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文部科学大臣はこんな人

2012-12-27 06:26:39 | 教育関連情報
文部大臣に下村博文(はくぶん)氏が就任しました。

ブログより引用します。
http://hakubun.jp/profile/

昭和29年5月23日群馬県生まれ(58歳) 昭和54年早稲田大学教育学部卒業
平成元年から2期 東京都議会議員
平成8年から衆議院議員 (東京第11区 板橋区)現在、6期目


9歳の時 父親が亡くなって

「・・・父はオートバイのハンドルを取られて道路脇の川に転落してしまった。即死だった。交通戦争などという言葉がまだない時代だったが、私は幼くして交通遺児になった。」

「残された家族の生活は苦しかった。私は三人兄弟、弟は五歳と一歳。母の辛い思いは、今考えるとどれほどのものだったろうか。」

「経済的に苦しかったので生活保護を受けたらどうかという助言を受けたことが再三あったようだが、自分が働けるうちは人の助けを借りないでやって行こうというのが母の気持ちだったようだ。私は母が寝ている姿を見たことがなかった。」

「貧困の中で思った
「教育は権利だ…」
 父親を亡くした生活は、確かに辛かった。小遣いなどほとんどない私は本も買えなかった。しかし、逆にそれは本をむさぽり読むきっかけになった」

「「公立ならなんとかお金を出せる。でも高校まで」と言った。
 ところがここで私は交通遺児育英会と出会う。」

家庭教師で、
「教育は深い。面白い。子供はやる気にさせたら成蹟もどんどん上がり、人間的にも強くなって行く。逆に成績がだめというだけで、本人は自信を失い、マイナス面ばかりが出て来る」

「私は大学四年生になると友人らに呼びかけて塾を開いた。・・・・
学習塾というよりは、人間形成塾と言った方が適切だったかもしれない」

「塾経営は私の中で、そんなどこか青臭さがある単なる青春時代の思い出には止まらなかった。数多くの子供たちと接しながら、私には日本の教育問題の病根が見え始め、様々な疑問を持つようになった。これが私の教育改革論の基礎になって行ったのである。
 まず、問題児を生み出し、彼らの行き場がないという公教育の現状。」

「卒業したあとも塾経営を続けた。そして、こうした考え方の元で私塾同士や地域とのネットワークを作りながら、民間というフィールドに新しい教育の形を実現しようとした。人間教育を主眼にした教育である。
いつしか「教育」が私のライフワークになっていた。」

まだまだ続きます。


読み応えがあります。


本人の公式webからの引用です。
 http://hakubun.cocolog-nifty.com/about.html

自己紹介文
衆議院議員
現在 自由民主党政務調査会副会長

略歴
■衆議院
議員運営委員会 /自民党国会対策副委員長/法務委員長

■内閣
内閣官房副長官

■省庁
文部科学大臣政務官
法務大臣政務官

■自由民主党
副幹事長 / 広報局次長 / 新聞局次長

■部会
文部科学部会副部会長 / 法務部会部会長代理

■その他
あしなが育英会副会長


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