人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 東慶寺 ーー

2017-05-21 17:03:33 | 日記

北鎌倉円覚寺の前に東慶寺があります。ミシュランガイドで三ツ星を獲得している外国人にも人気のお寺です。境内はそんなに広くないのに、このお寺が人を惹きつける魅力は何か?まだ答えはでていません。

開山は北条時宗の妻である覚山志道尼。その子、北条貞時を開基として建てられました。この覚山尼の言葉に「女と申すものは不法の夫にも身を任せることは多い。そうすると、女の狭き心にてふと邪の思い立ちで自殺などするものがでてくる」それは不憫であるので、その境遇の女はこの寺に駈け込め。そういった寺法を子である執権貞時に認めさせ後世に残しました。

川柳に「出雲にて結び鎌倉にてほどき」というのがあります。覚山尼から時代は下り、二十世天秀尼のときに駈込み寺の位置づけは一層確かなものになりました。この天秀尼は豊臣秀頼の子で、徳川家康の孫娘千姫の養女です。豊臣家が滅びたときに殺されることなく、この東慶寺に預けられました。そして家康にこの寺の寺法を残して欲しいと願い、「権現様御声懸り」として、江戸時代が終わるまでこの治外法権ともいえる特権は続きました。また天秀尼には、会津若松四十万石の加藤明成という殿さまを改易させてしまうというエピソードも残されています。

そんな沿革の東慶寺ですが、境内奥、階段を上った一段高いところに、開山の覚山尼、後醍醐天皇の息女である用堂尼、天秀尼ら歴代住職のお墓があり、西田幾多郎、鈴木大拙、和辻哲郎などの著名人もこの東慶寺に眠っています。たぶんこの先生方、縁切寺法で救われた人々の魂、争いごとを好まない女の和尚に見守られ、自らの魂が落ち着く場所を求めたのではないかと思われます。実際にこの寺の境内にいると母親の懐に抱かれているようで、心が安らぎます。

全身で感じるスピリチュアルな感覚というものは万国共通で、このお寺が外国人にも人気で、ミシュランの三つ星を獲得した理由もそんなところにあるのではないかと・・・。ちょっと考えすぎでしょうか。

 

 

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鎌倉を知る ーー 円応寺 閻魔大王坐像を拝観 ーー

2017-05-20 09:22:12 | 日記

小学生を円応寺に案内することになり、下見に出掛けました。ご存じの通り、円応寺は閻魔大王、十王像、地蔵菩薩を祀っている鎌倉でも珍しいお寺です。鶴岡八幡宮から巨福呂坂のトンネルを抜けてすぐ、建長寺の手前にありますが、階段に南無地蔵菩薩と染め抜かれた幟が目立つ程度で、お堂のなかに地獄の裁判所の世界があるとは気づかず、観光客も通り過ぎてしまいます。案内するのは甲府市の小学生ですが、この円応寺を見学先に選ぶとはなかなか渋いですよね。とは言っても、ガイドする身になると、地獄の世界をどう説明していいのか、大人に説明するより難しく、これは難問です。

お寺の方に聞けば、「嘘を吐いたり、人を傷つけたりすれば、怖い閻魔様に罰せられ、舌を抜かれ地獄に落ちるぞ」そういった話をしたらどうですかと言われました。でも今の子供は、小さいころからそういった話は聞かされておらず、地獄の世界さえ想像できないと思います。昔の子供は、絶対的に信頼できる大人から潜在意識に刷り込まれていましたので、その世界に恐怖心を持つことができたと思います。

円応寺の閻魔大王坐像は、運慶作として伝わっています。地獄に落ちた運慶が閻魔大王から、「今見た閻魔の顔を彫って皆に伝えよ」と言われ、地獄から地上に戻されます。運慶が生き返った嬉しさのあまり笑いながら彫ったので、この閻魔さま、お顔が笑っているように見える「笑い閻魔」とも言われています。さてどうでしょう???

