人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

大仏様も納得の一言

2017-08-17 19:40:57 | 日記

今朝の読売新聞の「気流」という読者投稿欄をなにげなくみていたところ、こんな一言に出会いました。

「慢心」「おごり」で済ますな

『昨今、政界では「慢心」「おごり」「緩み」といった言葉を耳にします。』から文章ははじまります。そして、『本当に、「慢心」や「おごり」が問題の原因なのでしょうか。』と続きます。さらに、『言葉や態度は、政治家としての資質の問題ではないかと感じます。それを「おごり」などといった言葉で済ませて、問題の本質に向き合っていない気がします。』そして最後に、『批判の応酬ではなく、国民を代表する国会議員としての「自戒」ではないでしょうか。』としめています。

この投稿は24歳の女性の方からのものです。最近のマスコミの書く文章やテレビのコメンテーターの話す言葉には、「まともなもの」は一つもありません。この方の250字位の文章には、今何が日本にとって大事なことなのかが、言い尽くされている気がしました。

「慢心」「おごり」「緩み」などという言葉は、それ以前の自分自身を「正当化」している言葉であるわけで、選挙で選ばれた議員が口にする言葉ではないはずです。まさに「自戒」が正しい。納得しました。

最後に一言。南スーダンのPKO問題。大臣に報告したどうかの問題ではなく、そこで何が起き、わが同胞が危険に曝されたことはなかったのか、もしそうだとしたら、何が問題で、どうしたら良いのかという議論がとんでいるような気がします。このままでは旧日本軍と同じ、戦後70年以上経ってもなんら進歩がありません。なんとかなりませんでしょうか・・・。

大仏様の思いです。

 

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長谷小路周辺遺跡出土の古代人骨

2017-08-11 09:01:47 | 日記

先日、第27回鎌倉市遺跡調査研究発表会に参加しました。お目当ては、奈良貴史先生(新潟医療福祉大学)の「長谷小路周辺遺跡出土の古代人骨」という講演です。この古代人骨は昨年発掘され、大変話題になったイベントでした。奈良先生は人類進化学が専門で、同大学では解剖学の講座を担当している方です。今回の講演では最先端の考古学の話を興味深く聞けました。

まず、石棺の人骨の男女を見分ける方法。これは骨盤の形状で判別するようです。女性の骨盤は赤ちゃんが産道を通りやすくなるよう進化しました。人間は直立歩行する唯一の哺乳類ですが、四足の哺乳類と比べると、出産に不向きな体とのこと。石棺の人骨は女性でした。年齢は歯の形から12歳以下の子供ではなく、さらに出産痕もないことから若年女性のようです。

この女性が生きていた年代は安定同位体分析で推定しますが、材木座や横須賀で出土した人骨よりちょっと新しく800年前後のようです。奈良時代後半から平安時代前半ですね。また埋葬状態から身分の高い人だったようです。鎌倉では今小路遺跡(御成小学校敷地)から「天平五年(733年)」と書かれた木簡が出土され、鎌倉郡衙の所在が確認されていることや、近くの甘縄神明神社は奈良時代に建立されたと云われていること、万葉集に稲瀬川、見越の崎を詠んだ歌もあり、古代都市が形成されていたことは間違いないと思います。

新しい分析法にDNA分析がありますがこの結果はまだ分析の途中で詳しいことは聞けませんでした。ただコラーゲンの安定同位体分析や頭蓋骨(特に鼻)の形状から弥生人の特徴がみられるようです。

これらの分析結果から鎌倉幕府できる以前の鎌倉の様子が分かるといいですね。杉本寺や長谷寺などは奈良時代に建立されたとする伝承がありますが、今一つはっきりしません。鎌倉市内の随所で実施されている発掘調査も部分的で小規模。鎌倉時代以前の地層まで掘り下げることは稀です。これからの調査に期待したいものです。

 

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きょうの旅 ーー 田谷の洞窟 ーー

2017-08-09 21:12:17 | 日記

先日、横浜市戸塚区にある田谷の洞窟を訪ねました。洞窟の中は湿度90%、温度は16℃位で猛暑の日なら絶好のスポットです。この田谷の洞窟は全長1Km以上もあるそうで、実際に見学できるのは入口から250m程度。洞内には彫られた仏教壁画が目を楽しませてくれます。

写真は長尾砦跡から田谷の洞窟のある丘陵を望んだもの。遠く、正面の住友電工工場の左のこんもりした丘の麓にあります。この丘陵は多摩丘陵の南のヘリにあり、奥多摩の山からの伏流水が流れ、井戸を掘れば水が出てくるという土地です。

洞窟を構成するのは砂質凝灰岩(鎌倉石)で、非常に脆弱な岩石です。空気に触れれば風化しくずれ易い。この洞窟が度重なる大地震でも大きく崩壊することなく、現在までのこっているのは、多摩丘陵の安定した地層にあること、水分を含んだことで風化しなかったのと岩石の密度が増し強固になったからだと推察されます。

寺の案内によれば古くからの密教の修行場とのことですが、彫られている壁面の彫刻は大部分が江戸時代後半のもののようです。江戸時代には、物見遊山で大山詣で、鎌倉から江ノ島に来る人が多く、そんな旅行者をあてにしたテーマパークだった可能性もあります。それにしても、修行場やテーマパークであれば1Km以上の洞窟を掘る必要はありませんね。では何を求めて掘り進んだのか?いろいろ文献にあたってみますと答えは水。水を求めて人々は掘り進んだと思われます。井戸には縦に掘る井戸だけでなく、水平に掘る「横井戸」があることをはじめて知りました。洞窟内に朝比奈弁財天があり、そこからはコンコンと水が湧き出ています。

この田谷の洞窟は歴史的価値はともかく、地学的には興味深いジオパークと言っていいでしょう。ブラタモリファンならこの「台地のへり」が生み出した場所を一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

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