北鎌倉円覚寺の前に東慶寺があります。ミシュランガイドで三ツ星を獲得している外国人にも人気のお寺です。境内はそんなに広くないのに、このお寺が人を惹きつける魅力は何か?まだ答えはでていません。
開山は北条時宗の妻である覚山志道尼。その子、北条貞時を開基として建てられました。この覚山尼の言葉に「女と申すものは不法の夫にも身を任せることは多い。そうすると、女の狭き心にてふと邪の思い立ちで自殺などするものがでてくる」それは不憫であるので、その境遇の女はこの寺に駈け込め。そういった寺法を子である執権貞時に認めさせ後世に残しました。
川柳に「出雲にて結び鎌倉にてほどき」というのがあります。覚山尼から時代は下り、二十世天秀尼のときに駈込み寺の位置づけは一層確かなものになりました。この天秀尼は豊臣秀頼の子で、徳川家康の孫娘千姫の養女です。豊臣家が滅びたときに殺されることなく、この東慶寺に預けられました。そして家康にこの寺の寺法を残して欲しいと願い、「権現様御声懸り」として、江戸時代が終わるまでこの治外法権ともいえる特権は続きました。また天秀尼には、会津若松四十万石の加藤明成という殿さまを改易させてしまうというエピソードも残されています。
そんな沿革の東慶寺ですが、境内奥、階段を上った一段高いところに、開山の覚山尼、後醍醐天皇の息女である用堂尼、天秀尼ら歴代住職のお墓があり、西田幾多郎、鈴木大拙、和辻哲郎などの著名人もこの東慶寺に眠っています。たぶんこの先生方、縁切寺法で救われた人々の魂、争いごとを好まない女の和尚に見守られ、自らの魂が落ち着く場所を求めたのではないかと思われます。実際にこの寺の境内にいると母親の懐に抱かれているようで、心が安らぎます。
全身で感じるスピリチュアルな感覚というものは万国共通で、このお寺が外国人にも人気で、ミシュランの三つ星を獲得した理由もそんなところにあるのではないかと・・・。ちょっと考えすぎでしょうか。