
昨夜のNHKテレビの「百名山」は伯耆大山でした。
伯耆大山はタカ長の「山の先生のような山」ですから、伯耆大山の想い出を語り始めると止まらなくなりそうです。このブログにはそれだけのスペースがありませんし、そのような思い出をガタガタ書いてもそれはタカ長だけの思いで、万人に共通するものではありません。
だから、ほんの少しだけ書くことにします。

タカ長が初めて伯耆大山に行ったのは二十歳前のことです。
その頃は雪の中にテントを張るのは「キャンプ指定地」でなくても良かったのでしょうか。先輩に連れて行かれてテントを張ったのは元谷の雪の中でした。
その後少ししてキャンプ指定地にテン泊することになりました。

今朝は天気が悪くて裏山歩きをキャンセルしましたが、当たり前のことですがその頃は少々の悪天候は平気でした。雨が降るからダメ、風が吹くからダメと言っていては大山には登れません。
でも、好天に恵まれた山は数多くあります。しかし、そのほとんどは「デジカメ以前」のことでした。
昨夜の百名山では烏ヶ山に登りましたが、そのコースは南側の鏡ヶ成からでした。タカ長が初めて大山から蒜山高原に歩いたときは、そのあたりは無人の原野でした。
烏ヶ山には女房殿と登ったこともありますが、タカ長たちが歩いたのは北側に鳥越峠からです。YAMAPの地図を見ると、そのルートには赤い線がありません。

そのYAMAPの地図を見てビックリしました。大山の稜線には進入禁止のマークがズラリ。
崩壊が進む大山ではずいぶん前から稜線の縦走は禁止になりました。そのことは知っていますが、この地図を見るとビックリします。タカ長自身何度もあの尾根を歩きましたし、職域の団体でゾロゾロ歩いたこともあります。
この地図を見ると、まったく別世界のことだったように感じます。

昨夜のテレビでは元谷から山頂に登っていました。画像で見ると行者谷も急登。あの急登を走るように登った青春がタカ長にもあったと思いながら見ていました。
大山のブナ林は広大で、登山の時だけでなく探鳥の時も歩きました。タカ長には何もかもがなつかしい想い出でした。

伯耆大山は崩壊が進んで、年々年寄りの足にはキツイ山になっているようです。
宝珠尾根を登ってユートピアのお花畑を楽しみたいと言う気持ちは今でもありますが、その思いは夢のままで終わりそうな気もします。
ともあれ昨夜の「百名山」は感慨深いものでした。