巻頭の写真ですが、実は2年前(2020年11月29日)のブログにも同じ年表を載せました。あれから2年経ち、日本を取り巻く世界は、そしてこの国はどう変わったのでしょうか。たまたまブログを書いている今日は安倍元総理の国葬の日です。一番の変化は、今年の2月にロシアがウクライナに侵攻したことでしょうか。そして直ぐにでも終息すると考えたコロナ禍は既に第7波まできており、さらに第8波が心配される始末。また東京オリンピックは1年延期されて無観客で2021年7月に開催され、総理大臣もだれも予想していなかった岸田文雄氏に交代しました。最近の2年間だけでもこれだけ目まぐるしく変化しているのですから、これから先のことは全く予想できません。老い先の短い私はともかく、子や孫が無事に生涯を全うできるように祈るばかりです。終戦後77年間たった今、これまでの我が人生を振り返りますと、この国に生まれて戦争に巻き込まれれることなく、70年間生きてこられたのは、日中戦争から太平洋戦争で犠牲になった方々がいたお蔭であると、ささやかな幸せをかみしめております。
そんなことを思いながら、2年前につくった我が国2000年の年表をながめています。少なくともこの2年近くの間ガイド活動は中止を余儀なくされましたが、今年になってNHKの大河ドラマで「鎌倉殿と13人」が放映されたことから、鎌倉を取り巻く世の中の関心は一気に高まりました。大河ドラマ関連で出版された鎌倉本は数知れず、鎌倉時代に関した情報量が圧倒的に増えたことは間違いありません。
さてこの年表は三段重ねのおせちが入った重箱の上に、貧相そうな小鉢が2つ重なっているようにも見えます。最初のお重は、まだ国家のかたちができずに豪族が割拠していた弥生・古墳時代。二段目のお重は、国のかたちをつくるために中国をまねて律令国家をつくりあげた時代。このきっかけは白村江の戦いで唐・新羅軍に大敗した外圧があったことです。そして国外の脅威が遠ざかると、また群雄割拠の時代に戻ります。これが三段目のお重で武家支配の時代。私はこの契機は、治承四年(1180)の源頼朝の挙兵・鎌倉入り・支配体制の整備にあったと考えています。この三段重ねの重箱は、明治維新の1868年まで続きますが、それぞれ500年~600年以上間にわたってその体制が維持されています。そして明治時代以後は終戦まで77年間、終戦から現代までも77年間。江戸時代以前の歴史からすれば、ひと風吹いたくらいのものでしかありません。
それぞれのお重には、いろいろな具材のおせち料理が豪華に詰められていますが、重箱の隅をつつくように、余りにも細部に拘りますと、時代の大局を見失うおそれがあります。まず各お重を上から眺め、最後は腐ってしまったかもしれませんが、長い年月もちこたえた仕掛けは何かを考えてみるのも面白いかなと思うようになりました。まさにこれこそ司馬遼太郎が終生テーマした「この国のかたち」でしょうか。