人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

廃仏毀釈について思う

2019-10-28 21:37:32 | 日記

伏見稲荷大社の季刊誌『大伊奈利』を読んでいて、また興味深い記事に出遭いました。タイトルは「伏見稲荷大社の明治維新」。京都市歴史資料館の秋元せき氏の講演記録です。

鎌倉の歴史を調べていますと、明治維新に起きた”廃仏毀釈”という出来事がどれだけ日本の文化的財産を破壊したか、事例に出会うたびに腹立たしく思っていました。この廃仏毀釈が行われたことが明治時代が好きになれない理由の一つでもあります。とは言っても、神仏習合していた神社から仏教施設が廃絶されるスピードが速すぎることを疑問に感じたのも事実です。日本の近代化を進める明治政府にとって神仏分離策よりも大切な諸課題が多くあり、政府が自ら実行するには手が回らなかったと思うからです。では誰が推進したのか?その答えになりそうなのが本講演記録です。

明治維新で伏見稲荷大社で何が起きたのか?もともと伏見稲荷大社には愛染寺というお寺のほかに2寺院があり、なかでも愛染寺は江戸時代中期より本願所として社家よりも大きな力を持っていました。愛染寺と社家の対立は徳川幕府の庇護を受けた元禄時代からで、出開帳などの興行に積極的な愛染寺のすることに社家は面白く思っていなかったようです。その思いは江戸幕府が滅亡するまで続き、明治元年3月に神仏混淆が禁止されると一気に爆発したのではないかと思われます。実際に明治元年4月10日には、行き過ぎた神仏分離を危惧した明治政府から太政官達が出されており、稲荷社には10日後の4月20日に届いていました。しかしながら社家はその警告を無視して愛染寺取り潰しを推し進めました。神仏混淆禁止のお墨付きをもらい、千載一遇のチャンスとばかりに社家とお寺の立場を逆転させたのでしょう。建物や仏像などの文化的価値など考える余裕などなかった時代だからやむを得ないと思いますが、それにしても残念な出来事でした。

 

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正一位 正宗稲荷大明神

2019-10-27 09:08:33 | 日記

藤沢の白旗神社の近くに正宗稲荷大明神があります。通りすがりに目に留まったので詳しい由緒などは不勉強ですが、刀工正宗と所縁のある稲荷社のようです。鎌倉にも正宗稲荷はありますが、こちらは日蓮宗の妙善寺の境内にあり立派な社殿が建てられています。やはり江戸時代に東海道の宿場であった藤沢には財力のある篤志家も多かったと思われます。

ところでお稲荷さんは何故に「正一位」の神階をもっているのか? 不思議に思っていたのですが、伏見稲荷大社の季刊誌『大伊奈利』に解説がありました。この神階とは元来、平安時代に朝廷と関わりのある神社に対して、授けられた位階のこと。伏見稲荷大社に神階が授けられた最初はご鎮座の年から116年後の天長四年(827)。東寺の五重塔を建立するために稲荷山の木を伐り、その祟りにより淳和天皇が病気になったことから、その祟りを鎮めるために「従五位下」の神階が贈られてより次第に累進して、天慶五年(942)ついに極位「正一位」となったとあります。そして平安時代に後鳥羽上皇が行幸した際に、「当社は五穀豊穣・衣食住の守護神で諸人の尊信すべきものであるから、信心の輩が其の所々において鎭祭するのはこれすべて当社の分神であるによって、本社より勧請の神体には”正一位”の神階を書き加えて授けよ」と仰せられました。これが「正一位」の由来。かの後鳥羽上皇まで関係するとは知りませんでした。因みに、お稲荷様の「分神(みたまわけ)」のことを「神璽勧請(みたまかんじょう)」といい、日本国内にこの勧請が拡まったとのことです。どこにでもお稲荷さんが祀られている理由でしょうか。

私も以前に伏見稲荷と真言宗の祖である空海の関係を調べたことがあり、最初はとても友好的な関係であったと思っていました。どうもそうではなく、空海が勝手に稲荷山のヒノキの巨木を伐採したことが稲荷大明神の怒りを買い、険悪な関係になったようです。なにしろ伏見稲荷大社の歴史は平安遷都の歴史より古いのですから。さもありなんと思われます。

