人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

葛飾柴又の帝釈天を訪ねる

2023-10-14 10:48:21 | 日記

最近、どういう思いからか、文庫本になった和辻哲郎の『古寺巡礼』を読み直しています。和辻哲郎がこの本を書いたのは1919年5月。本が世に出てからなんと100年以上が経っています。それにしても、今読んでも内容が新鮮なのに驚いています。対象が普遍的な美をもつ仏像だからかもしれません。天平時代に造られたものなら、1000年以上も経っているわけで、100年なんて期間はほんのわずか。そう考えると当たり前かもしれません。さて今日のテーマは、この『古寺巡礼』のことではありません。書こうとしている文章がたぶん「妄想」によります。和辻哲郎もこの『古寺巡礼』のなかで、空想という言葉を使っています。空想は『広辞苑』では「現実にはあり得るはずのないことをいろいろと思いめぐらすこと」とあり、妄想は「(仏)みだらおもい。正しくない想念」とあります。「莫妄想」という言葉がありますが、そういう考えをしてはならないという戒めですね。

前置きはともかく本題に入りましょう。鎌倉の宝戒寺に行きますと、本尊の地蔵菩薩坐像の脇侍である帝釈天と梵天を拝観することができます。ともに、もともとインドの神様なので、帝釈天はシャクラ神(sakura.)でサクラ神という学者もいます。讃歌集『リグ・ヴェータ』で最高神とされ、部下には持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)が控えます。一方梵天はブラフマー神(brahma)と言われ、宇宙の創造者とされています。この二人の神様、仏教では護法神とされ、私は上下関係があるわけでないと考えています。

ここからが妄想の世界。帝釈天=サクラとなると連想されるのは映画「フーテンの寅さん」。渥美清演ずる寅さんの妹はサクラと言います。サクラの名は桜の花から名づけられたと思いますが、私は、葛飾柴又の「帝釈天」を想起してしまいました。名文句「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯につかり、人よんでフーテンの寅と申し上げます」。フーテンというのは漢字では風天と書くようですが、天部の仲間なのでしょうか。どうも寅さんは帝釈天の化身かもしれない妹のさくらの手のうえで踊らされているという設定かと妄想してしまいました。さらに言えば、この寅さんは『華厳経』の善財童子にも見えてきます。善財童子は、悟りを求め、文殊菩薩の勧めで55か所、53人の善知識を訪ねる求道の旅に出かけます。映画で各回登場するマドンナが善知識で、寅さんはマドンナに失恋するごとに成長していくというシリーズとは考えられないでしょうか。残念ながら映画は48作で終わってしまいましたが、渥美清さんが健在なら53作まで作られたかもしれません。

実は先日、寅さんの生まれ故郷の葛飾柴又を訪ね、帝釈天をお詣りしたあと、1作から4作までの撮影が行われた「とらや」さんで草団子をいただいてきました。まあここまでくると、私の妄想癖も重病ですね。「莫妄想」の戒めを念ずる必要がありそうです。

 

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