人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --伝上杉憲方の墓--

2022-06-26 09:18:27 | 日記

江ノ電極楽寺駅を降り、成就院に行く途中の三叉路の右側に上杉憲方(のりかた)の墓と記された石柱があります。極楽寺や成就院のアジサイ目当ての方が殆どで、この石柱の奥に国指定史跡伝上杉憲方墓あることには気づきません。アパート横の人一人が通れるくらいの道を進みますと少し開けた場所にでます。その場所に幾つかの石塔があります。まずは国指定史跡の案内板をご覧ください。書き写しました。

 この場所はかつて西方寺と呼ばれる寺院の一角であった。極楽寺切通の出入口付近の斜面を人工的に削り、方形に造り出した空間に石塔が建ち並んでいる。上杉憲方の墓と伝えられる安山岩製七重層塔1基を中心に、その妻の墓塔と伝えられる凝灰岩製層塔1基と、凝灰岩製五輪塔4基、その他五輪塔の残欠が散在する。 七重層塔の現存高は290㎝で、相輪の頂部を欠いているが、全体的な残存状況は良好である。塔身に浮き彫りされた金剛界四仏の様相や、均整の取れた塔全体の形から、13世紀前半頃のものと推定される。 上杉憲方(1335-94)は山内上杉氏の祖であり、武蔵国・安房国などの守護や鎌倉公方を補佐した関東管領を務めた。山ノ内に所在する明月院の開基としても知られる。この七重層塔を上杉憲方の墓とするには年代が合わないが、彼の墓が極楽寺にあると伝えられ、また、この付近に永和5年(1379)銘の彼の逆修塔(生前供養のための塔)も存在することから、この地が彼の墓所であるとの伝承が残されている。

史跡の説明文としては良くできた文章です。信じるかどうかはあなた次第。それよりも800年前位の石塔が目の前にあることに驚きます。そして安山岩製は姿を留め、凝灰岩製は風雨によって削られ原型を留めていない様子をみると、なんとも儚さを感じないではいられません。

また西方寺は「極楽寺絵図」にも載っていますが、『鎌倉廃寺事典』をみても詳しいことは分かりません。成就院のアジサイもお薦めですが、ぜひこの石塔の数々をご覧になってはいかがでしょう。

 

 

 

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鎌倉を知る --長谷寺のアジサイ--

2022-06-26 07:36:32 | 日記

梅雨というのに真夏の天気。今日6月25日(土)に久々に長谷寺のアジサイ路を登りました。9時前に入山し、整理券を受け取ったのですが、既に70分待ち。大変な賑わいです。7時半から受付けているのですから、かなり出遅れました。今月一杯でアジサイは終わりですから、6月最後の週末なので参拝客の皆さんも気合が入っていました。経蔵を下に見る定番の撮影スポットから写しましたが、以前写したものと比べると少し花の数が少ないようでした。

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鎌倉を知る --妙本寺と竹御所-

2022-06-05 19:26:28 | 日記

最近、杉本苑子の本『竹ノ御所鞠子』(中公文庫)を読みました。とは言っても誰のことか分からないと思いますので、少し解説します。源頼朝の嫡男頼家には数人の子がいました。一幡、公暁、栄実(千手丸)、禅暁、竹御所らです。一幡は比企氏の乱で、公暁は実朝暗殺の後、栄実・禅暁も僧籍になったにも関わらず殺され、残されたのは竹御所だけになりました。北条氏は源頼朝の血をひく竹御所を公家将軍である藤原頼経に嫁がせ、その権威を利用し、鎌倉幕府の安泰を図ろうとしたわけです。

頼経と竹御所は16歳違いで母子のような年齢です。それを画策したのは政子、義時ら北条氏の面々。この話を作家がほっておく筈はなく、冒頭の杉本苑子、葉室麟も『実朝の首』(角川文庫)で取り上げています。二人とも竹御所への想いはそれぞれですが、杉本苑子は女性の立場で書いていますので、時代の流れに翻弄された一人の女性として捉えています。冒頭の本の解説には次のように書かれています。

著者は、『杉本苑子全集18 竹ノ御所鞠子/汚名』の「あとがき」の中で、「でも、それでも、ほんのわずかな史実を通して、源頼朝も嫡孫にうまれながら--いえ、そのような立場に生まれたたがゆえに、鞠子の肩に負わされた業苦の重みがどれほどのものだったか、私たち同性には痛いくらいわかるのです。/理不尽な、抗しがたい暴慢な圧力・・・。それは形こそ違え、現代社会にも存在しています」「短い一生の間に竹ノ御所鞠子が体験した喜びや悲しみも、けっして非現実的な昔ばなしではないのだと思い思い、私はこの小説を書きました」

やはり歴史は面白いですね。歴史の中に登場する人物への妄想はますます広がるばかりです。写真は鎌倉の妙本寺にある源よし子(「よし」は女へんに美しい)の墓です。

 

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