鞍馬で山道には懲りたハズなのに、どうしても行ってみたいのが京都の北西にある三尾と云う地域だ。
三尾・・・・すなわち栂ノ尾、槙ノ尾、高雄(尾)のことで、それぞれに高山寺、西明寺に神護寺と云う名刹が建っている。
JRバスは市街地から離れどんどん山道に入り栂ノ尾で下車。高山寺への参道は、やっぱり長い石段だった。
石水院で御朱印を頂き国宝の鳥獣人物戯画などを拝見しようかと思ったのだが撮影禁止なので入るのをやめた。
年々脳が劣化していて写真に残さないと記憶にも残らないからだ。
一度石段を下って表通りまで出て歩き槙ノ尾の西明寺へ。神護寺の別院として開創されたというこの寺への石段は、それほど辛くもなく秋の紅葉のシーズンにはきっと絶景が広がるに違いない。
さて、最後の高雄にある神護寺。これが最も難物だった。
石段を喘ぎながら上がり途中で息を整えているとお遍路さんの団体が上がってきた。
案内役のオッちゃんは「懺悔、懺悔、六根清浄」と大声で叫び、遅れ気味のお年寄りを元気づけようとしているのだが、本当の所は立ち止まっては自分が休んでいるのかも知れない(笑)
三尾の中では一番の威容を誇る名刹は多分ロケ地としても名高いのだろう。どこかで見たことのある石段や建物には見惚れてしまう美しさもあった。
帰りには せっかく上がった石段を下りバス停までの道はまた長い石段を上がらなければならなかった。
心の中で思わず叫んだのは、あのオッちゃんの「懺悔、懺悔、六根清浄」
考えてみたら、今まで生きてきた中で懺悔したいことは沢山あるなぁ。
今日も石段を上がりながら、前を上がるオネエチャンのパンツが見えないかとイケナイことを思ってしまったものねぇ。
ところがよく調べたら懺悔懺悔(さんげさんげ)六根清浄の意味は神仏にひれ伏す世界。とてつもない汗が身体中から流れ出ると同時に、六根(つまり眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ)がきれい浄化されていくと云うことなのだそうだ。
懺悔(ざんげ)とは違うのかな?
似ていると思うんだけれど。
三尾・・・・すなわち栂ノ尾、槙ノ尾、高雄(尾)のことで、それぞれに高山寺、西明寺に神護寺と云う名刹が建っている。
JRバスは市街地から離れどんどん山道に入り栂ノ尾で下車。高山寺への参道は、やっぱり長い石段だった。
石水院で御朱印を頂き国宝の鳥獣人物戯画などを拝見しようかと思ったのだが撮影禁止なので入るのをやめた。
年々脳が劣化していて写真に残さないと記憶にも残らないからだ。
一度石段を下って表通りまで出て歩き槙ノ尾の西明寺へ。神護寺の別院として開創されたというこの寺への石段は、それほど辛くもなく秋の紅葉のシーズンにはきっと絶景が広がるに違いない。
さて、最後の高雄にある神護寺。これが最も難物だった。
石段を喘ぎながら上がり途中で息を整えているとお遍路さんの団体が上がってきた。
案内役のオッちゃんは「懺悔、懺悔、六根清浄」と大声で叫び、遅れ気味のお年寄りを元気づけようとしているのだが、本当の所は立ち止まっては自分が休んでいるのかも知れない(笑)
三尾の中では一番の威容を誇る名刹は多分ロケ地としても名高いのだろう。どこかで見たことのある石段や建物には見惚れてしまう美しさもあった。
帰りには せっかく上がった石段を下りバス停までの道はまた長い石段を上がらなければならなかった。
心の中で思わず叫んだのは、あのオッちゃんの「懺悔、懺悔、六根清浄」
考えてみたら、今まで生きてきた中で懺悔したいことは沢山あるなぁ。
今日も石段を上がりながら、前を上がるオネエチャンのパンツが見えないかとイケナイことを思ってしまったものねぇ。
ところがよく調べたら懺悔懺悔(さんげさんげ)六根清浄の意味は神仏にひれ伏す世界。とてつもない汗が身体中から流れ出ると同時に、六根(つまり眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ)がきれい浄化されていくと云うことなのだそうだ。
懺悔(ざんげ)とは違うのかな?
似ていると思うんだけれど。