広町緑地の大桐が見頃です。その大桐の木は谷深くにあるため、花を近くで見ることはできませんが、房になった紫いろの花を咲かせます。清少納言が『枕草子』に桐のことを書いていますが、すでに平安時代には日本でもポピュラーな木であったようです。
桐の木の花、むらさきに咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもとひとしういふべきにもあらず。もろこしにことごとしき名のつきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらん、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世のつねにいふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。
要約すれば、桐の花はいいけど、葉っぱは今一つ、ひろがりすぎてちょっと鬱陶しいかも。とはいっても、中国では鳳凰が止まる高貴な木だし、すばらしい音色を楽しませてくれる琴の材料でもあり、ほかの木と一緒に扱うのは気が引ける。こんなところでしょうか。凡人の私としては五七の桐とか、五三の桐とか、最近よく見る内閣総理大臣の紋章くらいしか関心がありませんが、さすが清少納言、短い文章で桐の特徴を的確にまとめています。
ほかに和歌とか、俳句で桐を詠んだものがないか探してみましたが、不思議に和歌はほとんど見つかりませんでした。俳句では、芭蕉と子規の句がありますが、花を詠んだものはなく、桐の木や葉っぱを詠んだものでした。これは清少納言の影響かもしれませんね。
(芭蕉) 桐の木にうづら鳴なる塀の内
(子規) 桐の葉のいまだ落ざる小庭哉
遠出の外出自粛のなか、近所の散歩が日課となっています。広町緑地は1周4㎞位。新緑がまぶしくても木陰を歩くことができます。季節の花も小川のカエルの声も心地よく、時にはカワセミにも会えます。まさに鎌倉ならではの場所です。