久しぶりに月刊誌『花園』より柳 幹康さんのコラム「白隠の言葉を読む」から四種の立場という言葉です。四種の立場とは、一 外道・二 声聞・三 縁覚・四 菩薩を言います。これまでも聞いたことがありますが、その意味をよく知りません。まず柳さんの解説から。
先ず「外道」です。非仏教者を指しますが、輪廻からの解脱を求めない者、このままで良いとして仏教修業を行わない者を言います。
次は「声聞」。仏教の小乗の徒。白隠は「声聞とはいかなる連か。苦しみ原因である欲望を滅ぼすことで悟ろうとする者である。・・・。永遠の生まれ変わりのなかで苦労するが、ついぞ真理を見る力を得ることができない。これを空しく人生を送る人と言う。」と言っています。
第三は「縁覚」。これも仏教の小乗の徒。白隠は「縁覚は一度見性はするものの、真理に偏執するため進むことができない今時の断滅空見の輩。」と言っています。
最後は「菩薩」。仏教の大乗の徒。白隠はまた「完璧な菩薩は小乗とは異なる。無数の辛苦を食らいつくして究極の真理に至り、しかもそこに安住しない者。」と言っています。
もう少し分かりやすく整理しますと、なんら修業を行なわないのであれば外道。修業を行うが見性を得ないのであれば声聞。見性を得て満足してしまうのであれば縁覚。見性を得た後に法施という衆生救済の道に邁進するのであれが菩薩と言います。さて今の私はこの「四種の立場」のどの位置にいますか。外道ではちょっと寂しいので声聞でしょうか。とても大乗の徒である菩薩にはなれませんね・・・。
さて写真は夕暮れの富士山です。富士山にかかる雲が不思議に噴煙に見えました。