    

 

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台風19号の爪痕  七里ヶ浜桜のプロムナード

2019-10-13 16:35:46 | 日記

台風19号の爪痕の第2弾は七里ヶ浜桜のプロムナードです。毎年桜祭りで賑わう西友前の桜の木が見事に真っ二つに折れました。昨晩、かなり強い南風が吹き荒れたので、自宅のグリーンコーンが倒れるのではないかと心配したのですが、まさかの桜の木でした。

倒れた桜の木は樹齢が40から50年位かと思います。そろそろ寿命ではありますが、手入れもいいので、まだ楽しめると思ったのに残念です。折れた部分をみると、若干腐っているようですが、木肌はつやつやとしており、まだ元気そうでした。ついつい擬人化して物事を考えてしまう癖があり困りますが、寿命を全うするより、突然バッタリもありかと思ってしまいます。

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台風19号の爪痕 R134

2019-10-13 15:53:37 | 日記

昨日の台風は伊豆半島に上陸したした時は955ヘクトパスカルで15号台風とほぼ同じ大きさでした。ただ雨量が半端なく凄まじかったです。朝起きてみたら関東甲信越から東北地方にかけて千曲川、多摩川、阿武隈川などの大きな川が氾濫したというニュースに驚きました。今回の19号台風の雨は広範囲に大量に降ったため、流域面積の大きな川が軒並み増水したのでしょうか。想定外か想定内かと言えば想定外のことかと思われます。荒川が氾濫しなくてよかったですね。東京がアニメ『天気の子』のようになるところでした。

前置きはともかく、ご近所でも19号台風の被害にあいました。一つは国道134号線。先日崩落したのと同じ、稲村ケ崎の海岸の擁壁がまたやられました。応急措置で全面復旧したばかりなのに、今度は車道の奥の方までえぐらたかもしれませんので、当面不便な状況が続くでしょう。10年以上前には稲村ケ崎の海岸は砂浜が広がっており、海水浴が出来たのできたのに信じられません。これも温暖化の影響でしょうか?鎌倉中の海岸線が海と陸を隔てるベルリンの壁で覆い尽くされてしまいます。

 

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常楽寺の阿弥陀三尊像を拝観する

2019-10-11 14:57:00 | 日記

今日、東京国立博物館で開催されている「文化財よ、永遠に」展を観に行きました。お目当ては鎌倉市にある常楽寺が所蔵する阿弥陀三尊像です。先日、常楽寺に参拝に行った時は不在で、出張中との掲示がありました。これは見逃せないと思ったわけです。東博ですっかり綺麗になったお姿を拝観することが出来ました。  

この阿弥陀三尊像には仁治三年(1243年)六月十二日の日付が残されており、鎌倉幕府の三代執権である北条泰時の臨終仏だそうです。泰時は亡くなる前の5月に出家しています。北条泰時は鎌倉幕府の基礎を造り、将軍源実朝とも近く、御家人との争いなどもない興味深い人物です。
 
この阿弥陀三尊の作者は運慶の弟子である肥後別当定慶の作風の影響をうかがうともありました。仏像の造立に泰時がかかわっていたとすると、なる程と思わせる雰囲気です。阿弥陀様の胴体と袈裟は一体ではなく別に着せたようになっています。また脇侍である観音菩薩像の手の合わせ方が独特で、左右の掌を微妙な空間を開けて重ねています。
 
もう一つ。拝観した東博では、奈良にある室生寺の国宝である十一面観音立像が展示されていました。かなり前に現地で拝観したことがありますが、この十一面観音像を間近に拝めたのは幸運でした。白洲正子の著書に『十一面観音巡礼』がありますが、室生寺はこの旅の原点のような場所だそうです。白洲正子が優美な姿の中に「龍神の化身」を見たと言わしめたそうですが、展示されている仏様にそんな様子は見られませんでした。ふくよかな頬のふくらみが印象的で、山深い室生寺の暗いお堂の中で見るのとは違うようです。

 
 
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