私は福島県の安積高校に入学したが、一年生最後のHR(ホームルーム)の時間に映画を見る事になった。私は青春時代を生きる者に相応しい映画を見られると期待していた。
ところが、クラス委員長のK村と担任教師K井が結託し、委員長はクラスメイトのアンケートの決も採らずに勝手に「怖い映画が見たい」、担任教師「そうか」と言って勝手にホラー映画の類を見せられる事になってしまった。
その映画を見て、愕然とした。昭和の最後、平成の初めの頃で、現在ならばCG(コンピュータグラフィックス)の凝った映画だったんだろうが、その時代の最悪の映画を見せられた。
生き物をこれでもかと言うほど痛めつける残忍、残酷な映画で、私も最初はどんな映画かと見ていたが、大きな亀の甲羅を生きたまま剥がすような様を見ていたら、気持ちが悪くなって思わず顔を伏せてしまい、見ないように努力した。
クラスメイトの誰かが、○○君(私)はとうとう見ていられず顔隠しちゃったよ、という声を聞きながら、私は悪夢だと思った。
クラスの皆は男子校という事もあって、蛮勇を振い、かっこつけて見続けている者も多かったが、何人かの生徒たちは私と同じように顔を伏せている者も散見された。
後に薬学部に進学した(らしい)I君などは、「やめてくれえ、やめてくれえ」と声にならぬ声を上げて苦悶し、やはり伏せていた。
終わった後に、私は敢えて知ってはいたが、誰があんなビデオを借りたんだ、と声を大にして訴えた。皆は、k村委員長だ、と言ったが、私は「この責任を委員長は取ってくれよ」と言った。そこへ委員長はニタっと笑いながら鞄を取り教室を出て帰ってしまった。
私は青春時代を生きる者として、何かもっとそれに相応しい映画があったのではないかとその時ずっと考えた。恋愛映画でも宗教映画でも、アニメ映画でも、何でもいいものがあったはずだ。何でよりによってホラー、それも動物虐待映画なんかを選んだのか。
今の時代は、動物愛護法や暴力が取り締まられた良い世の中だが、あの昭和の頃はあんな悪にまみれた悪い時代であった。ホラー映画の宣伝が日常の夕方のテレビで放映され、子供が泣き出して困る、という保護者の訴えが新聞の「声」欄に載るほどであった。
長崎県佐世保市の女子高生が同級生を殺害し、解剖してしまったり、名古屋の進学校から東北大に進学した女子大生が宗教がらみで知り合った老年女性を薬で殺害するなど、ここに挙げたのは女子が多いが、皆、比較的頭のいいと言われる学校で起こっている。
その時期に、宮崎幼女誘拐惨殺事件というのも起こった。容疑者は大量のビデオの所持者で、やはり残酷映画や幼女アニメ等々の倒錯した世界の影響下にある異常者だった。
その後、その委員長がどんな人生を歩んだのか、医者になったのか犯罪者になったのか知らぬが、余りいい人生ではないだろうと断言する。あの時の担任教師と委員長には、未だに恨みがある。それを許した担任には、百番以内の成績のいい委員長に成績だけで評価し、頭が上がらず、人間性を育てられなかった偏差値人間教師として、当時から軽蔑していた。
そんな教師とも高校二年になればオサラバ出来るとその年の春は喜んでいたのに、二年生になって悲劇が訪れた。
何と、高校二年もその同じ教師が私の担任となった。
その後、私は進路も危うくなるほど迷い、学校を転校するまでになる。
あの怪奇残酷映画に人生を狂わせられたのだ、と今になり思う。
宗教映画なら、私は今は宗教が違うので見たくはないが、キリスト教の「十戒」「ベンハー」や「親鸞」「日蓮」日蓮は身延派の制作で見るに値しないが、まだまし。何なら戸田先生が主人公の「人間革命」でもまだ良かったかも知れぬ。
そんなホラーだか何だかの恐怖の類じゃなく、若さに溢れた素晴らしい映画を観たかった。
青春時代には、それに相応しい、もっとその時代の若者の精神を養う、見るべきものがあるはずだ。