今日の画像は初夏の伯耆大山北壁です。

この本の中で著者はゆっくり歩くことの大切さを説いています。
著者はよくバテバテの登山者に対して「もっとスピードを落とせ」と指導したものだが、言うだけで適切なスピードに落とせた人は皆無だった。うんとペースを落とした状態で歩き、何人もの登山者に抜かれたとしても、途中から抜き返す経験を積み重ねないとわからないのかもしれない。

まったくの同感です。わが意を得たり、です。ここに書かれていることの実体験もあります。
それでは自分のメンバーの中で遅れがちの人が出た場合はどうするか?
パーティーの中にパテて遅れがちなめんばーが出てきたらどうすべきか。よくある対処の仕方が、バテた人を先頭に立てることである。またリーダーが何メートルも前方にいて、遅れたメンバーが追いついてくるのを待ちながら進むパターンもよく見かける。
このようにすることで遅いメンバーに合わせたペースで歩いていると思うかもしれないが、正しい方法とは言えない。なぜなら、バテバテになっている登山者は、自分がオーバーペースで歩いていることを理解していないのだ。そんな状態の登山者を先頭に立てても、あるいはリーダーが先頭に立って追いついてくるのを待つにしても、オーバーペースで頑張ってしまうだけである。
ここでリーダーがなすべきことは、バテて遅れがちなメンバーの歩行スピードを強制的に落とさせることだ。遅い人のスピードに合わせるのではなく、もっとスピードを落とさせるのである。

タカ長の場合は最初から先頭を歩き、メンバーのスピードをコントロールしていたので、ここに書かれているようなことをした経験はありません。
最初からスピードを上げさせないで、上からふたをしたような状態で歩いていました。タカ長たちのグループは弱いので、その方法しか選択肢が無かったと言えます。
その時にタカ長が行っていたのはこの著者が言っていることと同じようなものです。
著者はそのとき少しでも歩きやすいラインにバテたメンバーを誘導するように説いていますが、タカ長も同じようなことをしていました。
そのようなメンバーが出た時はタカ長のすぐ後ろを歩かせ、「あなたは何も考えなくて良いから、私が足を置いたところに自分の足を置きながらついて来て下さい」と指示していました。
このような経験は何度もあります。
著者も言っていますが、バテたメンバーの視野は極端に狭くなっていますから、そのような人に自分の足を置くところを判断させることは無理なことだと思っています。

このような歩き方は、恐ろしくスローペースに見えるかもしれない。だが実際にやって見ると休憩を頻繁に取らなくても歩きつづけることができるので、目的地まで意外に早く到着できるものだ。(中略)
だから、バテたメンバーを先頭に立てる、あるいはリーダーが先に立って追いついてくるのを待つような歩き方は非効率であり、足が遅い人にとってはただ苦しいだけだと実感している。

著者がここで言っていることには素直に同感、わが意を得たりです。
ノロノロ歩きしか出来ないタカ長が言うと負け惜しみに聞こえますが、山をゆっくりと歩けるようになったら登山者として一人前だと本気で考えています。
この実感は、ゆっくり歩いていても案外早く目的地に着き、最後の帳尻が合うことを自立した登山者として経験しないと持てないのかも分かりません。
続きます。

この本の中で著者はゆっくり歩くことの大切さを説いています。
著者はよくバテバテの登山者に対して「もっとスピードを落とせ」と指導したものだが、言うだけで適切なスピードに落とせた人は皆無だった。うんとペースを落とした状態で歩き、何人もの登山者に抜かれたとしても、途中から抜き返す経験を積み重ねないとわからないのかもしれない。

まったくの同感です。わが意を得たり、です。ここに書かれていることの実体験もあります。
それでは自分のメンバーの中で遅れがちの人が出た場合はどうするか?
パーティーの中にパテて遅れがちなめんばーが出てきたらどうすべきか。よくある対処の仕方が、バテた人を先頭に立てることである。またリーダーが何メートルも前方にいて、遅れたメンバーが追いついてくるのを待ちながら進むパターンもよく見かける。
このようにすることで遅いメンバーに合わせたペースで歩いていると思うかもしれないが、正しい方法とは言えない。なぜなら、バテバテになっている登山者は、自分がオーバーペースで歩いていることを理解していないのだ。そんな状態の登山者を先頭に立てても、あるいはリーダーが先頭に立って追いついてくるのを待つにしても、オーバーペースで頑張ってしまうだけである。
ここでリーダーがなすべきことは、バテて遅れがちなメンバーの歩行スピードを強制的に落とさせることだ。遅い人のスピードに合わせるのではなく、もっとスピードを落とさせるのである。

タカ長の場合は最初から先頭を歩き、メンバーのスピードをコントロールしていたので、ここに書かれているようなことをした経験はありません。
最初からスピードを上げさせないで、上からふたをしたような状態で歩いていました。タカ長たちのグループは弱いので、その方法しか選択肢が無かったと言えます。
その時にタカ長が行っていたのはこの著者が言っていることと同じようなものです。
著者はそのとき少しでも歩きやすいラインにバテたメンバーを誘導するように説いていますが、タカ長も同じようなことをしていました。
そのようなメンバーが出た時はタカ長のすぐ後ろを歩かせ、「あなたは何も考えなくて良いから、私が足を置いたところに自分の足を置きながらついて来て下さい」と指示していました。
このような経験は何度もあります。
著者も言っていますが、バテたメンバーの視野は極端に狭くなっていますから、そのような人に自分の足を置くところを判断させることは無理なことだと思っています。

このような歩き方は、恐ろしくスローペースに見えるかもしれない。だが実際にやって見ると休憩を頻繁に取らなくても歩きつづけることができるので、目的地まで意外に早く到着できるものだ。(中略)
だから、バテたメンバーを先頭に立てる、あるいはリーダーが先に立って追いついてくるのを待つような歩き方は非効率であり、足が遅い人にとってはただ苦しいだけだと実感している。

著者がここで言っていることには素直に同感、わが意を得たりです。
ノロノロ歩きしか出来ないタカ長が言うと負け惜しみに聞こえますが、山をゆっくりと歩けるようになったら登山者として一人前だと本気で考えています。
この実感は、ゆっくり歩いていても案外早く目的地に着き、最後の帳尻が合うことを自立した登山者として経験しないと持てないのかも分かりません。
続きます。