鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)の講座で「鎌倉のたたら製鉄」という講座を開催しました。講師は神奈川県立鎌倉高校の先生を長く勤め、この4月から横須賀高校の先生になられた方です。前々から中世に鎌倉の浜砂鉄を使った製鉄が行われていたと推測していましたが、本日の講座を聞き、実際に行われていたはずだと意を強くしました。2年前のブログにも鎌倉の製鉄業のことを書いていますので、参考にご覧になってください。
鎌倉高校では数年前から浜砂鉄を使って鉄をつくる試みを続けていましたが、昨年はじめて成功し、短刀まで作っています。何度も失敗を繰り返し、その原因を突き詰めていくうちに鎌倉の浜砂鉄でも鉄が出来たとのことです。たたら製鉄は現代まで奥出雲で行われていますが、室町時代後期までは全国各地で行われていたようで、鎌倉でも相州伝正宗の刀が作られていたと思われます。
奥出雲の砂鉄(真砂砂鉄)と鎌倉の砂鉄(赤目砂鉄)の成分の違いは、チタンが含まれいることと、カルシュウム分が多いことを突き詰め、砂鉄を熱湯で洗いカルシュウムを除去することで鉄をつくることが出来たとおしゃっていました。中世においてもその方法で鉄が作られていたかは確証がないのですが、鎌倉の七里ヶ浜に金洗沢とういう地名があることから、ひょっとしたら浜砂鉄を洗い鉄を作っていたかもしれません。
写真は七里ヶ浜の霊光寺入口にある石碑ですが、そこに金洗沢のことが書かれています。興味あるかたは日蓮の雨乞いで有名な場所なので、一度訪ねてみてください。