閻魔像の前に置いてある案内をみますと、閻魔さまは、亡者をひとりを地獄に落とす度に閻魔さまも罰せられ、大銅钁(だいどうかく)といって日に三度、煮えたぎった銅を飲まされたようです。これは閻魔大王の業。冤罪を防ぐという考え方でしょうか。今以上に昔の人の考え方は、理にかなっていると思いませんか?「記憶にございません」と、とぼけるのは許されない世界です。地獄の裁判所に来るすべての亡者に背負った罪がなく、閻魔さまも罰を受けることがない時、そのとき閻魔さまは「思わずニコリ」、顔が笑って見えるのかもしれませんね。これはどうでしょうか???使えるかも・・・。

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夏目漱石と運慶

2017-05-09 20:35:13 | 日記

夏目漱石の作品に『夢十夜』というのがあります。第一夜から第十夜まで、「こんな夢をみた」からはじまる短編小説的な性格の濃い作品です。その中、第六夜に運慶を書いたものがありますので、紹介したいと思います。先日、横須賀市の浄楽寺にある五体の運慶仏をみたばかりなので、漱石がどう運慶を描くか興味がありました。明治41年に朝日新聞に掲載されたもので、次の書き出しではじまります。

   運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まってしきりに下馬評をやっていた。

鎌倉時代に東大寺南大門の仁王様を彫った運慶が何故に明治時代にいるのか?これは夢の中。それでも鑿の槌を使った運慶の見事な仕事振りに感心することしきり。どうも運慶は仁王様を彫っているのではなく、木の中に埋まっているのを掘り出しているのだと。彫刻とはそんなもので誰にでも出来ることだと。そして自分で明治の木を使って掘り出してみるのですが、どの木にも仁王は蔵(かく)されていませんでした。そして、次の文章で終わっています。

   遂に明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由も略解った。

この『夢十夜』の解説には、自然との一体化を喪失した明治文化への絶望と批判を語る「第六夜」とあります。・・とあるのですが、「それで運慶が今日まで生きている理由も略解った」とあるこの部分。正直なところ、私自身、いまだに漱石の想いが理解できていません。果たして答えは如何に?誰か教えていただけませんか?

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公案 『本来の面目』

2017-05-08 15:57:36 | 日記

先日のブログで『隻手の音声』という公案を紹介したばかりですが、折角の機会ですので、夏目漱石が円覚寺で参禅したときの有名な公案にもふれたいと思います。夏目漱石(1867-1916)は1894年(明治27)の時、円覚寺塔頭である帰源院に参禅しました。漱石は27歳で大学院に学びながら教師を務めていた頃です。友人菅虎雄の紹介で円覚寺を訪れ、釈宗演老師から公案をいただいています。その様子は漱石の小説『門』に書かれています。

  「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。「父母未生以前本来の面目何だか、それを一つ考えてみたら善かろう」

  宗助は父母未生以前という意味がよく分からなかったが、何しろ自分と云うものは畢竟何者だが、その本体を捕まえてみろと云う意味だろうと判断した。    

別の日に老師のもとで参禅する様子は『門』のなかに書かれています。その緊張感のある厳粛な雰囲気は、私の拙い文章より余程漱石の文章の方が素晴らしいので、一度、読んでみることをおすすめします。宗助の一言に対し、老師の答えは、

  「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ」と忽ち云われた。「その位な事は少し学問をしたものなら誰でも云える」

  宗助は葬家の犬の如く室中を退いた。後に鈴を振る音が烈しく響いた。

『門』のなかには、宗助が云った一言は書かれていませんし、公案の答えもでていません。ただ今回、妙心寺で参禅の真似事を経験してみると、不思議なもので夏目漱石が書いた文章にあるその場の緊張感がよく分ります。ところで、私がいただいた公案『隻手の音声』。答えを出すにも全く考えが及びません。あの漱石だって、すごすごと逃げ帰ったのですから、諦めますか・・・。

 

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公案 『隻手の音声』

2017-05-03 17:04:13 | 日記

白隠禅師が用いた禅の公案を知る機会に恵まれました。与えられた公案は「両掌打って音声あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」というもの。両掌は両手、隻手は片手。柏手のように両手を打てば音がでますが、片手では打つことができませんし、音も響きません。その片手の音をどう聞くのでしょう。

この公案は、別冊太陽への龍雲寺の細川晋輔師の寄稿によれば、臨済宗の専門道場では「初透関」と呼ばれ、最初にして最大の関門とされているようです。白隠禅師はこの「隻手音声」をという公案を証明できたものに「龍杖図」という入門許可証というべきものを書き与えました。これで終わりではなく、初心を忘れずもっと精進せいという意味も込められているようです。

私も参禅してこの公案をいただきました。本などの書き物を読めば、いろいろと解説が書かれていますが、今は白紙でこの公案の証明にチャレンジしようと思っています。公案を下さった老師は、坐禅三昧でいつもこの「隻手音声」のことを考え続ければ、自ずと答えは出るとおしゃっていました。

その前に白隠禅師の『白隠禅師坐禅和讃』の世界に浸らなければいけません。まずはそこから・・・。   

「みんな、仏さま」の思いを感ずる必要があります。

 

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