先日、花園大学東京サテライトZEN講座に参加しました。2部制の講師は、柳 幹康先生と横田南嶺先生のお二人でした。講座では「看話禅(かんなぜん)」という言葉が出てきましたが、禅初心者の私にとり、とても興味深い話でした。禅の実践方法の一つである看話禅は理解不可能な公案に集中することで、迷える心の流れを断ち切り、本来の仏の心に目覚めるという手法(柳氏の講演記録)をいいます。ただなぜ「看話」というかはよく分かりません。看は手と目を重ねた文字で「みる」と読みますが、看の字には、なにか特別な意味があると思われます。また公案については、このブログでも妙心寺で参禅の機会を得たことや参禅した時に隻手音声という公案をいただいたことを紹介しました。それからかなりの時間が経っていますが、お恥ずかしい話、体験したというだけでそれ以上の知識の深まりはなく、今日まで無為に過ごしてきたわけです。補足ですが、古来から積み重ねられた公案は1700位で、よく知られたものは、臨済義玄の「無位の真人」、趙州の「無」、慧能の「本来の面目」、盤珪永塚の「不生」、白隠慧鶴の「隻手音声」などです。
さて後半の講座を担当された円覚寺管長である横田南嶺老師は、13歳で禅の世界に入り、60歳になるまでひたすら禅を探求されています。横田老師の講座のなかに仏光国師(無学祖元)の『仏光国師語録』巻九の一文がありました。仏光国師は14歳で禅の世界に入り、最初は「狗子無仏性」の公案を与えられ、1年くらいで解脱するつもりでしたが、6年経っても公案の答えを得られず、結局その公案を掃き棄てました。それでも6年間「無」の意味を考え尽くしたことで、新たな境地に到達したと言ってます。また横田老師は同じ公案を考え尽くし、次の段階に進むのに10年要したとおしゃっていました。それほどに看話禅により新境地に達するのは膨大な時間がかかるということです。夏目漱石は円覚寺に10日間ほど参禅して、釈宗演老師に与えられた公案の答えが見つからず、「喪家(そうけ)の犬の如く室中を退いた」と『門』のなかで表現しています。漱石をしても10日で悟ったらとんでもないことでしょう。さらに無学祖元(仏光国師)は、大悟できない北条時宗に「宝所在近」という戒めの言葉を贈ったと伝わっています。ご存じのようにこの言葉は浄智寺総門の扁額に残されています。どうも公案自体、答えがあるようでなく、四六時中、ひたすら集中して考え尽くすことが狙いみたいです。横田老師は「無、む、ムー・・・」と坐禅中も作務中も、通学途上でも、片時も忘れずその意味を考えていたと話していました。仏光国師は、考え尽くした6年間は徒労であったが、決して無駄な時間ではなかったと書いていますし、さらには公案を捨てるもの大事だと言っています。
まとめで横田老師は看話禅の功罪にも触れていました。一つの公案を解くに10年、さらにステップアップして老師となるのに13歳から数十年かかった訳で、それほど長い間辛抱できる若者がこの時代にいるか心配だと話していました。今の時代、公案の答えらしきものはNETで調べれば出てきますし、AIがさらに普及すれば簡単に適当な答えが導き出されます。しかし看話禅は、単に答えを求めることではなく、本来人間に備わっている仏である心を参究するために、公案を通じて徹底的に自らを追い込むプロセスの大切さを伝えているものです。
中国南宋時代に無門慧開(1183-1260)が公案の書『無門関』を書きました。その第一則に「趙州狗子(じょしゅうのくす)という公案があります。冒頭に述べた「狗子無仏性」という公案で「犬にも仏性がありますか」という問いに、趙州和尚は「無!」と答えたというものです。無門は頌のところで、「有無」の話と受け取ったら命を奪われるとうたっています。まさに無・む・ム・・・ですね。
写真は円覚寺の虎頭岩。公案を解くのに疲れ果ててた虎の姿でしょうか?