人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉文学館

2015-10-28 19:54:46 | 日記
10月28日。ちょうど今、鎌倉文学館で「鎌倉文士 前夜とその時代」という企画展をやってましたので行ってみました。鎌倉ペンクラブ、「文學界」、鎌倉アカデミア‥等。その中に正岡子規が夏目漱石に送った手紙が展示されていました。子規の筆跡も素晴らしいのですが、その文章も独特で、ちょっと触りを紹介します。
  ずるいこともずるいが 忙しいことも忙しいので ご無沙汰候
  苦しいことも苦しいが 忙しいことも忙しいので 筆はなさず候
  胃が悪いことも悪いが 忙しいことも忙しいので 大食も致し候
  ・・・(後略)
何か子規の人柄が滲み出ており、心が温かくなりました。
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ちょっと寄り道 -- 鎌倉と鰹 ーー

2015-10-28 17:19:58 | 日記
鎌倉とカツオというと、え!なにと思われるかもしれません。吉田兼好の徒然草第百十九段に鎌倉のカツオを書いたくだりがあります。
『鎌倉の海に、かつをといふ魚は、かの境ひには、そうなきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年よりの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。』
徒然草は1330年ころに書かれていますが、兼好も金沢(横浜市)に滞在した記録がありますので、その時見聞したことを書いたものようです。
そして江戸時代になると、鎌倉のカツオは人気商品であり、山口素堂の『目には青葉山ほととぎすはつ松魚(がつお)』や、松尾芭蕉の『鎌倉を生きて出でけむ初鰹』などの句でも知られています。また山本一力の「いすゞ鳴る」という伊勢神宮詣での御師の事を書いた小説にも
、鎌倉から江戸に初鰹を運ぶ八丁櫓船のことがでています。
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報国寺と浄妙寺

2015-10-27 20:35:21 | 日記
報国寺と浄妙寺
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鎌倉 杉本寺を訪ねて

2015-10-27 14:34:31 | 日記
二階堂に坂東三十三観音霊場の第一番札所杉本寺があります。金沢街道より急な石段を登り、杉木立のなかの何枚も千社札が貼られた茅葺の本堂の前に立つと、観光の対象というより観音信仰の霊場にきたという思いを強くします。天台宗のお寺らしく堂内の様子はどこか湖東三山のお寺に似ており、鎌倉にはあまりないお寺です。三体(うち二体は国重文)の十一面観音立像はお堂の奥に置かれており、暗くそのお顔を直に覗うことはできませんでしたが、平安時代末から鎌倉時代に造られたもののようです。いくつかの仏像の中で興味を持ったのは「三十三応化身立像」でした。観音様が姿を変じ救いの手を差し伸べるといった信仰によるもので、奈良や京都のお寺でも見たことがなく珍しく感じました。
寺の縁起を見ると、光明皇后発願、開山は行基になっています。観音信仰の霊場に相応しい歴史が必要だったのでしょうが、実際は杉本城との関係が深く、この地に三浦一族の出城があり、その一部にあったという説が正しいような気がします。太平記にも1337年に奥州から後醍醐天皇のもとに馳せ参じる北畠顕家が杉本城を攻めたとありますが、その時斯波家長ら300余人戦死したようです。まあ史実はどうあれ寺の価値を損ねるものではないでしょうから、ありがたく合掌して杉本寺を後にしました。
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ちょっと寄り道 -- 鎌倉と万葉集 --

2015-10-26 20:17:05 | 日記
ちょっと寄り道 -- 鎌倉と万葉集 --
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