江ノ電極楽寺駅を降り、成就院に行く途中の三叉路の右側に上杉憲方(のりかた)の墓と記された石柱があります。極楽寺や成就院のアジサイ目当ての方が殆どで、この石柱の奥に国指定史跡伝上杉憲方墓あることには気づきません。アパート横の人一人が通れるくらいの道を進みますと少し開けた場所にでます。その場所に幾つかの石塔があります。まずは国指定史跡の案内板をご覧ください。書き写しました。
この場所はかつて西方寺と呼ばれる寺院の一角であった。極楽寺切通の出入口付近の斜面を人工的に削り、方形に造り出した空間に石塔が建ち並んでいる。上杉憲方の墓と伝えられる安山岩製七重層塔1基を中心に、その妻の墓塔と伝えられる凝灰岩製層塔1基と、凝灰岩製五輪塔4基、その他五輪塔の残欠が散在する。 七重層塔の現存高は290㎝で、相輪の頂部を欠いているが、全体的な残存状況は良好である。塔身に浮き彫りされた金剛界四仏の様相や、均整の取れた塔全体の形から、13世紀前半頃のものと推定される。 上杉憲方(1335-94)は山内上杉氏の祖であり、武蔵国・安房国などの守護や鎌倉公方を補佐した関東管領を務めた。山ノ内に所在する明月院の開基としても知られる。この七重層塔を上杉憲方の墓とするには年代が合わないが、彼の墓が極楽寺にあると伝えられ、また、この付近に永和5年(1379)銘の彼の逆修塔(生前供養のための塔)も存在することから、この地が彼の墓所であるとの伝承が残されている。
史跡の説明文としては良くできた文章です。信じるかどうかはあなた次第。それよりも800年前位の石塔が目の前にあることに驚きます。そして安山岩製は姿を留め、凝灰岩製は風雨によって削られ原型を留めていない様子をみると、なんとも儚さを感じないではいられません。
また西方寺は「極楽寺絵図」にも載っていますが、『鎌倉廃寺事典』をみても詳しいことは分かりません。成就院のアジサイもお薦めですが、ぜひこの石塔の数々をご覧になってはいかがでしょう。