日記

音楽教室のことや、その日に起きた出来事をご紹介します。

カワイコンサート2006 ミハイル・ナミロフスキー ピアノリサイタル

2006-06-06 23:27:40 | Weblog
午後7時開演。
チラシの写真で(頭ひらべったい人だなぁ。。。)と思っていたけど、
一番後ろの席に座ったので、顔や頭の形は見えなかった。

前半
ピアノ・ソナタ第6番  ベートーヴェン
初期の作品なのに、まるでロマン派の音楽みたいに聴こえた。
けっこうテンポも揺らしていて、人によってはここまで表現・解釈が違うのか
っていう衝撃を受けた。すごくレガートが流麗なんだけど、個人的には
ベートーヴェンはもっとカッチリ弾いて欲しかった。
とても強く集中する人なのか、どんどん顔が鍵盤に近づいていく。
きっと鍵盤の上をアリがお散歩してたんですね。それを目で追っていたとか?
姿勢が金さん銀さんみたいだった。
それから、鍵盤は多分高温の鉄板でてきていたらしく、そんなに手をパタパタ
あげる必要はあるのかな?と思った。きっと火傷しそうに鍵盤が熱かったんですね。
やっぱりじっとして和音を弾いて欲しい時がある。そこに余計なジェスチャーが
入ってしまうと、動きに目を奪われて音に集中できなくなる。

交響的練習曲  シューマン
こちらは正真正銘ロマン派の曲なので、ベートーヴェンよりは良かった。
テクニックがかなりある人で、細かい所までよく技法が行き届いていた。
ダイナミックな部分、叙情的な部分など、ちゃんと出ているんだけど、
いまいち音色に色彩を感じられなかった。一本調子に聴こえてしまって、
(まだかなぁ。。。)と思い始めた頃、前のほうにお座りになっていた
某先生がこっくりこっくりを始められました。

今回は珍しく、酷評になってしまいました。。。。。
私は、例えばバッハを弾くとき、そしてモーツァルトを弾くとき、
その時代の様式に合った弾き方をすれば良いのか、それとも最新の楽器で
現代の技法をもって演奏すれば良いのか、折に触れて考える。
だって、バッハの時代とは楽器の構造も鍵盤の数も全然違う。
今日、彼の演奏を聴きながらグレン・グールドを思い出した。
異端と呼ばれて、時には強烈な個性が評価を悪くしてしまう場合があった。
それでも根強いファンは今尚たくさんいて、現に私も真似はしたくないけど、
憧れる部分はある。
結局、音楽は「正・誤」で判断できないものだと思う。
人それぞれ解釈は違うし、違うからといってふざけているわけでもない。
何を心地よさの基準とするか、どこを目指しているのかが違えば、当然
音楽の解釈なんてたくさん出てくる。
それに「どちらがいいですか?」って、バッハに訊ねることはできないわけだし。

今日の演奏者はまだ23歳で、異国の地で過密スケジュールで演奏をしている。
それだけ考えれば、並大抵のことではない。
これから伸びていくであろう演奏家の孤独な戦いを、私たち聴衆は温かく
見守っていくべき@いgjmvgh。。。。なんてまとめたらいいか
分かんなくなっちゃったよ~~~。
えらそうでゴメンナサイ!!!集中が切れてしまいました
これはあくまでも私個人の感想で、とっても主観的な文章です。
不快に思った方はごめんなさい。

休憩後は、同じテルサのリハーサル室で合唱練習があったので、残念ながら
そっちに行きました。後半聴かれた方、ぜひ感想教えて下さいね!!!

                         

明日は、サクランボのお手伝いで朝が早いんですよ
まだまだだけど、収穫の時期になると、小屋で箱詰めを手伝うよ。
それで、去年はお客さん(子ども)に、ミスサクランボだってウソついた。
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