という言葉が禁句になりました。

これにより、言論そのものが封じられていったのです。

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