佐原 水郷の町巡り
香取神宮は下総国の一之宮。千葉県香取市にあります。創建は神武天皇十八年。祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。鹿島神宮とは利根川を挟んですぐの地。関東の東を護る守護神とはいえ、この両神宮の由緒や社殿の荘厳さにふれ、知らないことばかりでただただ勉強不足に恥じ入るばかりでした。さて鹿島神宮の祭神は武甕槌大神、香取神宮は経津主大神。この両祭神については『日本書紀』(巻第三)神武天皇 神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコノスメラミコト)の熊野進軍のところに出てきますので、その個所を紹介します。
神武天皇が熊野侵攻で苦戦していると、夢に、天照大神が武甕雷(槌?)神に「葦原の中つ国は、まだ乱れが騒がしい。お前が往って平げなさい」と。武甕雷神は答えて「私が行かなくても、私が国を平げた剣を差向けたら、国は自ずから平らぎましょう」といわれた。天照大神は「もっともだ」と。そこで武甕雷神は語って、「私の剣はふつのみたまという。今あなたの倉の中に置こう。それを取って天孫に献上しなさい」と云々・・・。 出典:『全現代語訳 日本書紀』(宇治谷孟 講談社学術文庫)
つまり香取神宮の祭神は「ふつのみたま」という剣が神格化されたものでした。これで鹿島神宮と香取神宮の二祭神が蝦夷地に向って目を光らせ、藤原鎌足や江戸時代には徳川幕府がこの両神社を庇護したのが理解できました。交通が不便ということありますが、一度は訪ねてみたい場所です。
また香取市には水郷の町として有名な佐原があります。そして佐原は50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた伊能忠敬の生まれ育った土地でもあります。隠居の身でありながら日本地図つくりという一大決心をした背景には、この香取神宮・鹿島神宮の存在が無縁ではなかったと思われます。
鹿島神宮は常陸一之宮。茨城県鹿嶋市にあります。創建は神武天皇即位の年である紀元前660年であり、祭神は武甕槌大神(タケミカツチノオオカミ)。神武天皇東征のおりに武甕槌大神の神威により救われたことから、即位の年にこの鹿島の地に祀り、鹿島神宮を創建したと言われています。気の遠くなるような神話の世界の話です。はじめて参拝しましたが、70haの神域の広さや国重文になっている楼門、社殿、奥宮の建物をみると古来から信仰の対象となった由緒のある神宮であると納得しました。聞けば、平安時代から江戸時代まで「神宮」を社号とするのは、伊勢、鹿島、香取の三神宮だけのようです。
藤原鎌足も参詣したとの伝説もあり、蝦夷地、東国経営の拠点となり、東北開拓の前線守護の役割を担っていたようですが、鎌倉からでも高速道路を使っても3時間弱。前面の太平洋は波が荒く、利根川の河口近くで舟で来るにしても容易ではありませんし、何故この場所なのか?この鹿島の地を選んだ理由があるはずですが、いまだに答えが見つかりません。ただ今回は大鳥居のある西側から入りましたが、かつては東の海側にある御手洗池で禊をしてから参拝したようなので、参拝者は舟を利用したのかもしれませんね。
夏の盛りに咲くタマアジサイの花を見つけました。場所は円覚寺の佛日庵の境内。外からは見えない塀のそばに咲いていました。名前の由来はつぼみが球形だからと言われています。開花とともに包んでいた苞がおち、淡紫色の両性花ととりまく白い装飾花が姿を見せます。ほかのアジサイが6月に咲くなかで、つぼみの状態でじっと待ち、咲く時期をずらす。8月の花と言えば、炎天下に存在を主張する真っ赤なサルスベリやキョウチクトウ、そしてピンクのフヨウの花など。その中で涼しげな花を咲かせるとは、なんともイジラシイではありませんか。花言葉は「あなたは冷たい」とのこと。このタマアジサイは、鎌倉市内では朝夷奈切通や十二所の光触寺近くでも見ることができます。