人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

最近読んだ本 『隠された聖徳太子』ほか

2024-12-30 14:07:36 | 日記

『隠された聖徳太子』(ちくま新書)はオリオン・クラウタウという東北大学教授が書いた本です。想像するに梅原 猛氏の『隠された十字架ー法隆寺論ー』を意識してつけたタイトルかと思います。『隠された十字架』(昭和47年発行)は50年以上前に発行され、聖徳太子を扱った異質な内容から当時かなりの話題となりました。その切り口が斬新なので、すっかり梅原ファンになり、『神々の流竄』など何冊も読んだ懐かしい記憶がよみがえりました。

さて『隠された聖徳太子』は、オカルト文化の視点から聖徳太子を捉えたものですが、その内容には詳しく触れませんが、興味ある方は一度チャレンジしてください。筆者がこの本を読んで興味を持った箇所は、渡来人である秦氏が聖徳太子のために創建したと伝わる京都にある広隆寺について書かれたところです。広隆寺は国宝の弥勒菩薩半跏思惟像があることで有名で秦氏の住んでいた太秦にあるお寺です。たぶん皆さんも一度は訪ねたことがあると思います。そして広隆寺のそばの大酒(避)神社の名前の由来がネストル派キリスト教(景教)の「ダビテの礼拝所」であり、木島(このしま)神社にある三角鳥居はキリスト教の三位一体を示していること、大秦は古代中国ではローマ帝国の呼称、唐代の景教の教会を大秦寺といったことなどの諸説が紹介されています。

また別にインターネットで検索すると、この大酒神社の祭神は秦始皇帝、弓月王、秦酒公。弓月王のいた弓月国は、中央アジアのカザフスタンと中国の国境付近にあった国で、起源70年に滅亡したイスラエルの人々の一部や、BC722年に滅んだ北イスラエルの人々の一部がつくった国と言われています。また弓月君は応神天皇の時代に百済から渡来したと日本書紀に書かれています。さらに秦氏が創建した伏見稲荷大社は、もともと伊奈利(いなり)と書き、ラテン語の「INRI」??。『ユダヤ人の王、ナザレのイエス』(イエス・キリストの磔刑の時の罪状)ではなかったかという説を語る人もいます。ここまでくると妄想でしょうが、興味深い説ではあります。

もう一冊は『アマテラスの暗号 上・下』(伊勢谷 武著 宝島文庫)です。この本も切り口は違いますが、古代にユダヤ人が渡来したという説で物語が展開しています。著者はゴールドマンサックスに勤務したことのある方なので、「この小説における神名、神社、祭祀、宝物、文献、伝承、遺物、遺跡に関する記述は、すべて事実にもとづいている」と書かれ、歴史や旧跡などのガイドブックとしても面白く読ませていただきました。

ここからは筆者の妄想ですが、聖徳太子の思想が景教(キリスト教の一派で一神教)の影響を受けているとすれば、聖徳太子から信仰の啓示を受けた親鸞聖人の浄土真宗の「一心に南無阿弥陀仏の名号を唱えれば往生できる」という教えは、多分にキリスト教などの一神教的であり、なるほどと思いました。

巻頭写真の雲は、空に浮ぶ「スノーマン」に見えませんか?なにごとも信ずるものは救われます。

 

 

 

 

 

 

 

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